第4章 殲滅の宴

第4章1話 過去からの問いかけ

 

 切なる葬送の調べが、青空に溶けていく。


 魂送たまおくりされた亡者どもの魂──その薄緑色の光の球がふぅっと舞い上がり、地上のくびきから解き放たれたように消えていった。


 それを見送って、プラチナブロンドの髪をなびかせた女がたたずんでいる。


 戦場にあってもなお白さを失わない巫女の聖制服。アメジストの宝杖ロッドが地に着いて、踊りの終焉しゅうえんを静かに告げる。


 剣士とうたい手──葬送部隊で互いに命を預けあう相棒パートナー


 足元に、戦場と呼ぶには不釣ふつり合いなほど美しい花畑が広がっている。

 亡者のいなくなった今、小ぶりなすみれ色の花々が静かに、風にそよいでいた。

 立ちこめていた腐臭ふしゅうが晴れるにつれて、やわらかな花の香りが漂ってくる。



『亡者を葬送おくるとき、何を考えてるんだ?』



 ルリアはアスターが近づくと、まぶしそうに目を細めた。

 亡者の魂が昇っていった空を見上げて──微笑んだ。



『地上をさまよえる憐れな魂たちが、空の向こうのきれいな場所にいけますように……かしら』



 アスターはうなずいた。

 彼女らしい答えだと思った。


 亡者との戦いに明け暮れながら、ルリアの瞳に憎しみはない。

 あるのは、ただ慈愛の光。地上をさまよえる魂が実体化した亡者をも優しく包み込む眼差し。


 その同じ眼差しをアスターに向けて、ルリアは言った。



『アスターは? 亡者と戦ってるとき、何を考えてるの?』


『…………俺?』



 自分からした質問だったのに、アスターはとっさに答えることができなかった。


 戦っているときは夢中だから考えたこともなかった。

 戦闘のときに頭をめぐっているのは、亡者どもの配置、自軍の戦略、生き延びるための活路……だが、ルリアが問うているのは、そんなことではない。


 どうして亡者と戦うのか、と問われている気がした。

 主人であるクロードのためとか、ノワール王国のためだけではない──……アスターにとっての理由。


 アスターは、降参の意を込めて肩をすくめた。



『……。次、戦うときまでに考えとく』


『あら。宿題?』



 名門セントバース大聖堂きっての主席卒業生は、いたずらげな笑みでくすりと笑う。亡者をも魅了しそうな微笑みで。


 アスターは、ルリアほど明確な理由をもちあわせていない。

 亡者に対して慈悲も慈愛もいだかない。



『──でも、』


『?』


『……憎いから戦ってるわけじゃない、と思う』



 たとえ亡者がひとを食らう存在であっても。

 いくつもの国をのみ込み、滅びに向かわせたとしても。

 死んだ者たちの魂が忘却レテの河を渡ってきれいな場所に逝くというのなら──

 亡者でさえも、救われる存在であってほしい。

 そう思うのは、ただのきれい事だろうか……?


 アスターの答えに、ルリアは微笑む。

 黄玉色トパーズの瞳をなごませて、嬉しそうに。



『……そんなあなたたちだから、守りたいって思うの』


『……『たち』?』



 けげんに訊き返したアスターには答えず、花畑の中をルリアは歩いていく。上機嫌に。

 すみれ色の花びらが、風にさらわれて舞っていた。



  ☆☆



 その戦場には、かつてよく嗅いだ臭いが充満していた。


 まだ土に還りきらない墓地のひつぎを開け放したかのような屍臭ししゅう──だが、まだ部隊の兵士たちに死傷者が出たわけではない。


 彼岸から舞い戻り実体化した亡者どもの腐った肉やまとった襤褸布ぼろぎれ……それが悪臭を撒いて大地を浸食し、やがては植物をも枯らせ腐敗を広げていく。


 ジェイド率いる葬送部隊に参列しながら、アスターは馬上で目をすがめた。


 視界に広がるのは、亡者どもが進退を繰り返すせいで荒涼とした大地。亡者と葬送部隊の戦線が膠着こうちゃくして久しいことを示していた。


 グリモア西部アルカーナ領第七駐屯ちゅうとん地。

 ここでは亡者との戦闘が日夜、行われていた。



「……お待たせしましたわ」



 丘の上から戦場をながめるアスターのもとに、女が馬を走らせた。

 戦場にドレスで馬を駆ける巫女──一瞬、ルリアの面影が頭をよぎった。


 蒼氷アイスブルーの瞳を見開いて──

 褐色かっしょくの肌に黒髪の女が、馬上で小鳥のように首をかしげるのを見た──カトリーナ王女。



「……何か?」


「……いや。なんでもない」



 足元の水たまりに、自分たちの姿が映っていた。

 グリモアの将校服に、不死鳥の意匠をほどこした剣──その姿に、自分でもひどい違和感を覚えた。誰か知らない他人が映っているようで……。

 ふと、顔を上げた。



「その格好で戦うのか?」



 カトリーナの服のことである。

 先日、謁見室えっけんしつで出会ったときの薄衣うすぎぬのベールはなかったが、刺繍ししゅうをふんだんに使ったドレスは健在で、足元だけがヒールではなく編み上げのブーツに変わっていた。



「あら。ノワール王国の謡い手は巫女の聖性服で戦うと聞きましたわ」


「それはそうだが……。魂送りの杖はどうした?」



 魂送りをするため、謡い手が自らの聖性を集めるための杖──王族なのだから、短杖ステッキといわず宝杖ぐらいもっているだろうという思惑は、カトリーナにくすりと一笑された。



「我が国の葬送部隊には、我が国の流儀があるのです。アスター様にも、それを教えて差し上げますわ」


「……?」



 どういうことだ、と問い返そうとしたそのとき──

 亡者が出たという警告が、全軍に響いた。

 カトリーナは、ひらりと馬首を返した。



「騎士様方のお邪魔はしませんわ。存分に戦ってくださいませ──『防国の双璧』殿」


「…………」



所詮しょせん、『英雄』も『謡い手』もお飾りか……)



 エヴァンダール王子の冷笑が浮かぶようだった。

 アスターも手綱を引いた。


 もとより、半ば無理矢理「相棒」にされた王女に頼るつもりはない。


 おそらくは、ただの象徴なのだろう。防国の双璧という称号も……謡い手たる王女も。


 よくあることだ。求心力のある者たちが戦場を駆けることで兵たちの士気を高め、民衆にもアピールするための……こま


 あの様子だと、カトリーナ王女に実戦経験があるのかも怪しい。

 けれど、アスターはお飾りにされてやる気などない。



(ここが亡者を相手取る戦場だっていうなら、なすべきことをするだけだ……)



 ジェイドの号令のもと、亡者の群れへと馬を駆った。

 味方の兵士たちに向かってなだれてくる亡者どもを問答無用に斬り伏せていく。


 亡国の英雄の猛攻もうこうに、兵士たちがいた──エヴァンダール王子の思惑どおりに。



(…………っ)



 身体が戦いの火照ほてりに包まれるのとは裏腹に──

 アスターの胸を、むなしさが吹き抜けていった。

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