門松

上月祈 かみづきいのり

門松

 あるところに、門松を極度に嫌う家があった。家主は竹で出来たオブジェを『年神の呪い』とまで称するほどだ。

 無理もない、と彼の息子である私も思う。

 何故なら門松を飾れば三が日中に誰かが必ず死ぬ、或いは廃人になるからだ。

 三本の竹槍で人生を刺し貫かれるのだ。

 一休宗純がこんな狂歌を残したのをご存じだろうか?

「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

 とある元旦の早朝。私は不幸を祝う竹飾りが玄関前にひっそりと置かれていたのを発見した。


 その元旦、私は始発電車に乗っていた。

 元々、私はあの家が嫌いであったから、帰省をする気なんてさらさらなかった。

 日常的な虐待を良しとする家風から逃れてやっと得た一人暮らしに勝るものはないと三年、いや五年以上も帰省もせずに気ままに暮らした。

 そうしたら昨日の大晦日おおみそかの夜、いきなり父から電話が来て説教を食らった。

 要は、

『育ててやったのに帰省もしない、手紙や電話も寄こさないとは何事か。明日必ず帰ってこい』

 という内容だった。

 さんざんにまくし立てられた挙句、こちらが詫びの一言をはっしようとした矢先に、父は乱暴に電話を切った。鼓膜を突き抜けたたけりのせいで左耳が鳴り続けた。

 私は父の言葉通りにする必要もなかったが、あることが気に掛かったので帰省してやることにした。

 あの人たちは、いったいどれほどに衰えたのだろうか?

 私はただそれが知りたかった。

 翌日。東京都二十三区のマンションを出ると私鉄に乗って埼玉県にある屋敷へと参上した。最寄駅からは歩いて向かう。

 駅前三分という便利な場所に五百坪の土地を持つ。そこに瓦屋根をいた純和風の建物がある。祖父が贅沢を凝らして立てたこの家屋は今でも建物の評価額だけでも二億円以上もあるとか。

 こんな豪華な家から出た理由というものが私にはある。

 父母は虐待を教育と称するともがらだった。

 父は教育のためむ無く手を挙げるのではなく、ただ殴りたいが故に因縁をつけて私を都合の良い人形のように扱った。

 母は父ほどに暴力を好む人間ではなかったものの、父が楽しげに私を殴るのを止めもせず、彼女は無関心を保ち続けた。

 私の両親は弱肉強食という言葉をよく理解していたから、父は力を示し、母は日和見に徹した。

 家を出たあとに気が付いたこととしては、彼らは近所の住民に対しても高飛車だったらしいこと。どおりで冷たくされる訳だと納得した覚えがある。

 私の両親は莫大な金に心を喰われてしまったのだ。

 そう思うと、あの家が魔窟まくつに思えて仕方なかった。加えて、家を出なければ私も人間では無くなってしまうという強迫観念にかられたものだ。

 故に私は一人暮らしという生活を獲得し、今に至るわけだ。

 そんなこんなを思い出しながら実家へ向かって歩いていると私は家の正門に門松が飾ってあるのを見出した。

 先ほど述べた通り、この家で門松は忌物いみものだ。

 門松を飾れば最低でも一人、多ければ複数人が正月の捧げものになる。

 一番多かったのは五人だったろうか。

 老爺ろうやが一人、餅を詰まらせて死んだ。別の家では老婆ろうばが一人、風呂でふやけて死んでいたらしい。

 あとは若い男女が、

「初日の出を見に行く」

 と海辺へドライブに行って行方不明になった。車が崖から落ちて海底に沈んでいたものの、ドアは抜け落ち、遺体は未だ見つからない。

 最後の一人はモデル志望の若い女性。車を運転中に大型トラックと正面衝突。

 かろうじて一命を取り留めたものの、彼女の自慢たるスレンダーな両脚は切断せざるを得なかった。それが、彼女を全く以て駄目にしてしまったのだ。

 母が門松をうっかり買い忘れ、飾らなかった年がある。その年は何も起こらず、それから門松は飾らなくなった。

 だから目前の正月飾りは不可解だった。

 とりあえず、私は門をくぐり進むと玄関の前でインターホンのスイッチを押した。

 インターホンから応答はなかったが、引き戸の向こう側から重く鈍い音が速足を思わせるテンポで近づいてくる。

 開錠する音に続きドアが開くと、昔とは打って変わって丸々とした母がいた。以前のように白髪を染めるのはやめたらしく、見事なかいはつが出来上がったていた。

「あら、おかえり」

 と彼女は笑顔で言った。

 私は後ろの門を振り返る仕草をしてから、

「今年は飾ったんだね」

 とだけ述べた。

 母には怪訝な表情で、

「何を?」

 と問い返されたから、私は不審さを覚えつつ、

「門松だよ」

 と飾り物の正体を明かす。母は、

「そんなもの、飾るわけがないでしょう。縁起でもない」

 と顔をしかめた。

「えっ? じゃあ誰が飾ったんだ?」

 私は疑問を口にせざるを得なかった。

 母は玄関にある木で作られたサンダルを急いで履くと表門まで歩いて行った。

 サンダルの底を擦るような音を立てつつ歩いて門の引き戸からやや身を乗り出し、確かに目で捉えたのだろう。

 まるで死体を見てしまったかのように恐ろし気な表情で一目散に戻り、家屋の中に入ると急かすように父を呼んだ。

 やがて父も玄関から出てくると私には目もくれず、母同様の行動をした。二人で大い狼狽うろたえていた。

 私はその滑稽さに失笑してしまった。思わず噴き出た笑いに付け加えるように、

「明けましておめでとう、父さん」

 と、新年を祝った。

「何がめでたいんだ、この馬鹿野郎!」

 父はやはり怒った様子を見せた。私はその彼を観察してみた。

 白髪が多く、母よりは黒っぽいがやはり灰髪だった。

 しかし頭髪を整えている様子はなく、あちこちに跳ねている毛髪のせいでだらしのなさを覚えた。

 頬はこけていて、無精ひげを汚らしく生やしたその姿は『落ちぶれた』の一言で片付く無様な姿。

「仕方ないじゃないか、正月の挨拶なんだし。それにしても、今年はどうして飾ったんだ」

 私は何を飾ったのかを言わなかったが、父は怒りのままに怒鳴った。

「うるさいっ! 俺が飾るわけがないだろうが。やったのはお前か、お前だな!」

 汚くも唾をまき散らしてわめく父。私は事実のままに答えてもよかったのだが、ふと思いついた計略と呼ぶには浅知恵な案を実行してみた。

「そうだよ、って言ったら?」

 勿論もちろん、そんなことをするはずがない。ただ今の父は怒りに吞まれている。

 その父は目を見開き、口をきゅっと結んだ。

 母は私と父を交互に見比べていた。どちらが優勢かを見極めているのかもしれない。

 私はけしかけるように鼻で笑ってみた。存外効いたようだった。

「帰れっ、帰れ! お前なんぞ勘当だ。二度とうち敷居しきいまたぐな」

 古臭い言葉を押し並べた父。

 私の目論見もくろみは思う壺。

 あいつから縁を切ってもらえばこれほど都合のいいことはない。

「そうか。それじゃ、元気でね」

 私はそのままその忌まわしき土地を後にした。


 ここからは後日談になる。

 一月二十日に母から着信があった。

 幸いにも生憎、仕事中だったので応答は出来なかった。しかし、彼女は制限時間三分いっぱいを使ってメッセージを残していた。

 内容をかいつまむと以下の通り。

『父はあの後体調を崩していたが、一月三日の夕方に倒れ、救急搬送された。父はがんわずらっていたことが発覚。全身に転移しすべがない。彼は健康診断を常に怠っていたから仕方ない。今はしかばね同然に生気がない』

 母はこれらを嬉々として語っていた。

 あぁ、そうだ。そういう人だった。

 私はそれを再確認するとメッセージを消した。後日、携帯電話の番号も変えた。

 こうして、私は両親との間に決して越えることのできない隔たりを生むことに成功した。

 誰が門松を飾ったのかは、未だに不明である。

 ただ、我が両親の周辺には散々迷惑をこうむった人たちがたくさんいらっしゃる。

 お礼にわざわざ門松を飾って下さることなんて朝飯前だろう。

 私はあの場所、ろくでもない両親と縁を切った。

 ふとした拍子に、彼らがどうしているかを考えてみることがあった。

 私は洗面所に向かい、大きな鏡を使って自分の顔を確認した。

 するとどうだろう。

 私は只々、冷めた笑みを浮かべていた。

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