樹上のシャーマン(6)

 パイプの先端に葉っぱと崩した白い塊を詰めノアが煙を焚くと、森の霧が深まった気がした。甘いようなレモンのような……でも確かにどことなくスパイシーな不思議な香りが漂う。松ヤニみたいな匂いもする。

 ほのかに果物のような甘い香りと酸味に唾液が出てくると、誘われるように汗がじんわりと滲み出すのがわかった。目も染みるのか、涙と鼻水も出てくる。

「君も飲みなさい」

 ――飲む?

 僕はなんのことかと思ったが、ノアが僕の顔の前に何かを近づけたので片手で触れてみるとそれはパイプの先端だった。タバコを吸えってことなんだろうか?

 躊躇っていると、ノアが「これは埋葬式だ、トビー、飲みなさい。それにこれは薬草だ」と温かい声を出した。

 ゆっくりと吸い込む。どこまで吸い込めばいいのかわからない……。

 温かさも冷たさも何も感じない。ただ嗅いだこともないほどの甘い花みたいな香りが纏わりつくように鼻の奥に充満していた。

 ノアが合図をするように、僕の背中に手を回す。


 ――古典英語なのか、ところどころ聞いたことのない言い回しでノアが唱えはじめた。


   蟻は樹に穴を開け

   穴はそのに風を飲み

   ふさぐ枯葉は音を立て

   草をせば気が昇り

   念はちゅうへ こんは地へ

   スミレの花が咲く時に

   よ香りを嗅ぎにくる


 ひそかな音を立てていた樹々が、あちこちで瞬きをしたみたいに感じられた。そしてその開いた瞳を閉じていくように順々に静かになっていく。

 奥深い神秘的な芳香に合わせるように、森の息吹はひっそりと息を潜めてその成り行きを見守っているようだった。さっきまで樹の上でキーキーと鳴いていたウッドチャックも、鼻を鳴らしていたハミィもじっと静かにしている。

 ノアが唱えた唄は、ほとんど何の意味もわからなかった。

 あたりに霧が立ち込めて、僕たちすべてを道に迷わせるようだった。それでも、道に迷いつつも、そのうちに確実なひとつの道を見せてくれそうな、そんな幻想的な妄想をしてしまいそうになる。

 ノアは薬草だなんて言ったけど、いや、実はほんとにこれはやばい葉っぱで、僕は幻覚を見ているんじゃないだろうか……?

 ノアの声が三重になって聞こえてくる。

 足元が温かい。

 ハミィ? そこにいるのか?

「ウッドチャックは使いでもある。『ウッドチャック』という言葉はアルゴンキン語族なんだよ。大丈夫だ、樹の上から落ちてきた遺体はきっとこの子と一緒に天に昇るに違いない」

 その声は、洞窟の奥の方から聴こえてくるようだ……。

「うちの家系は宣教師でね……私の祖先はフランスからの移民なんだよ」

 背中が温かい……。

「もし君がもう二度と会えない人に会いたいと思ったら花を育てるといい」

 僕を抱くのは誰なんだろう……。

「香りが魂を呼ぶからね」

 ノアの語っていることは、ぼんやりとわかっていた。

 そして森が喜んでいることも。

「今日ここで君が体験した出来事は、すべて忘れてしまうといい。大丈夫だ、意識が忘れてしまっても、刻まれた記憶は決して消え去ることはないのだから……」

 なんだろう……まぶたの奥に広がる空間に白いもやがかかって歪む……。

 意識が遠のいていく……。

 ――ジャンに会いたい。


 そう思いながら、僕は眠ってしまった。

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