サットン・ロックス・ストリート187(4)

 一瞬置いて、僕にはジャンの言おうとしていることがはっきりとわかった。

 僕も事故で視力を失い、誰のせいでもないその事実に苛立ち、周りにその怒りをぶつけまくっていたから。

 僕の両親だって、僕の前では泣いている姿をまず見せなかったけれど、泣かなかったはずがない。

 こうやってサラが部屋を飛び出して一人泣いているのは、父親が怖いからだけじゃない。

 父親が溺れている悲しみに連鎖してサラも泣いていたんだ。元の父親に戻ってほしい、サラは父親のことをちゃんと愛してるんだ。僕にはサラのどうしようもない涙と「無理よ」っていう諦めに似た言葉の中に、細く息している希望にも似たものを感じ取っていた。

 自分が荒れ狂っていたとは僕は思っていない。でも周りに当たり散らしていた僕。それを当たり前に思っていた自分。誰かを泣かせても、僕の方が辛いって、自分以外の誰かの心配なんてしたことなかった。

 サラのお父さんも同じなんだ。どうにもならない悲しみをどこにぶつけていいのかわからずに、身近にいるサラにぶつけてしまっているんだ。

 そうだ、しかもきっとぶつけたいなんて本当は思ってない。コントロールできない感情がただ漏れ出てしまって制御できないでいるんだ。そうであってほしい、そう思った。

 そうだ、僕と一緒なら。きっとそうだ。そうであってほしい。

「おまえたちはサラも含め、皆それぞれに大切なものを失ったという傷を負っている。その傷の深さは違っても、二度と戻らない辛さは共有できるはずだ」

 ジャンの言った言葉を僕は考えた。

 辛さを共有するなんてできるわけないとそれまで僕は考えていた。だって受けた辛さは皆それぞれに違うんだから。

 でもそのとき僕は初めて、自分が失明した辛さと両親が受けた傷が、実は比べることなんてできないほどに複雑に共生しているんじゃないかって感じはじめていた。

 少なくとも、父と母は、僕の傷を共有したいと思ってくれていた。

 僕がずっと拒絶し続けてきただけだ。

 僕に何ができるだろう。今まで逃げ続けていた僕に。

「行こう、サラ」

 僕の決意は固まった。

「これは私の問題であなたたちには関係ないわ」

 サラの声に戸惑いの色が滲んでいるのがわかる。

「言ったろ? こいつは君がほっとけないんだ」とジャンが茶化す。

 余計なこと言いやがって。

 でももう僕はジャンに苛立ったりなんてこれっぽっちもしてなかった。

 ジャンが言うことは、常に事実だ。そして僕の真実でもある。

 僕はサラをほっとけない。僕はサラの痛みを共有したいんだ。そしてできることなら、サラの涙を晴らしてあげたい。笑い声で満たしてあげたい。

 サラが望むなら、弱っちい八つ当たりの父親にだって改心させたい。

「サラ。僕は君が教えてくれたパティーの焼ける音が好きなんだ。カクテルソースの隠し味を語ってくれる君の声が好きだ。また、あのダイナーで、君の言葉でメニューを説明してもらいたいって思うよ。目の見えない僕にもその味がわかるように」

 今思うと、顔から火が出そうなことを僕は口走っていた。

 まだ十三歳だったガキっぽい僕が、年上のウェイトレスに恋してる。今思えばすっかり告白みたいなもんだ。でもサラは笑ったりバカにしたりしなかった。

「ありがとう、トビー。嬉しいわ」

 サラは小さく答えた。

 その声は本当に消え入りそうに小さかった。でも僕は、その言葉の内側に大きな決意を見たんだ。

 僕たちは立ち上がって、サラの部屋までの階段を一段一段踏み締める。

 サラを守りたい。僕の心には強い決意が芽生えていた。絶対にサラのお父さんにわかってもらうんだ! そう自分の心に言い聞かせる。僕と同じなら、サラのお父さんがサラを愛しているなら、気づいてもらうことができるはずだ。

 悲しみは誰の身にも平等に降り注ぐ。それは事実だ。それをどう受け止めるのか、サラの父親は酒に溺れて皿を割って、サラを罵り、当たり散らす毎日を過ごしている。サラはそれに怯えて毎日を過ごしている。

 そんなのは本当は共有できるはずの哀しみが、歪に変化して連鎖しはじめてるんだ。悲しみの歪な連鎖を止めなくちゃ。サラの母親が亡くなったこと以外に、サラにも、サラのお父さんにもこれ以上悲しいことなんて起こる必要はないんだ。

 僕は階段を上った。

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