ソングバード(4)
「これ、どうやって吹くの?」
インディアンフルートを手にして僕は素直にそう聞いた。正直に言えば、吹いてみたかったんだ、すごくね。
でも実際楽器なんてやってみたこともなかったし、ましてや、こんな見たこともない楽器なんてわかるはずもない。もちろん盲目の僕には見えないんだけどさ。
「言ったろ? それは適当に吹けばいいんだ」
「適当っていったって、なんかあるだろ?」
「面倒臭い野郎だな。穴はそれだけしかないんだ。説明も何も要らないだろ? 息をしっかり吸って吹き込め。以上さ!」
以上って言われたって……。不満そうにしている僕に、ジャンはきっとすぐに気づいたんだろう、いつもあまり説明しないジャンがこう続けた。
「自由に吹けばいいんだ。何も考えずに動かしてみることで、ようやくそこに自分の心や感情が素直に表現されてくることもある。まあ言うなら、その鷲の気持ちにでもなって任せてみることだな」
僕はただ、不安だっただけなのかもしれない。やっぱりまだ納得できない気もしたけど、ジャンのその説明が何も間違っていないってことはよくわかった。
好きに吹けばいい――きっと楽器っていうか、音を鳴らす道具っていうのは、感情の代わりにあるもので、それをあるがまま伝えたり増幅したりするためのものなのかもしれないって。
指を適当において、そっと口を這わして息を吹き込んでみる。息絶えそうな音が微かに鳴ったので、僕はもう一度息を吸って腹に力をいれて長い息を吐いてみた。
すごく甲高い音が鳴った。森まで僕を導いたウッドチャックの鳴き声のような。
寂しいような悲しいような、でも大空の風を感じるような、そんな高い音だった。
僕は探りながら夢中で吹きはじめた。指は簡単だった。音を聞きながら変えていけばいいだけだった。確かに、僕は難しく考えすぎていたのかもしれない。気持ちいいと思う音を長く、そして羽ばたかせて、次の音を吹いた。ハミィが僕の足元に横たわっている。
夢中で吹いていると、いつの間にかジャンがギターを持ってきていたのか、後ろでビンー……と音が鳴った。そしてそのままジャンのメロディーが奏でられはじめる。ジャンが部屋の中でギターを弾くのを初めて聞いた……そんなことを思いながらも僕はフルートを吹くのを止めなかった。
空を飛ぶってどんな風だろう? ひとりで飛ぶって寒くないのかな? 餌を捕るとき、勢いあまってぶつかって怪我をしたりなんかしたら、そのあと飛べないときはどうするんだろう?
視界が移り変わる。
鷲から、兎へ。兎から、野草へ。野草から、蝶へ。蝶から、蜂へ。
──なんだろう、この景色は。
ねえジャン、僕、命が消える瞬間を初めてみたんだ。不思議と悲しくはなかったよ。確かに手の届かない場所へ行ってしまったかもしれないけど、きっとまた戻ってこれるんだ。道しるべさえあれば。
僕は昨日のあの子を思い出していた。そっと触れた僕の両手を最期の息で大きく押し返したあの子の力を。
ジャンのギターの音は少しだけいつもと違って聞こえた。庭のウッドチャックがウィンドチャイムを鳴らす。聴こえてくるすべての音が、今は心地好くて僕は座りこんだまま夢中で息を吐き続けた。
ジャンは何も言わず、ただギターの音色を添わせ続けた……。
†
カタカタという音とギターの音色がして僕は目覚めた。いつの間にか床に倒れこんで眠ってしまっていたらしい。最近寝てばっかりだ。
家の中が煙だらけだった。ジャンがどんなに実はいい奴でも、やっぱりタバコジャンキーなのはそんな簡単に治るものではないらしい。
足元に温もりを感じる。僕の脚の間に挟まれるようにして、ハミィも眠っているみたいだった。僕はハミィに小さく声をかける。
「ハミィ」
珍しく深く眠りこんでいるのか僕の声に気づかない。安心しきっているんだろう。
僕はハミィを起こさないように気をつけながら、床に置いておいた白杖を手を這わしてつかむとそっと立ち上がった。
ポーチからジャンのギターの音色が優しく響いている。時折聞こえるカタカタという音は、庭のウッドチャックが、ジャンが作った餌場の木の板を足台にして螺旋状に木に登る音だと思った。
ポーチへ続くドアを開けて僕はジャンに話しかける。
「ねえジャン、あまりタバコは吸い過ぎない方がいいって思うけど……」
僕がそう言うと、ジャンは軽く笑っただけでそのままギターを弾き続けていた。
曲が終わってもそのまままた繰り返す。じっと聴いていると、ジャンがやっぱり少しずつだけど違うメロディを弾いているような気分になってくる。すごく不思議な気分だった。
同じコードを繰り返したりすごくゆっくり弾いたりする。メロディラインを逆に再生するみたいな不思議な気分になった。
僕はポーチに続く階段に座り、快く揺らぐジャンのギターを聴く。
庭の木に登っている見物客が、ジャンが曲を逆再生するのに合わせて登ったり降りたりするたびにウィンドチャイムをシャラシャラと鳴らした。
「ねえ……母さんが食事に招きなさいって」
「……そうか、またにしとくよ」
そうジャンは答えた。
「ジャン、僕明日も来ていい?」
僕はなぜそんなことを聞いたのか?
「ああ。待ってるよ、相棒」
最初に聞いたときとまったく同じにジャンは答えた。それを聞いて僕はすごくほっとしていたんだ。
「プロポーズにはまだ少し早いかもな」
ジャンはギターを弾きながら、こんなことを言った。
よく通る甲高い音でウッドチャックが一鳴きして元気よくジャンの庭の木へ登っていった。
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