ジャンの真実(3)

 ショックで寝込んでいた水曜日の昼ごろ、誰かが家のインターフォンを鳴らした。

 母が部屋に入ってくる。

「トビー……サラが来てくれたようよ……」

「サラが?」

 そういえば思い出した! 先週サラに偶然会ったときに、次の水曜日に来るって言ってたんだった。でもどうやってここまで?

 両親に茶化されるのが嫌で僕はハミィと外へ出た。

 母と父がジャンに会いに行くときと同様に、「サラを夕食に必ず誘うこと!」って嬉しそうに言っていた。


「この前はありがとう。約束どおり、あなたの住む町を私の言葉で説明に来たわ」

 サラの声は弾んでいた。

「どうやってここへ?」

「ジャンが教えてくれたわ」

 サラに会えてとても嬉しいはずなのに、僕は複雑な気持ちだった。ジャンがいなくなったことをなぜか僕は口に出すことができずにいた。認めたくないのか、堪え切れない感情が溢れそうになるのを躊躇っているからなのか……。

 とにかく僕は沈黙を避けるようにして話題を変え、サラの父親のことを聞いてみた。

「あれからサラのお父さんはどう?」

「トビー! それがね、すごいのよ。お父さん、お酒を止めてくれたの!」

 あれだけ酒浸りだったサラの父親は、あの日を境にお酒を飲むのを止めたらしい。すごい変化だ。だけど、いまだに口数は少なく、亡くなった奥さんの写真を見ては溜め息をつく毎日だそうだ。

「でもね、今はわたしが夕食の支度をしていると、お父さんも隣に立って手伝ってくれるのよ。昨日は一緒にテレビを見たわ。当たり前のことなのに、ずっとお父さんの隣に座ることなんてなかったの。昨日は、テレビで何をやってたか私覚えてないのよ! お父さんの顔ばっかり見てたわ」

 サラの声はこれまでで一番嬉しそうに響いた。

 ジャンの言ったとおり、人の心の傷を一瞬で治せるような薬なんてないんだろう。でもサラの父親は確実によい方向へ向かおうとしている。

「トビー。ありがとう。あなたのおかげよ」

 ゆっくりと、しかし確実に。


 僕が金輪際ジャンと会えなくなったら、その心の傷はいったいいつ癒えるのだろう。

 本当にもう会うことはできないんだろうか? ひょっとして、ジャンのすべてが僕の作りだした夢だったんじゃないか?

 そんなことを考えていたらサラが言ったんだ。

「ジャンの言ったとおりね」

「どういうこと?」

「昨日、家を訪ねてくれたのよ」

 何が? 僕はサラの言うことがわからない。

「仕事でしばらく町を離れるから、トビーのこと頼むって。私に会えなくなってウジウジしてるだろうからって。本当にいいお姉さんね」

「お姉さん⁉ 誰のこと⁉」

「誰って……ジャンよ」

 僕が突然叫ぶからサラはびっくりしたようだ。

「どうしたの? 突然?」

 僕はサラに、ジャンと初めて会ってから今までのことをすべて話した。

 シカゴからニネベに移り住んで、ハミィの散歩中に鍵を拾ってその持ち主のジャンに出会ったこと。ジャンのギターの音色。いきなり僕に酒を飲ませたこと。とんでもないロクデナシだって思ったこと。夢で見たジャンの風貌。ウィンドチャイムで一杯だったジャンの家。家の中も車の中も、いつもタバコの煙が薫っていたこと。僕にとってのジャンのイメージ。それは間違いなく男であって、決して女性ではなかったこと。なにより声が男だった。

 僕のジャンの説明に、サラも困惑している感じだった。

「トビー。あなたが嘘をついているとは思ってないけど、ジャンはとても綺麗な、長い髪の優しそうなお姉さんだったわ。それにタバコを吸ってるとは思わなかったわ。そうね、お店で出会ったときは、スパイシーなお香の香りがしていると思っていたけれど、あれはセージだと昨日言っていたわ」

「セージ?」

「ええ。何度かしか会ってないけど、いつもとてもよい香りがしていたから、昨日聞いてみたの。それは何? ってそしたらセージを焚いているんだって言ってたわ。空気を浄化するそうよ」

 空気を浄化する? 僕はジャンに似つかわしくないその言葉に呆気に取られていた。

 サラから見るジャンはとても美人で、面倒見のいい僕のお姉さんだと思っていたのだという。僕は、ジャンが初めて僕の両親に会ったときのことを思い出した。父と母は、ジャンのことをハンサムな好青年だと言った。「おまえどうやったんだ」ってからかった僕に、笑っていたジャン。

 ジャンという一人の人物に対して、皆が皆、まったく違うジャンを見ている。

 そう言われてみれば、ハミィともまるで会話ができているような口ぶりだったし、サラの父親のときだって、あんなに怒りに満ちていたサラの父親がジャンの一言で萎縮していた。

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