退魔師学園の子孫たち

風間義介

退魔師学園の子孫たち

 日本のどこかにある廃墟ビル。

 その一角を高校生くらいの男が二人、懐中電灯もつけずに歩いていた。

 廃墟を舞台にした肝試し、という雰囲気ではない。

 二人の間に会話はなく、動画サイトやSNSにアップロードするための動画を撮影している様子もないうえに、片方の男は棒状のものを持っている。

 自撮り棒や歩行を補助するために使う杖のようなものではないらしく、布袋にしまわれているため、すぐに使うものではないらしい。

 とにもかくにも、廃墟を舞台にした肝試しをするには、安全管理が不十分な状態と言わざるを得ないが、そんなことはお構いなしに、二人はどんどん奥へと進んでいく。


「しかし、こんな場所が東京にあるんだな」

「空き家や入居者がいないアパートは増加傾向にあるからな。管理できていない、されていない物件がいくつあってもおかしくはないだろう」

「それはそうだろうが、正直、ぞっとしないぞ? いつも自分が歩いている道で見かけていた一軒家のすべてが実は空き家だらけでした、なんてよ」


 長物を持っている男が少しばかり身震いしながらそう話す。

 確かに、自分が歩いている場所にあるほとんどの家が空き家であり、人が住んでいる気配が薄すぎるという状態には、うすら寒いものがある。

 ともすれば、この街に、この国に存在している人間は自分一人だけなのではないか。

 そんな不安を、この男は感じているのだろう。


「なぜだ? 築年数の差はあっても、現代の家ならそこまで不気味さを覚えることもないだろ?」


 だが、相方の男はそうは思っていなかったらしく、あっけらかんとした様子でそう返してきた。

 感受性が低いのか、それとも恐怖や不安というものに対して鈍感なだけなのか。

 いずれにしても、こちらの男は感情を動かすことが少ない人間なのだろう。

 そして、相方の返答にまったく興味がないかのように。


「それよりも、暦」

「どうした、泰明」


 長物を持つ相方に視線だけを向けて声をかける。

 暦と呼ばれた相方は、その名を呼びながらどうしたのか問いかけようとするが。


「そろそろ来るぞ? 構えろ」


 自分たちの前方を見つめながらそう告げる泰明の言葉に遮られた。

 暦は文句を言うことなく、袋を閉じている緒をほどき、袋に入れていたものを取り出す。

 取り出されたものは、彼の身の丈ほどある白い柄をした太刀だった。

 室内で振り回すには不釣り合いなその太刀を鞘から引き抜き、平中段と呼ばれる、体を半歩引いた状態で、その切っ先を泰明が視線を向けている方へと構える。

 それからしばし、泰明と暦の息遣いだけが暗闇の中に響く。

 何かが来る、と警告を発しておきながら何も出てこない。

 脅かしやがって、とそのことに怒りながら、苦笑を浮かべる場面なのだろうが、暦はこの手のことで泰明が冗談を言ったり、からかったりすることがないことを知っている。

 静かに、暗闇の奥を見据え続けていると。


 ずる、ずる

 ずる、ずる


 何かを引きずる音が聞こえてくる。

 音に気づくが、暦は悲鳴をあげたり、泰明に声をかけたりすることはなく、音の主が姿を見せるまで、じっと息を殺して待っっていると、音の正体がその姿を視認できる場所まで歩み寄ってきた。

 白いワンピースのような衣服をまとい、長い髪を眼前に垂れ流し、左足を引きずりながら歩いてくる女性だ。

 彼女は、前髪が邪魔で視界がほぼないであろう状態にもかかわらず、暦と泰明侵入者の気配に気づいたのか、四つん這いになり、獣のような格好で迫ってくる。

 どうみても、普通の人間の女ではない。

 化け物、と形容した方がよさそうな雰囲気である。


「せいっ!!」


 だが、暦はそんな様子にひるむことなく、気合一閃。

 暦は向かってきた女の脳天にめがけて、切っ先を突き出す。

 だが、その軌道を読まれていたのか、化け物はその攻撃をあっさりと回避し、暦ののど元に食らいつこうと跳びあがる。

 くわっと開いたその口から覗く黄ばんだ犬歯と、鼻腔に漂ってくる強い生臭い口臭に顔をしかめながら、暦は体をひねり、その口から逃げた。


「あ、しまった!」


 が、化け物は暦に回避されると少し後ろにいた泰明に噛みつこうとまっすぐにそちらへと向かっていく。

 普通ならば慌てふためくか、仕留め切れなかった暦に向かって文句を言いながら逃げようとするところだが、泰明がとった行動はそのどちらでもなく。


「これでもしゃぶってろ」


 手のひらに収まる小さな塊を化け物の口の中に放り込むことだった。

 泰明の手から放り込まれたものを口で受け止め、奇しくも泰明が命じた通り、ころころと口の中で転がしていると、化け物は目をかっと見開き。


「ぐぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ???!!!」


 悲鳴をあげながら喉を抑え、悲鳴を上げながら地面に仰向けに倒れ、のたうち回った。

 何かとても強い刺激物をいきなり口の中に放り込まれたかのようなその反応に、暦は驚き、動きを止めてしまうが。


「ぼさっとするな! 斬れ、暦!!」


 泰明の怒号で我に返り、暦は手にした白刃の切っ先を苦しんでいる化け物に向け、振り下ろした。

 ざくっ、という音が響くと、のたうち回っている化け物の悲鳴が静まる。


「終わったぞ」

「お疲れさん」

「あぁ……だが、これでいいのか?」

「あぁ。証拠を持ち帰ってこい、と言われても」


 泰明は暦の問いかけに答えながら、動かなくなった化け物の方へ視線を向ける。

 体と首が離れ離れの状態になった化け物がそこには転がっていたが、その体の輪郭は徐々に薄れ始めていた。

 もともと、肉体を持っていない幽霊のような存在であり、首を斬られるというどんな生物であっても致命的な行為をされた結果、再度、『死』を認識させられたことで、存在が消滅しようとしているのだろう。

 こうなってしまっては、遺体の一部を回収することは不可能だ。


「これじゃ単位が取得できないんじゃ」

「そのあたりは大丈夫だろ」


 そう言いながら、泰明は自分の胸ポケットを指さし、トントン、と叩く。

 そこには、きらりと光る小さなレンズがあることに、暦は気づいた。


「小型カメラか?」

「あぁ」


 暦の問いかけに、泰明はうなずいて返す。

 証拠映像はあるから問題ない、とでもいうつもりだろうか、と推測した暦は、少しばかり言いづらそうにしながら口を開く。


「けど、幽霊なんかの霊的存在は電子機器と相性が悪いって言ってたじゃねぇか。その辺は大丈夫なのか?」


 暦が言うように、霊的存在と電子機器は相性が悪く、霊的存在の方はわからないが、電子機器の方はどういうわけか霊的存在を観測しようとすると、途端に調子を崩してしまうことが多々ある。

 また、カメラを活用して霊的存在の観測を試みた人間は過去にも多くいたのだが、そこで記録された写真も映像も、室内の粉塵や心理学的な錯覚、あるいは写真の現像ミスなど、科学的に説明がつくものばかりであり、その存在を証明する確証とするには不十分なものばかりであることが多い。

 よしんば、撮影に成功したとしても、なぜかその映像や音声の記録が残っていないことがほとんどであり、映像や画像で直接、彼らを測定しようとすることが電子機器ではほぼ不可能とされている。

 当然、小型カメラで撮影していたとしても、記録が残っていないのではないかという疑問が暦の中にはあるようだが。


「このカメラで撮影した映像は離れた場所で教師たちが観ている」

「……てことは」

「あぁ。見られているから問題は全くない」


 泰明が潜ませていた小型カメラは映像を記録するためのものではなく、離れた場所に待機している者たちに様子を見せるためのものであったようだ。

 記録も一応はしているのだろうが、オンエアで見てもらってもいるため、自分たちが霊的な存在と対峙し、討伐したことは証明できる。


「あっちでも測定はしているだろうから、おそらくごまかそうとかそういうことは考えないだろ」

「大丈夫だろ、その辺は」


 人間を信用しないというわけではないが、気に入る気に入らないというだけでなく、なんとなく、だとか気晴らしで他者に嫌がらせをするという意地の悪さというものを人間は備えている。

 小型カメラで撮影している映像を見ている者たちがそういう心根の人間ではないことは、暦も泰明もわかってはいるのだが、魔が差す、ということもあり、泰明は誰かしらが嫌がらせをしてくるのではないかと考えているようだ。

 反対に暦は、モニターを見ている教師たちがそんな意地の悪い人間ではないことを信じているらしい。

 泰明の言葉を、人のよさそうな笑みを浮かべながら否定してくる。

 その態度に、泰明はため息をつきながら。


「暦。お前はもう少し人を疑うということをだな……」


 人を疑うということをしない暦に説教しようとする。

 が、暦の方はというと。


「いやいや、泰明は逆に他人を疑い過ぎじゃないか? あっちは立場ってものがあるんだから大丈夫だろう?」

「立場があっても、人間というものはやろうと思った時にやるぞ? それこそ、自分の立場を守るためだったらな」

「それでも、だ。そもそもお前は疑うことに慣れすぎちゃいないか?」


 呆れたような表情を反論する。

 そのまま口論のようなものに発展するが、殴り合いになるような事態にはならなかった。

 それどころか、時折、二人の顔に笑みのようなものが浮かんでいる。

 どうやら、二人のこのやり取りは定期的に行われているもののようだ。


「そもそも、人ならざるものを相手にしているのだから、連中を信じることができないということはわかる。基本、見えんし、触れんし何考えてるかまったくわからんからな」

「人間も、見えるし触れるのに、腹の底で何考えてるのかまったくわからんぞ?」

「だとしても言葉を交わすことはできるだろう? 言葉を交わすということは心を交わすということだ。言葉が通じるなら、まだましと思わんか?」

「どうかな。考える頭と立場と状況でどうとでも嘘をつける人間の方が厄介だと俺は思うがね」


 触れることができる、誰でも見ることができ、言葉で意思を交わすことができるがゆえに人間の方に信頼を置く暦と、自分の置かれている状況や立場によって息をするように嘘をつき、周囲を騙していくことができる人間を信じることができない泰明。

 どちらも人間の一側面しか見ていないということが事実だ。

 だが、どちらが間違っているというわけでもなく、かといって両方とも絶対的に正しいというわけでもない。

 人によっては見ることも知ることもできない妖怪変化の類より、自分の目で、耳で観測することができる人間の方が信を置くに足ることは、感情としては正しいだろう。

 だが、理性的に考えれば、目の前にいる人間が噓つきであるか、正直者であるかを判断することは非常に難しく、敵対者とまではいかずとも、何かしらの被害を与える存在になりうる可能性を常に秘めていることもまた事実だ。

 暦も後者の側面を否定するつもりはないが、それでも、誰もかれもが自分を傷つけようとしているわけではないことをわかっているらしく。


「だからといって、誰もかれも信頼できないというのは、それはそれで悲しいことではないか? もう少し、気楽になったらどうだ」

「……本当にい男だな、お前は」

「突然ほめられてもうれしくないぞ」


 顔を真っ赤にしながら文句を言う暦の様子に、泰明は薄く笑みを浮かべるだけだった。

 その態度をからかっていると捉えた暦は、再び顔を赤くしたまま泰明に文句を言い、泰明は暖簾に腕押しとばかりに飄々とした態度で返す。

 そんなやりとりを繰り返しながら、二人はこの廃墟を後にした。





「さて、どう評価しますかな?」


 泰明と暦の二人が廃墟から退出している最中、別の場所では数名の男女がモニターを眺めながら椅子に腰かけていた。

 モニターから、暦が何かに刀を突き立てている映像が流れてきているところで、一人の男がその場にいる全員に問いかける。


「ふむ、映像がはっきりとしないからなんとも言えんが」

「いえ。今回の相手は安倍が言っていた通り、長寿の動物が妖力を得た類のものではなく、霊体が変じたものだ。映像があてにならないのは当然だろう」

「が、討伐証明するものもないということか。今回は二人にとって厳しいものになるかな?」


 仮に彼らのうちの誰かが現場に同行していれば、二人が協力して化け物を退治した場面をしかと確認することができただろう。

 だが、彼らは泰明が持っていた小型カメラから流れてくる映像を安全圏から眺めているため、二人が見たもの、退治したものを実際に見ることができない。

 証拠も、いま自分たちが見ている映像のみとなると、教師として彼らに評価を与えることは難しくなってしまう。

 どうしたものか、考えていると。


『あっちでも測定はしているだろうから、おそらくごまかそうとかそういうことは考えないだろ』

『大丈夫だろ、その辺は。こんな特殊な学校ではあるが、彼らは教師だ。不正をするような性根はしていないだろうさ』


 モニターから泰明と暦の会話が聞こえてくる。

 その言葉には、暦が教師たちに寄せる信頼のようなものを感じ取ることができた。


「たしかに、安倍の言う通り、こちらでもほかの計測機器で各種測定ができていたからな」

「左様。ひとまずのところ、彼らの出現した場所に霊的な存在がいたことは観測できている」

「それに、安倍が投げた種のようなものが糸でも使わない限りあり得ない軌道をしている」

「もう少し解析は必要かもしれないが、まぁ、このまま倒せたと評価しても構わないのではないですか?」


 泰明が推察していたように計測を行っていたのだが、それがばれていたことと、暦から純粋に信頼を寄せられていることを知ったためか、どこか気恥ずかしさの方な雰囲気をまといながら、教師たちは意見を交わす。

 そんな中。


「まぁ、そもそもの話ではありますが、モニター越しであっても見えていないわけではないので、文句なしの評価をするつもりではあったんですがね」


 苦笑を浮かべながら、一人の教師がそんなことを口にする。

 どうやら、泰明が懸念していたように評価をごまかすつもりはなかったらしい。


「ところで、安倍があの化け物の投げたものは、なんだったのでしょう?」


 現にこうして、映像を振り返りながら、二人の行動の評価に入っていた。

 その中で、泰明が化け物に向けて投げつけたものについて、注目が集まりだす。


「薬品や毒物の類、というわけではなさそうだな」

「えぇ。しかし、ただの石、というわけでもなさそうですが」

「……あぁ、おそらくあれは桃の種でしょう」

「桃の種? そんなものを用意していたのですか、安倍は」

「えぇ」

「……あぁ、なるほど。確かにリストに書いてありますね」

「破邪退魔の桃の実の一部、というわけか。」

「それならばあの化け物が突然苦しみだした理由も納得だな」


 事前に提出された持ち込みリストには、この廃墟に入り込む際に持ち込む荷物が記されている。

 その中には確かに、桃の種、と記載されていた。

 桃の実は中国と日本では悪しきものを退ける力があるという伝承が多く存在している。

 泰明に襲いかかった化け物からすれば劇物でしかないものを、口の中に含んでしまったのだ。

 もがき苦しんでいたことも理解できる。


「下手に呪符を使うよりも有効な手段ですな」

「えぇ。返しの心配もありませんし、桃そのものに霊験がありますから、余計な消耗を抑えられますし」

「その点については加点対象としてもいいだろう」


 教師たちはその後も、泰明と暦の行動を映像と音声で見返し、二人の行動に評価をつけていく。

 何も知らない人間がこの光景を見れば、何をしているのかまったく理解ができない光景だが、彼らはいたって真剣である。

 なぜなら、 彼らは、科学万能と呼ばれるこの時代においてもなお存在し続ける人外の存在――妖怪、魔物、化け物、様々な呼ばれ方をするものたちを討伐し、時には人間との間に生じたトラブルを解決する人材を育成する教育機関『護国宮居学園』。通称、『国宮学園』で教鞭をとる教師たちなのだから。


「では、以上で国宮学園一年生による実技実習第一回を終了とします」


 一人の教師の音頭により、その場は解散となった。

 用意していた別室から移動する中、音頭を取った教員に一人の少し若い教師が話題をふる。


「それにしても、源の剣技はともかく、安倍の用意した桃の種。あれについては何も教えていなかったはずなのに、よく知ってましたね」

「座学で扱ったことがない、というよりも、入手のしやすさに時期があるので滅多に使われることがないですしね」

「それはそうですけど、でも使おうと思いますか?」

「思わんだろうな……だが、知っているし手軽だとわかっているから使うことにしたのだろう」


 何がそこに存在しているかわからない以上、加護を求めた神仏の力が通じない可能性もある。

 それならば、神仏の加護を介することなく魔を退けることができるものを使うことが賢い方法といえるだろう。

 泰明がそこまで考えていたかどうかは、教師たちにもわからない。

 だが、泰明が桃の実に関する知識を持っていないとも考えにくかったため。


「彼は、今回バディを組んだ源同様、平安時代に怪異に幾度も対峙し、解決してきた実績のある家の子孫ですからな」

「源はたしか、源頼光。安倍は、かの大陰陽師の血筋でしたかね」

「あぁ」


 源頼光は、絵巻物に数々の妖怪退治の活躍が描かれている源氏の武士。

 教師の言うかの大陰陽師とは、平安時代にその名を轟かせた陰陽師、安倍晴明のことだ。

 今回、教師たちにモニター越しで化け物退治をして見せた暦は源頼光の子孫。泰明は安倍晴明の子孫である。

 化け物退治や不可思議な事象に対処してきたという逸話を持つ平安時代の人物の血を継ぐ二人の若者が、奇しくも科学万能の時代に、社会の闇で今も静かに人を害そうとする化け物たちと戦う技術を身に着ける学び舎で出会っていたのだった。

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