第十二章
樹上のシャーマン(1)
森を行く。晴れた日は鳥たちの重奏が聴こえる心地好いドームは、今日は眠っているかのように静かだった。ハミィの息と蹄の音、そして僕の白杖の音だけがリズムよく重なり合って続いていく。
このまま土の道を行き、そして右曲がりのカーブへとたどり着くはずだ。僕は今日もジャンの家へ行けることをこれっぽっちも疑ってなかった。
風はないが、木漏れ日は感じた。少し肌寒いけど日が当たる瞬間はそこだけ小さなライトで照らされたみたいに皮膚に温かさが伝わる。僕の体が水玉の模様になって、森を散歩する――今日もそんなつまらない想像をしながら、僕は歩くのを愉しんでいた。
キーキーと聞き覚えのある鳴き声がした。ジャンの家の裏庭にやってくるウィンドチャイムを鳴らすお客さんだ。だけどすごく高い声で鳴いていた。しかも複数匹が遠巻きに走っていくのがわかる。
静寂の中に突然入り込んできた騒々しいウッドチャックの様子に、何か獲物でも見つけたのかな? と考えていると、ハミィが急に立ち止まり低い唸り声を上げた。
ハミィが唸るなんて初めてで、僕は驚いた。
「どうしたの? ハミィ」
呼びかけても、ハミィは斜め後ろへ向かって唸り声を上げ続ける。そして次の瞬間には勢いよく走り出してしまった。
つかんでいたリードがすり抜けて、左脇に挟んでいた杖を僕は落としてしまった。慌てた僕は右手の白杖でとにかく左側へ向くと落とした杖を弾いて位置を確認し、なんとか拾うとハミィが走っていった方向をたどった。
ファッファッという荒い鼻息が少し離れたところから聴こえてくる。
「ハミィー!」
キーキーという鳴き声がまだ周囲から響いていた。しかしさっきより弱々しい。今は遠巻きに、僕らを不安そうに眺めているように聞こえた。
白杖を使って土の道をたどると、ハミィが一度戻ってきて僕の足に体を擦りつけ、そしてまた離れていった。誘導されるがままに後を追う。
ハミィは一度高く吠え、そしていつも朝食の前にするように低く鼻を鳴らして地面に伏せたようだった。何かを待っているときの仕草だ……。
わけのわからないままに近寄り、白杖でハミィのリードを探る。細い革紐に白杖の先が触れて安心した僕はしゃがみ込み、手を伸ばした。
「いったいどうしたんだ、ハミィ――」
その瞬間、僕の右手にぬめっとしたものが触れ、勢いあまってその物体をそのままつぶすようにつかんでいた。手の中に腐った果実が汁を出して身を溢す。
その果実が、小さく「キィ」と鳴いた。
僕はつかんだそれを振りほどき、尻もちをついて後ずさった。途端にあのハリケーンの夜にラジオから流れていた音声とアメージンググレースの音色が蘇る。反射的に顔に手をやると生臭い匂いが僕を覆った。
「うわあああああああぁぁぁ‼」
僕は四つん這いになって方向も定まらないままに泣き喚いた。ハミィが走り寄って僕を助けようとする。
何がどうなってるんだ⁉ 一体全体僕はどうなってしまったんだ⁉
決して思い出さないようにしていたハリケーンの恐怖と、あの日目に焼き付いたすべての光景が一度に千枚のシャッターを切られたかのように僕を切り刻んだ。
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