第5章2話 希望の光


 ──まぁ。またこんな難しい問題を解いたの?

 ──すごいわ、エヴァンダール。自慢の息子よ。

 ──それに比べてはこの子は……。

 ──同じ双子なのに、どうしてこうも違うのかしら。

 ──あなたもお兄様を見習いなさい……。



『……はい、お母様』



 母のたおやかな手が自分と同じ顔の子どもをなでるのを見て、カトリーナは床に視線を落とした。


 勉強も教養も何もかも、同い年の兄に遠く及ばない。カトリーナがどんなにがんばっても、なんでもそつなくこなすのは兄の方で、褒められるのもいつもそう。


 誰もいない庭園の片隅でひとりになると、うずくまって泣いた。ドレスを汚したら、また怒られるのに。……そう思うそばから涙と鼻水で汚れていく。


 どうしてこんなに要領が悪いんだろう。

 思うようにならない自分のちっぽけさが悔しくて、みじめで、悲しくて……。


 でも──


 ……さみしくはなかった。

 泣いていると必ず、エヴァンダールが来てくれたから。


 カトリーナと同じ褐色かっしょくの肌に黒い瞳。放っておいてもはねるくせっ毛だけが違う。

 エヴァンダールは、カトリーナのまっすぐな黒髪をなでた。気に入ったように。



『母様の言うことなんか気にするな』


『でも……』


『誰がなんて言ったって、カトリーナのことは俺が守ってやる。たったひとりの大事な妹だからな』



 そうやって兄が言うたび、カトリーナの心はほんのりと温かくなる。

 自慢の兄──エヴァンダールがいたから、カトリーナはあの城で生きてこられた。


 容姿端麗で優秀な──「完璧」な王子。


 そんな兄の進める亡者研究の一翼いちよくになえると知ったとき、どんなに嬉しかっただろう。

 カトリーナにとって非凡な頭脳をもち国を救おうとするエヴァンダールは誇りだった。



『カトリーナ……おまえはかわいい妹だよ。俺の誇りだ』



 兄のためなら、なんでもできると思った。

 亡者と戦って戦場を駆けることも。

 兄の研究する秘技を、この身に宿すことも。


 カトリーナのことをまっすぐに見てくれたのは、必要としてくれたのは……エヴァンダールだけだった。

 その兄が言った。



『──亡国ノワールの英雄が生きているらしい』


『…………ノワールの、英雄?』


『あぁ。防国の双璧──アスター・バルトワルド。そいつと相棒パートナーになれ』


『……』



 エヴァンダールがおもしろそうに言うのを聞いて、カトリーナは眉を上げた。……相棒という響きに。


 カトリーナは兄さえいればよかった。

 他の剣士なんか、いらない。

 エヴァンダールがいてくれれば、それでよかった……。

 でも──



『この国の救世主すくいになれ──カトリーナ』



 ──それがエヴァンダールの願いなら……従う。


 エヴァンダールが「光」で、カトリーナが「影」。

 ずっと、そうやって生きてきた。

 強い光に、影は寄り添う。

 エヴァンダールは、カトリーナの希望ひかりだった……。



(…………)



 物思いにふけっていたカトリーナは、ふと、天幕テントの外から聞こえてくる物音に耳を澄ませた。

 取り次ぎの侍女たちが慌てる声がする。



「お待ちください、アスター様! その先はカトリーナ殿下の天幕で……アスター様!?」



 天幕の戸口に現れた青年の冴えざえとした怒りに、空気が張りつめるようだった。

 カトリーナの侍女たちにかまわず、まっすぐ歩を進める。蒼氷アイスブルーの瞳がカトリーナひとりを映して。


 ──カトリーナの闇色の瞳も、青年を射抜いた。

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