第12話


 距離は目算で百メートル未満といった所。それでもなお輪郭をハッキリと認識できるのだから、大きさは人間よりも大きいのだと予測できた。


「やばいですよね。やばいですよ。逃げていいですか!?」


 僕の隣に居た根暗が震える声で叫んだ。


 威嚇にせよ何かの合図にせよ羽音と頭の向きからして此方の居場所はバレていると考えるべきだろう。


 幸せか不幸か、地球に現生する生物の傾向から鑑みるに捕食者は往々にして視覚を発達させるという特徴がある。その点から言えば、かの化け物は非捕食者なのだろう。


「落ち着け、目が見えないなら無暗に襲っては来ない」


 言って、思い直す。

 目が悪い草食動物の代表であるサイは、目が見えないからこそ視覚と嗅覚に頼って無暗矢鱈に突進をするのだと。


 いやいや、そんな事を考慮に入れ始めたらキリがない。


「とにかく、正面を向いたままゆっくり後ずさるんだ」


 まだ威嚇の段階ならば、相手が肉食動物でもごめんなさいで片が付く。


 僕は相手を刺激しないようにと狸に言い含めて、化け物との距離が最も遠い距離。つまり歩いてきた道と直角になるように誰よりも慎重に移動した。


 だが本当の不幸はここからだった。

 正面のエビが羽音を大きくした途端、僕らの後ろ側からも同じような音が聞こえてきたのである。


 それは今まで聞いていたよりも一オクターブ程高い音で、そして、正面のエビよりも近い距離にあった。


「囲まれちゃってる感じ?というか、間に割って入っちゃった感じじゃね?」


 僕としたことが。 短絡的に距離を稼ごうとして、逃げる場所を間違えてしまったらしい。

 だが、それでどうする?このままでは当然、囲まれて叩かれておしまいだろう。


「あ、だ、大丈夫でしょう。後ろの個体なら簡単に倒せそうですからな」


 そう言ったモヤシが狸の片を叩いたところで、ようやく僕も後ろを振り返った。一瞬、しかしその一瞬で見えたのは、僕らよりも少し小さいくらいの個体。

 やはり丘の下にいて、此方を見上げている。


「……引き返すってぇ、手もあるが」


 四十万はここでも冷静であった。僕も少し落ち着かなければならない。

 

 この場の最善手は何だ? 逃げる、引き返す、それもいい。

 番の内小さい方を殺して屍を踏み越えるというのも、それはそれで良いのかもしれない。


 ……というか、あれは本当に番なのだろうか。体格に差があったからなんとなくそう決めつけていたけれど、親子という線は?


 だとすれば、真っ先に思いつくのは狸に小個体を攻撃させること。倒して退路が明ければよし。一撃で絶鳴させられれば丘を挟んだ向こうには状況も伝わらないだろう。傷を負わせるだけでも効果はある。


 そして、その前に狸が親個体に襲われたとしても、それは必要経費だ。ここで鈴木を失うというのは少々痛いが、一人を囮に全員が助かるなら安いといえる。

 あのモンスターとしても子持ち個体なら子供が助かること以上に望むものはないはず。わざわざ危険を冒してまで逃げ惑う残党を追いかけるとは考えられない。


「おい、鈴木、小さい方を……」


 殺せ。そう言いながら退路を確認してみると、やけに煌々と輝いている。

 黒煙を巻き上げながら燃え上っているのだ。


 原因は昼間に使ったキャンプの不始末か、或いは空を舞っていた燃える羽か。


 しめた。

火を恐れない生き物は僕ら人間だけで、目の前の海老畜生は人間じゃない。

 つまりあそこまでたどり着くことが出来れば逃げ切ったも同然という事なのだ。


 あそこがゴール。

 それに所詮草の燃焼時間も長くはないし、奥にさえ入ってしまえば灰となった場所もあろう。


「できる、やれる、殺せる、仕留める、ここで決める……拙者なら」


 見れば鈴木は何やらブツブツと呟きながら既に手の平の前で小さな石ころを作り出している。

 ……だがその先が向いているのは親個体の方だった。


 狸は拳よりも大きくなった石を前に、左手で右の腕を支え。そして深く腰を落とす。

 直後彼の元から消えた岩石はその場に残像を残しつつ隕石のごとき軌道で丘の下へ。


 その時、親個体が何の脈略もなしに高く飛び上がった。視覚無いはずなのに。それでも、狸の放ったロックブラストは確実に避けられたのである。


 それは偶然か必然か。


偶然避けることが出来たというなら、何という事をしてくれたのだろう。黙って受けれいればいいところを、千載一遇のチャンスを運だけで切り抜けやがって。

 とはいえ必然的に、意図的に避けたのなら更に状況は不味い。


 どちらにせよ最悪な状況なのにも関わらず。飛び上がった親個体は、ジャンプした勢いをそのままに、どんどんと此方側へと近づいてくる。

 これはもう、僕だけでも先に逃げた方が良いのかもしれない。


 そんな事を考えている内に、狸が半狂乱で当てもなく逃げ出した。

 叫びをあげ、殆ど転がるような形で丘を下る。子個体の方へ。


「馬鹿野郎!! そっちは……」


 しかし、もはや自分でも止まれなくなったであろう状態で土と草にもまれた狸には、傾ける耳なんてものが残っているはずもなく。

 親を真似て飛び上がった子供の個体が彼の背中に飛び掛かった。


「健太」モヤシが呟く。


 親個体は子供に危険はないと判断したらしく、二人して丘を転がり落ちる光景に一瞥すらくれていない。

 せめて親のほうを引き留めてくれていたなら僕らが逃げ出すことも出来たろうに。まさか空撃ちした瞬間がトップスピードで実践では役に立たないとは思わなかった。

 思い返せば石を飛ばすまでに時間が掛かりすぎていたし、予備動作も多かった。

 その事を考慮せず実践でも戦えると計算していた僕のミスだ。

 まさに、取らぬ狸のなんとやら。


「あ、あああ……」 


 鈴木の最後を見届けたらしい根暗は丁度後ろに聳える親個体の前で力なく膝を付いた。反抗はおろか逃げる気力すら失ったらしく、ただ、遠くを眺めている。


 その時、親個体が持つ流線形の頭が先端からパックリと四つに裂けた。

 頭の中から現れたのはラフレシアの花にも似たグロテスクな口。内側には鋭いおろし金の様な歯が所狭しとビッシリ生えている。


 目が悪いなら肉食動物ではないと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 先ほどまでなら当然嫌だと思っただろうが、犠牲が決まった今となっては、海老畜生の食性が肉食であろうと構わなかった。

 なにせ草食なら相手を蹂躙する際に際限が無いのだ。決定的な安全が保証されるのは相手を全てを殺した後であり、相手を生かしている限り自らが脅かされる。


 反対に肉食なら腹を満たす事が出来る獲物を捉えられた時点で終わり。横取りされる前にきっと住処へ帰ってくれるだろう。


 頭頂部から生える触角を動かしながら根暗に近づく異形へ、しかし次の瞬間に四十万が飛び掛かった。

 根暗の異形の間に割って入る形だ。


 彼は今に根暗を飲み込まんとしていた大きく裂ける口にためらう事すら無く腕を突っ込み、ソレが閉じられることを阻止していた。


 蹴っては駄目だったのか、体当たりではだめだったのか。

 僕も、そして異形自身もそう思っていたであろう刹那の間。


 異形の口から青い液体が吐き出された。

 毒かとも思ったが、そうではない。

 異形は一度だけ大きく震えると、二度と起き上がらなくなったのだ。


 息絶えたらしい事は分かったのだが、何が起きたのかは分からない。

 まさか、マンティコアと戦った時の祥久と同じく能力に目覚めたのだろうか。


 そんな事を考えていたのも束の間。徐々に元凶が輪郭を帯びてきた。


 どうやら、石田がスキルを使って隠れていたらしい。

 彼が手に持っていた木の棒も、ゆっくりと認識できるようになってきた。


 しかし、喜んでいる暇はない。

 僕らは勢いを強めて迫る火の手から逃げるため、スキルのオーブだけを回収してその場を後にしたのだった。

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