第4章2話 殲滅の宴

(……? なんだ?)



 異変に気付いたのは、亡者の群れに突っ込んでからだった。


 またたく間に、乱戦になった。

 見渡す限りに亡者の群れがあり、ともに戦う兵士たちがいて、荒れ狂う堕気だきが戦場を狂気に塗り替えていく。


 アスターの背後に迫った亡者の追撃を、大ぶりの剣が受け止めた──ジェイド・ルミールだった。



「よぅ、アスター。相変わらず腕はなまってないな」


「隊長……何かおかしい。亡者の数が減らない」


「……うん?」



 ──魂送りが間に合っていない。

 ……剣士と相棒を組んでいるはずの謡い手たちの姿が見えない。

 冷や汗がアスターの背筋を伝った。


 これが町の護衛仕事なら、いい。

 亡者どもを蹴散らしている間に護衛対象を逃がし、安全を保証したところで自分たちも逃げる。謡い手のいない戦闘なら。

 ……けど。


 今、自分たちがやっているのは、戦場に現れた亡者の殲滅せんめつだ。


 これだけの数の部隊である。

 剣士たちが斬ったそばから魂送りをするのでなければ、たちまち再生する。疲れを知らない亡者どもに対して、消耗戦しょうもうせんを強いられることになる。


 いくら騎士といえど、怪我もすれば疲れもする。人間は、無限には戦えない。

 魂送りがなければ……いずれ果てる。



「悪いな、アスター。これがこの国の戦い方だ」



 亡者の手を豪快に斬り飛ばしながら、ジェイドは苦み走った笑みを引いた。



「謡い手の数が、絶対的に足らない。最新鋭の葬送部隊に所属してたおまえにはわかんねぇだろうがな、ノワール以外の国はみんなこの課題にぶち当たってんだ。力のある謡い手なんて、そう育つもんじゃねぇ」


「……! どうして……」


「──聖性だ」



 ジェイドの答えに、アスターは愕然がくぜんとした。

 死者と通じる素質である聖性──街々の聖堂でもほんの一握りの巫女しかもたない、魂送りをするための資質。

 ジェイドの横顔から余裕が消えている。



「ノワール王国で相棒制度が成立してたのは、俺たちは剣士はもちろん謡い手も育っていたからだ。……けど、そりゃあ、ノワールの謡い手養成制度が整ってた賜物たまものだ。王国から外に出て、俺はそのことを嫌というほど思い知った……!」



 巫女の聖性をはぐくむ謡い手養成制度──ノワール王国の最新鋭の葬送部隊に学ぶため、当時、各国から優秀な巫女たちが派遣された。ある者は留学生として、ある者は客員教授として。


 実際、ジェイドがグリモアに派遣されたのは、当時最先端だったノワール王国の葬送部隊のシステムを伝えるためだった。


 だが、それも整いきらぬうち、ノワール王国自体が亡者によって滅ぼされた……。



「……っ!」



 躍りかかってきた亡者を一刀に斬り伏せて、アスターは舌打ちした。

 斬ったそばから、手足を再生させた別の亡者が襲ってくる──キリがない。


 いつしか谷底で戦っていた──当初は、亡者どもをここに追い込んで一網打尽にする予定だった。

 だが、亡者の方が優勢な現在いま、退路をふさがれたのは自分たちの方だ。


 足元に転がっているのは誰の死体か。

 再生しないのなら、誰の……──



「くっ……! 隊長、撤退の指示を。このままじゃ遠からず全滅する……!」



 アスターの提言に、しかし、ジェイドはにぃっと口のをゆがめた。



「防国の双璧が寝ぼけた戯言たわごと言ってんじゃねぇよ。それとも、田舎で平和に暮らしてるうちにもうろくしたか? うちは、うちの戦い方があるのさ──謡い手部隊、出番だ!」



 はっとして振りあおいだ向こう──

 崖の上にいた、カトリーナ王女と目が合った。


 ドレスのすそをはためかせた巫女たちが歌い踊る──そのどこかおどろおどろしい地響きのような歌を、アスターは聞いた。亡者との剣戟けんげきの向こうで。刹那せつな──


 谷底に、巨大な魔方陣が出現した。



「…………っ!?」



 谷底の岩やくいのいたるところに、文字を書き付けた呪符のようなものが貼ってあるのに、遅れて気付いた。魔方陣はそれを起点にして描かれているのだった。


 そして、強烈に濃く舞い上がる──魔術の気配。



(……!? バカな。謡い手が……魔術を使っているのか!?)



 本来は、謡い手よりもさらに稀少きしょうな魔術師──王都リングドールでも滅多にお目にかかれないはずの。


 カトリーナ王女を中心として、数十人の「謡い手」たちが魔術の呪符を手にして歌い踊っている。



「うっ……がぁぁぁぁ……! ぐぎゃあぁぁぁ……!」


「!?」



 周囲にいる亡者が苦しみ出して、アスターは愕然とした。

 戦闘で弱らせたはずの亡者が、胸を掻きむしり苦しんでいる。



(なんだ、これは……。魂送りじゃない!?)



 ぞわり、と戦慄せんりつがアスターを襲った。


 亡者がそこかしこで断末魔の慟哭どうこくをあげる。もとから腐り崩れている四肢ししを苦しみに痙攣けいれんさせ、苦痛から逃れようと必死に伸ばす。


 光を宿さないうつろな眼窩がんかがアスターに向けられた──肉が溶け崩れて泣いているようだった。



(……っ!?)



 剣をもったまま、思わず駆け寄ろうとした。

 なぜそうしようと思ったのかわからない。

 さっきまで生死を賭けて戦っていた相手のはずだ。

 ひとを食らう異形の化け物のはずだ。

 なのに……。



「    」



 剣をもたない方の手を、差し伸べようとした刹那。

 亡者の口が声なき「声」をつむいだ……気がした。


 魔方陣の輝きは力強さを増していく。


 亡者たちの腐肉ふにくが、見えない光線でも浴びたかのようにボロボロと落ちて溶け崩れていく。


 苦しみもだえながら、必死にアスターの手をつかもうとする──その手が、触れようとする端から引き裂かれるようにちりに変わっていく。



「ぐぎゃああぁぁ…………っ!」


「!?」



 癒やしの光に浄化されて薄緑色の光の球に変わるはずの亡者の魂──それが青空に解き放たれずにちていく。


 未練を残して地上をさまよう憐れな魂たちが──

 魂送りをされることもなく、消えていく。


 非業なまま──

 無念なまま──

 とむらわれもせず、その存在を否定されていく。



(…………っ!)



 謡い手たちの歌と踊りが、終わって──

 魔方陣の、その最後の燐光りんこうが消えた。


 生き残った兵士たちが、歓喜に沸いた。

 まるで亡者など最初からいなかったみたいに……。



「勝った! 勝ったぞぉぉ! カトリーナ様バンザイ!」


「謡い手部隊、バンザーイ!!」


「我が軍の勝利だぁぁぁっ!!」



 その狂騒を、どこか遠い世界のことのように聞きながら──

 アスターは谷底からカトリーナを見上げた。


 無表情に亡者どもを消し去った黒髪の謡い手。

 相棒とされた女を見ながら、どうしようもない敗北感が、アスターの胸を黒く染め上げていった。



「…………! どうして……!」



 歓喜する兵士たちの中に、こぶしを固めたアスターのつぶやきを聞く者はいない。

 存在を消され苦しむ亡者の手を、つかめなかった左手……。


 ──その日、サングリナ渓谷けいこくにおける亡者との戦いは、人間グリモア側の勝利に終わった。

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