第6章3話 剣士ふたり

 厩舎きゅうしゃの前でジェイドに馬を預けて、アスターは、エヴァンダール王子とともに砦に入った。

 背後からカトリーナが追いかけてくる。



「エヴァ兄様、私も一緒に──」


「カトリーナ。おまえは部屋で待ってろ」


「でも……」



 お預けを食らって、カトリーナが不満げにアスターを見る。

 エヴァンダールはくすりと笑った。



「しょうがないヤツだな。あとでちゃんと行ってやるから。ガマンできるな?」


「……はい」


「──いい子だ」



 エヴァンダールに黒髪をすかれて、カトリーナは幼い子どものように悄然しょうぜんと引き下がる。


 すれ違いざま、エヴァンダールに見えないところでアスターをにらみつけるのも忘れない。ブーツのかかとを鳴らして廊下の向こうに歩き去った。



「来いよ、ノワールの英雄。こっちだ」


「…………」



 ロンディオ砦に来るのは初めてではないらしく、エヴァンダールは迷いのない足取りで中庭に面した回廊かいろうを歩いていく。



「どうだ。カトリーナとはうまくやってるか」


「……いや」


「まぁ、そうだろうな。あいつもなかなかワガママなじゃじゃ馬だから」



 エヴァンダールは、むしろおもしろそうに言った。



魂解析アナリスは見たか? 魂送りほどの威力はなくても、なかなかのものだろう。いずれはもっと遣い手を増やして各砦に実践配備しようと思ってる」


「……。あなたが開発したものだそうですね」


「そうだ。亡者どもを駆逐くちくするために、な」



 アスターは目をすがめた。

 エヴァンダールは演習場の方に歩いていく。演習をしていた兵士たちが気付いて頭を下げる中、出し抜けに丸突剣をとった。



「──ほら」


「!」



 無造作に投げられた丸突剣を、アスターは受け取った。



「付き合え、英雄殿。書類仕事で腕がなまってかなわん」


「……」



 ふたりで演習場に立った──すぐに激しい剣戟けんげきになった。在りし日のクロードと交わした稽古のように。


 ……腕がなまっているなんて、とんでもない。うかつに触れれば火傷するような烈火れっかの攻防が繰り広げられた。



「そらそら、どうした。剣に迷いが出てるぞ。俺をガッカリさせるな」


「くっ……!」



 相手の余裕に、半ばムキになって剣を返した。

 脳裏には、さっきの亡者との戦いがちらついている。

 漆黒の竜巻のように亡者どもを巻き込んだ剣技や、カトリーナとの見事な連携。

 亡者どもの断末魔の叫び……。



「あなたの目的は何だ。俺みたいな他国の剣士を呼んで王女と組ませて……何をもくろんでいる」


政治広報プロパガンダは必要だろう。『防国の双璧とカトリーナ王女、相棒になる』──実際、まずまずの影響力じゃないか……ふふ」


「……。本当にそれだけか?」



 アスターは眉根を寄せた。



「あなたはノワールが亡者を生み出したと思ってる。その真相がどうであれ、その国の人間を配下に置くのはリスクだろう。あなたの目的が政治広報なら……明らかな人選ミスだ」


「……ほぅ?」



 アスターの指摘に、しかし、エヴァンダールはおもしろうそうに笑みを深めた。軽快なステップで斬り込まれた剣が、アスターの腕をかすめた。



「まぁ、難しく考えるな。俺は強いヤツが好きだ。強さは力。亡国の英雄を傘下さんかに入れたいと思うのは当然だろう?」



 にぃっと笑って、エヴァンダールは闇色の瞳にアスターを映す。



「アスター・バルトワルド──俺に従え」


「……剣ならもう受け取った」


「けど、心はまだ過去にとらわれてる」


「…………」


「亡者を生み出したのがノワール王国でないことを願い、死んだクロード王子がそれを知らなかったことを期待し、魂解析アナリスで亡者を魂ごと滅する研究に反発している……。カトリーナから文書で報告は受けているさ──おまえが相棒に不適格だってこともな」



 ……だが、とエヴァンダールは続けた。



「俺はそうは思わん。おまえの迷い、俺がいずれ断ち切ってやる。ノワールのクロード王子よりも誰よりも、おまえを従えるのにふさわしいのは──俺だ」



 クロードよりも……上?

 頭にカッと血がのぼった。



「ふざ……けるな!」



 相手が王族だということも忘れて斬り込んだ。

 いくら訓練用の丸突剣だといっても、本気で突けば怪我もするし、相手を昏倒こんとうさせることだってできる。


 だが──

 それは相手も同じだった。



「…………っ!?」



 アスターが繰り出した渾身こんしん一閃いっせんを真っ向から受け止めて、エヴァンダールが笑みを深める。剣の軌道を完全に読み切り、絶妙な力加減で衝撃を殺してみせた──その天性のバランス感覚。


 すらりとした細身からは想像もつかないほどの膂力りょりょくで、歴戦の剣撃を正確に見極め──受け流してみせた。


 剣を引くこともできない緊張感の中、エヴァンダールがふと、その笑みを引っ込めた。



「なんだ……。そんなものか?」


「…………っ」


「言ったはずだ、英雄。俺を失望させるな……ってな!」



 エヴァンダールの振り切った丸突剣が二閃にせん三閃さんせんとひるがえってアスターを打つ。右手。右肩。しびれるような痛みが走り、手にした丸突剣が……宙を舞った。



(……っ。しまった……!)



 敗北は、砂と鉄の味がした。

 気が付いたときには、勝敗がついていた。


 演習場に倒れ込んだアスターの胸に、エヴァンダールの丸突剣が突きつけられた。実戦であれば、いつでも心臓をひと突きにできる位置取り。


 丸突剣をもったエヴァンダールが、冷ややかにアスターを見下ろしている。



「──死んだな」


「……っ」


「──……なんだ。剣はできるのに弱っちぃなぁ。……ひとつ教えてやるよ、英雄殿。弱いヤツには誰も救えない」



 その言葉は──

 アスターの心のやわらかな部分を、確かにえぐった。



 ──救いが必要なんだ……。



 ジェイドの憂えるような言葉が胸によみがえって……。

 アスターは知らず、唇を噛んだ。



「…………。あんたが、この国を救うというのか」


「そのつもりだ」


「あんたが目指しているものって何だ?」


「──清浄な世界。亡者なんて害悪は一掃いっそうしてやる」



 そのための魂解析アナリス

 そのための葬送部隊……。


 エヴァンダールは、きっと正しい。

 理想ばかりを語って何も行動しないような気弱さとは、無縁の王子。

 亡者への滅びにおびえる世界を救う希望の光……。


 ノワールの作り出した亡者が世界を滅ぼすというのなら──

 その亡者どもを一掃して平和に導くのがエヴァンダールの理想なら──

 自分がとるべき道は……。



(…………)



 倒れたときに切った口の中に、鉄の苦みばかりが広がっていく。違和感を強引に飲み下して、アスターは立ち上がった。


 褐色の肌をした黒髪の王子がたたずんでいる。

 銀髪にみどりの瞳をしていたクロードとは、全然違う。肌や髪の色も、性格も。……なのに、同じようにアスターと対峙たいじする。


 エヴァンダールは、事のついでのように言った。



「今度、王都で父上の治政三十周年の式典があるのは知ってるな。その式典に、カトリーナと一緒に出席しろ。そこで──俺と一騎打ちしてもらう」


「……一騎打ち?」



 アスターは眉をひそめた。



「なに、父上へのちょっとしたサプライズだ。遠慮はいらん。たたきのめすつもりで来い。返り討ちにしてやる」


「……。ずいぶん唐突だな。悪いが、俺は見世物になるつもりはない」



 地をうようなアスターの返事に、エヴァンダールはニヤリとした。その答えも想定済みだというふうに。

 だが、向こうはアスターの意向など聞いていない。



「俺は父王や兄上たちの前でおのれの強さを証明する──グリモアを救うのは、この俺だ」



 傲然ごうぜんと言って、きびすを返す。その貴族服がほとんど汚れていないことに──激昂げっこうしたアスターと戦っていながらかすり傷も負っていないことに──初めて気が付いた。



「そのときまで、精々励むんだな……」



 エヴァンダールが地面に落ちた丸突剣を悠々と踏み越えて歩み去っていく。その背中をアスターは見送った。

 敗北の苦みを噛みしめながら……。



  ☆☆



「お兄様……」



 柱の影から声をかけてきた女に、エヴァンダールは歩みを止めた。


 褐色の肌に黒髪、布地をたっぷりと使った繻子サテンのドレス。同じ顔立ちをした妹王女は、ひとけがないのを確かめて、エヴァンダールにそっと歩み寄る。


 エヴァンダールは、人知れず笑みを深めた。



「カトリーナ……悪いヤツだな。部屋に戻ってろって言ったのに。俺がアスター・バルトワルドと戦ってるときから、ずっと見ていたな?」


「ずるいですわ、アスター様とだけ」



 誰も見ていないのをいいことに、カトリーナが兄にしなだれかかる。その瞳が熱っぽくうるんで、頬がピンク色に上気していた。


 困ったヤツだ、とエヴァンダールは頭をいた。


 アスターやジェイドの前ではこらえていたのだろうが──胸を苦しげに上下させている。熱い呼気が、エヴァンダールの髪をもどかしげに揺らす。……耳元でそっとささやいた。



「……欲しいのか?」


「……っ。もう、限界……」


「やれやれ。かわいいヤツだ」


「──。んっ……」



 柱の陰の暗がりで──

 妹に求められるまま、エヴァンダールは唇を重ねる。

 カトリーナの喉がこくりと上下して、ドレスの胸の谷間を、大粒の汗が滑り落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る