樹上のシャーマン(4)
ノアは僕を立ち上がらせると何かを着せてくれた。自分の上着を脱いだのかもしれない。
それは内側が起毛した柔らかい生地で、僕はベッドに横になったみたいな気持ち好さを感じた。ハミィがすり寄って甘える。このまま寝てしまいたい。
ウッドチャックを追って森の奥まで入ってきた僕は、どうやらここで倒れた木の下敷きになっていたらしい。でも僕の体から折れた枝葉を取り除いてくれたノアの話では、倒れた木といってももうほとんど朽ちていてボロボロだったから、僕はどこも骨折などもしていなかったし、かすり傷程度で血も出てなかった。
「老木が朽ちて倒れたんだ。それで樹上に風葬されていた遺体が君の上に降りかかった」
どうやら先住民の遺体が樹の上に葬られていて、それが一緒に落ちてきた――ということだった。
もう相当に昔の遺体だろうから、それも地面に落ちた衝撃でほぼ崩れてしまったみたいだったが、遺体を包んでいた布地や紐、道具のような物が辺りに散らばっていて、それが倒れた木枝と僕の体に絡まって身動きが取れなくなっていたみたいだ。
あまり見えない目でノアは僕の冷えた全身を触りつつ、気を失わないようにずっと話しかけながら僕を自由にしてくれた。
「ところでこのパイプは、トビー、君のかね? いったいどこで見つけたんだい?」
「……パイプ?」
僕が聞くと、ノアは僕の手に棒のようなものを握らせた。
「君が持っていた、これだよ」
――ああ、これか……。
この太さと表面の滑らかさは、僕の白杖じゃなくて今朝天井から見つかった杖だ。
「この杖がどうかしたの?」
ノアはそれには答えず、僕に寄り添って座りながら隣で温かい息を吐いた。
ハミィが僕とノアの間に心地好さそうに横たわる。
「私たちの姓はリチャルドと言うが、フランス語ではリシャール(Richard)と読むんだ」
――フランス? なんだろう、突然。
僕の意識はもうずいぶんはっきりとしてきていた。ノアが先住民のことにどうしてこんなに詳しいのかにも驚いていたが、僕の意識を保たせるためとは言っても、彼がそんな説明を延々と続けている理由も不明のままだったし、まして突然自分の名前のことを話し出すノアの考えがわからなくて僕は混乱していた。
「これはねトビー、杖ではないんだ。先住民が使っていたパイプなんだよ」
それに、これが杖じゃないって? パイプっていったいなんだ……?
「実は私の杖もこれとほぼ同じものでね。喫煙具――タバコを嗜むための道具だよ」
――ノアの杖が? 喫煙具?
散歩のたびに可愛くコロコロと鳴るノアの鈴を思い出す。てっきり杖についているんだとばかり思っていた。
「天井裏にあったんだ。一緒に石みたいなものも見つけたよ」
僕はポケットを探って、杖と一緒に見つけた麻袋を取り出してノアの手に手渡した。
ノアが手探りで注意深く麻袋を開ける気配がすぐ近くでしていた。
僕が、今朝の出来事――古い布に包まれて天井裏に隠されていたこの杖のような棒と、葉っぱや小石が入った麻袋をオリバーが見つけてくれたことを説明すると、ノアは中身を手に取ってしばらく匂いを嗅いだりして確認しているようだった。
「これは……フランキンセンスだね。樹脂が固まったものなんだが、こんなに大量に……。葉っぱの方はタバコの葉だろう。待ってなさい、ほら、手を出して」
ノアは僕の手を取ると、その上に一粒その石のようなものを置き、自分の指を押し付けて少し力を入れてつぶした。僕はその石が簡単につぶれたことにも驚いていたが、ノアが言った次のひと言にはもっとびっくりしたんだ。
「少しかじりなさい」
「かじる? 食べれるの?」
驚く僕にノアは説明する。フランキンセンスと呼ばれたそれは、傷のついた樹皮から分泌された樹脂が空気に触れて樹液と一緒にゆっくりと固まったもので、黄ばみがかった乳白色の涙滴状の塊らしい。
「これは鎮痛剤にもなるんだ。気持ちを落ち着けてくれる。不味いとは思うが……」
大丈夫だから口に入れるようにというノアに従っておそるおそるつまんで放り込むと、途端におがくずを噛んでるみたいな味が口中に広がった。
「うえぇっ……!」
ノアが笑う。
「このままではほとんど香りはしないが、この樹脂の塊を焚くと素晴らしい香りと薬効をもたらしてくれる。フランキンセンスは、その昔、黄金と同じくらい大変に貴重とされたんだよ。儀式などにもよく使われた」
吐き出しそうになる口の中のざらつきをなんとか唾液で呑み込んで、鼻を近づけてくるハミィを撫ぜる。
――僕が連れてきた子は、大丈夫だったろうか……。
僕はあの子が下敷きになってしまったんじゃないかって心配だった。
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