第5章3話 無知の代償

 アスターの有無を言わさぬ訪問に、カトリーナの侍女たちが目をいた。



「いきなり王女殿下の天幕に押し入るなんて無礼な……! カトリーナ様、すみません。すぐに衛兵を呼んで──」


「……あなたたち、下がりなさい」


「ですが……」


「相棒同士、大切な話があるのです」



 カトリーナの命令で侍女たちが引き下がる。天幕を去る彼女たちから気遣わしげな、責めるような視線が向けられた。……けれど、今のアスターにはどうでもいいことだった。


 天幕には毛皮の絨毯じゅうたんが敷かれ、戦場には不釣り合いな猫足のティーテーブルと椅子が置かれていた。

 テーブルには今し方れられたばかりの紅茶とスコーンが置かれていて、スコーンにはベリーのジャムとクリームが添えられている。


 その椅子に収まっている女に、アスターは歩み寄った。

 戦闘を終えて、頭に血がのぼったまま。



「どうしてあんな……残酷なことができる! 魂解析アナリスとは何だ。エヴァンダールの研究っていうのは、いったい何なんだ!」


「…………」



 カトリーナは闇色の瞳をすがめた。



魂解析アナリスは、亡者どもの存在を、その内臓された魂ごと消し去る魔術。エヴァ兄様が開発した、亡者の魂の組成式を『解析』して『書き換えて』滅する秘技ですわ。巫女たちの聖性によらず、亡者どもを倒すための」



 カトリーナが淡々と言う。まるで料理の手順でも話しているみたいに。

 ……それがひどくアスターのかんに障った。胸がまるような怒りに、声が震えるのを止められない。



「そんなことをして何になる。亡者たちのあの苦しみが見えないのか。おまえたちがやっていることは死者の魂をいたずらにもてあそんでいるだけだ!」



 アスターの憤りにカトリーナは目を見開いて……肩を震わせて笑い出した。くつくつと……やがてこらえきれずに腹を抱える。



「…………何がおかしい」


「だって、てっきり無理矢理、相棒にされたことを怒っているのかと思ったら……。あはは。あはははは! 防国の双璧ともあろう方が……亡者を心配してるの? まるで人間みたいに! あいつらはねぇ、異形の化け物なの。ひとを食らう怪物なのよ!」


「……もともとは人間だ」


「死者の魂のなれの果てだから、なんだって言うの? そんなもの、この世に未練を残した方が悪いのよ。忘却レテの河も渡れなかった弱い魂が地上をさまよって、生きている私たちを滅ぼそうとするなんて!」


「…………好きで亡者になったわけじゃない」



 カトリーナは目尻の涙をぬぐった。



「えぇ、そうね。あなたの相棒だったおきれいな謡い手様だったら魂送りしてくれたでしょうね。……でも、ここはノワールじゃないの。死者の魂がどうなろうが誰も気にしない」



 ギリッと、アスターは奥歯を噛んだ。


 ──カトリーナの言うとおりだった。自分が言っていることがきれい事だと、アスター自身もわかっている。


 亡者と戦うのが自分の仕事で、カトリーナたちが魂解析アナリスをしなければ、こちらの犠牲は増えるばかりだ。


 けれど──

 胸に、どうしようもない虚無感が広がっていく。

 …………誰も救われない、こんな戦いは不毛だ。

 闇雲に相手を憎み、悲しみのままに傷付ける。いらないものだからと、最初からなかったことにする。

 そんなのは、もうたくさんだ。



「俺はあんたの考えにも、エヴァンダール王子のやり方にも賛同できない……!」



 その言葉に──

 カトリーナの瞳が怒気どきに染まった。



「何も知らないくせに、エヴァ兄様のことに口出ししないで!」


「!?」



 黒髪の王女がさっと青ざめて椅子から立ち上がる。その闇色の瞳に、亡者に向けていたのと同じ憎しみが宿るのを、アスターは見た。



「私たち兄妹きょうだいがどんな想いで生きてきたかも知らないくせに……! あなたなんか、ただのノワールの亡霊よ。エヴァ兄様の命令じゃなかったら、誰があなたなんかと相棒になるっていうのよ!」


「なっ……! そっちが押しつけたんだろう。俺だって相棒になる気なんかなかった」



 カッとして、アスターは言い返した。腰の剣を抜き放たないように、全神経を集中させなければならなかった。

 不死鳥の紋章が刻まれた剣。ひとの命も、亡者の魂も、軽く斬り払えるような……──だが。

 カトリーナの次の言葉に、凍り付いた。



魂解析アナリスの研究だって……──もともとノワール王国がしてたのに!」


「……!?」



 ……何を言っているのか、頭が理解を拒んだ。

 魂解析アナリスが、もともとは……ノワールの研究?

 驚きに目をみはったアスターに、カトリーナは笑みを引きつらせて、あはっと笑った。



「…………なぁに、その顔。まさか知らないの? ノワール王家が長年してきた研究」


「……何のことだ」


「あきれた。あなた、クロード王子の側近だったんでしょ? それとも、本当にお飾りだったの? 防国の双璧なんて呼ばれていながら、何も知らず知らされずに……のうのうと過ごしてきたっていうの?」



 クロードの名前を出されて──アスターの背筋がぞわりと粟立った。亡者の研究で先進的だった、滅んだ祖国。


 カトリーナは砂糖壺の中の角砂糖を紅茶に入れ、苛立いらだったようにカチャカチャと音を立てて掻き混ぜた。銀のスプーンがカップの底を掻いて、耳障りな音を立てる。

 ……おもむろに立ち上がった。


 カトリーナが唇をなめる。赤くてなまめかしいその色が、アスターに迫ってきた。ゆがんだ笑みを引いて……吐息が触れそうなほどの距離でささやいた。



「むかぁし、まだこの大陸に亡者がいなかった頃──ヒトは人間同士で争っていた。国同士がみにくく争い、弱小国をのみ込んでいたの。そんな中、国力の劣るノワール王国は、生き残りをかけて秘密裏に研究していた──死なない軍隊の研究」


「死なない……軍隊?」


「そうよ。殺されても死なない、疲れも飢えもしない不死の兵士を作る研究」


「……バカバカしい。そんなの、亡者とどこが違──」



 言いかけて、アスターははっと口を閉ざす。


 殺されても死なない。

 疲れも飢えもしない。

 それでは、まるで……──


 カトリーナは、にんまりとわらった。



「ひとを不死にする研究──その失敗作が亡者だとしたら?」


「……!?」


「あなたが所属していた葬送部隊が最先端だったのは、もともと亡者という存在を生み出したのがノワール王国だったからよ。ノワールの生んだ悲劇の研究──亡者はその研究のなれの果て!」



 ──戦慄せんりつが、アスターを貫いた。

 思考が真白く抜けて……。

 相手の言葉を理解するのを、脳がこばんだ。



「……嘘、だ……!」



 アスターの動揺を見てとって、カトリーナがくすくすと嗤う。満足げに。

 アスターの背筋がぞくりと粟立った。

 否が応でも思い出すのは、交易町リビドで再会したときのクロードの言葉だった。



『生者と死者の世界の境界にある〈死者の門ゲート〉開いて──ルリアの魂を迎えにいく』


『要するに、魂送りの逆だよ。死んだ肉体を離れた魂を、彼岸からび戻すのさ』



 生前、クロードは確かに、魔術を使って死者の魂を現世に呼び戻す秘技を

 反魂はんこんの術で、メルの肉体カラダを使って死んだ婚約者ルリアの魂を喚び戻そうとした。

 クロードが魔術師の女に死者の魂を喚び戻させるのも、それが実体となって亡者になるのも、実際にこの目で──見た。


 でも、まさか……。

 ノワール王国が、亡者を生み出した……?


 ふらりとよろけたアスターを、カトリーナは憐れんだようだった。その唇があやしくゆがんだ。



「かわいそうなひと……。なぁんにも知らないのね。エヴァ兄様はただノワールの研究を引き継いだだけ。ノワール王国こそが、自分たちが産み落とした亡者で世界を滅びに導いた──真の『悪』なのよ!」


「……黙れ」


「聖性の研究も葬送部隊の整備も最先端で、他国にいいひとヅラして技術提供して、そのくせ自分たちの失態の尻ぬぐいをさせてたんだから笑わせるわよね。その上、自分たちの生んだ亡者で滅ぼされるなんて、とんだお笑いぐさだわ!」


「…………っ!」


「──ねぇ、ノワールの英雄様、」



 カトリーナの指が、アスターの胸元を妖しくなぞった。ネイルで真っ赤に染まった爪。狂ったように嗤うカトリーナの、闇色の瞳が、迫って。憎悪をこめたその目が、アスターをとらえて放さない。


 窮地きゅうちに追いつめられて逃げられない憐れな獲物をなぶるように……告げた。



「あなたの大好きなクロード王子は、どこまで知っていたのかしらね……?」



 カトリーナの口にしたその言葉が……──

 アスターを真に打ちのめした。



  ☆☆



 それから──

 どこをどう歩いて兵舎の自分の部屋まで戻ったのか、アスターは覚えていない。

 ……今の今まで。

 何も知らず、知らされず。

 ただ英雄と担ぎ上げられて──

 何かを守ったつもりになっていたのだろうか。

 ノワール以外の国の苦しみも──

 自国の犯した罪も知らないまま……。



「──っ」



 震える指でコップの水を一息にあおろうとして──手が滑った。透明な液体が机の上にき散らされる……その冷たさに、半ば我に返った。



(……落ち着け。そんなことが本当にあるのか? ノワールにいた頃のクロードが、俺やルリアにも内緒で──)



 ──そこまで考えて。

 アスターは、みずからの思考に総毛立った。

 聖性の強さを認められ、幼い頃にエインズワース公爵家に引き取られたと言っていた謡い手ルリアは──だ。


 クロードに対して、自分とルリアが彼女の出生の秘密をひた隠しにしたように──

 が、自分にノワールの真実を隠さなかったと言えるだろうか。

 みずからの出生以外のことも、秘密にしなかったと言えるだろうか……?



「……っ。何も知らなかったのは、俺だけなのか……?」



 ずっと──

 亡者のいない平和な世界を目指して戦っていた。

 ノワールの人々を守るために戦ってきた──そのはずだった。なのに、亡者を創り出したのがノワールだというのなら。

 自分たちは、何のために戦ってきた?

 いったい、何を、目指して……──?



(…………っ!)



 正しいと思っていたものが揺らぐ。信じていたものがガラガラと音を立てて、足元から崩れていく。


 我知らず、チュニックの下に提げた十字架ロザリオを握りしめた。死んだ相棒が遺してくれた形見は沈黙したまま。慈愛の光をこぼすこともない。



「クロード……ルリア……! 教えてくれ。俺は、何を信じればいい……っ」



 美しい思い出の中で──

 微笑んだふたりは、何も語らない。

 問うべき者たちもいないまま、体温のない石壁が、アスターの叫びをむなしく吸い取っていった。

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