第2章3話 旧知の仲

 なんでもない日々は、メルの横を、素知らぬ顔で通り過ぎていった。


 商人ギルドで手伝いをして、ピエールに帳簿付けを直してもらい、パルメラの雑務を片付ける。アスターが護衛仕事から帰っているときには彼の分も簡単な夕飯を作って、宿の小さな個室で、ふたりで食べる。


 アスターがカルドラ聖堂長のイリーダに訊いても、メルが魂送りできなくなった原因はわからなかった。


 魂送りをするうたい手たちの中にも、ごくまれに、心理的な理由で魂送りができなくなる者たちがいるという。もっぱら、それは死者への忌避感きひかんや戦場に立つ恐怖ゆえだった。


 以前、リビドの廃鉱で百体の亡者どもと戦ったこと──ひいては、たくさんの死に触れたことが心の傷になったのではないかと、イリーダは愁眉しゅうびを寄せた。


 多感な十四歳の少女として、本来なら当たり前にもっているはずの、戦いへの忌避感──奴隷として過ごすうちに麻痺させていたであろうそれが、平和な生活を送ることで出てきたのだろう、と。


 アスターがイリーダから聞いてきたという説明を、メルはどこか他人事ひとごとみたいに聞いた。

 すべては憶測だった。

 メルの中でも、確たる実感はどこもない。


 穏やかな生活の中で、どこか自分がいないようなあいまいな感覚だけがあって──

 ……ただ時間だけが過ぎていった。



(…………あれ?)



 その日、商人ギルドから帰ろうとしたメルは、商館の玄関の傘立てに見覚えのあるクリーム色の傘を見つけた──持ち手のところに、ビーズのストラップがついている。



「パルメラさん、これ……」


「あぁ、さっき来たお客さんがもってきたんや。ギルドのヤツに傘借りたのを返しにきたんやと。なんや、メルちゃんのやったんか?」


「え。でも、クリーニング代……いえ。そのひと、もう帰っちゃいました?」


「まだ奥の商談室にいると思うで? ちょうどお茶替えに行ったろかと──」


「私、行きますっ」


「あ。ちょっと待ちぃや、メルちゃん。そのひと──」



 パルメラがもっていたお盆をひったくるようにして、メルは商談室に向かった。

 勢い余ってノックも忘れそうになり、寸前で息を整える。

 少しよそゆきの声で入室を告げて──

 ……中にいた人物に、目をみはった。



「アスター? なんでここに……」


「……メル、」



 部屋に飛び込んできたメルに、アスターは少し驚いた顔をした。

 泊まりがけの護衛仕事から帰ってきたところらしく、砂塵さじんで汚れたままの外套と旅荷物が商談室の片隅に置いてある。

 対面のソファにいるのは、先日の熊男だ。



「あ、あれ? アスターのお客さん?」


「おぉ。この間のお嬢さんか。世話になったなぁ!」


「──『世話』?」



 話についていけず、アスターがけげんに眉をひそめる。



「……隊長と知り合いか?」


「タイチョウ……さん?」



 思わず疑問を口にしたメルに、相手が笑い出す。



「はははっ。こいつが十六、七のひよっこのときの部隊長でね。あっという間に追い抜かれてしまったが」


「からかわないでください」



 かつての部下に言い返されて、男はむしろ楽しそうだ。



「本当のことだろ? おかげで俺はノワール王国じゃ芽が出なくなってグリモアで世話になることになったわけだ」


「ご冗談を。グリモアの要請に応えての特別派遣のくせに……。それと、隊長が出世しないのと、俺がどうのっていうのは関係ない」


「言うねぇ」



 ふたりの男は親しげな様子で軽口をたたく。

 滅多に見ないアスターの姿に、メルは目を白黒させた。



「──メル。こっちはジェイド・ルミール隊長。ノワールにいた頃に所属してた葬送部隊で世話になった」


「ははっ。まさかあのツンツンした生意気なガキが防国の双璧なんて呼ばれるようになるとは思わなかったな」



 ジェイドがアスターの昔の称号を引き合いに出して、にっと笑う。

 アスターは心底嫌そうな顔をした。



「……昔の話です」


「あぁ、あのルリア・エインズワースも死んじまったしな……。あの頃はすごかった。おまえとルリアで向かうところ敵なし。おまえらの話、グリモアにまで届いてたぞ」



 ジェイドがつぶやくのを聞いて、メルの心臓が我知らず跳ねた。


 ルリア・エインズワース──かつてノワール王国で魂送りをしていた稀代きだいの謡い手。

 戦場で一度に百体の亡者を葬送おくった凄腕の巫女──今はもういない、アスターの相棒パートナー……。



「……」



 アスターは黙っている。

 まるで忘却レテの河の向こうに逝った元相棒の面影に想いをせるかのように。



「……クロード王子のことも残念だったな。おまえらの間で何があったか、くわしいことは知らないが──おまえがこの町で見送ってくれたんだろう。感謝する」


「…………いえ、」



 リビドの廃鉱での出来事に想いを馳せて、ふたりの会話を聞いていたメルも悄然しょうぜんと視線を落とす。

 しんみりとした空気の中で、ジェイドの眼差しが不意に揺れた。



「……でも、おまえの剣の腕はびついちゃいない。噂で聞いて、俺ぁぶったまげたさ。亡者十体を一度にぶっとばす流れの傭兵がいるって。しかも、双頭の獅子ししの紋様が刻まれた剣をもってるっていうじゃねぇか。真相を確かめにきたら──おまえがいた」



 ──生きててくれた……と。


 ジェイドの瞳に宿った暗い光を、メルは見た。

 出会った頃のアスターを思わせる……永きにわたる亡者との戦いにんだ者の退廃。

 故国を亡者に滅ぼされた、吹き荒れる悲しみ……。



「この世界を見ろ。亡者がはびこりひとを襲い、腐敗が町や村をのみ込んでいく。たった数十年で国の数が三分の二に減った。救いが必要なんだ──だから、防国の双璧だ純白の戦乙女だともてはやす。救いようのない現実を前にして、ひとの心はもろい。すがるものがねぇと……倒れちまう」


「…………」



 黙り込んだアスターに、ジェイドは元の笑顔に戻ってみせた。

 さっきまでの陰鬱な表情を、きれいに包み隠して。



「……だから、おまえの活躍には期待してるんだ」



 まるで我が子の成長を見守る親にも似て──

 嬉しそうに、ひそやかな声でんだ。



  ☆☆



 ジェイドを見送って、メルと一緒に商談室に戻ると、パルメラがいた。慣れた手つきでお茶とポットを片付けている。

 部屋に入って開口一番、メルが叫んだ。



「あーっ、パルメラさん!」


「あぁ、メルちゃん。お客さん、帰ったんか? ここはもうええから、アスターと一緒に帰って──」


「いいです。私、やりますっ」



 パルメラが目を白黒させるのもかまわず、ひったくるようにしてお盆をもつ。かと思うと、



「アスター、玄関で待っててくださいね」



 パタパタと給湯室に向かっていった。

 見送ったパルメラが、ぽかんとして言った。



「……メルちゃん、大丈夫か?」


「張り切ってるな」


「張り切りすぎてるんとちゃう? 最近、なんか変やで」


「あぁ……」



 目配せされたアスターは、黙って首をすくめた。

 メルが魂送りできなくなった件は、パルメラにも伝えてある。

 心の不調が原因かもしれないことも。

 パルメラは思案顔で扉の方を見たあと、おもむろに、アスターの方へ向き直った。



「──で。何の話やった?」


「……。何って?」


「とぼけんなや。まさか旧ノワール王国の葬送部隊の元『総司令官』様が、わざわざ思い出話に花咲かせに来たんとちゃうやろ?」


「……」



 にわかに鋭くなったパルメラの眼差しに、アスターは無言を返す。

 活躍を期待してる……そうささやいたジェイドの声が、頭蓋ずがいに残って反響していた。

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