サットン・ロックス・ストリート187(3)
ジャンが言った内容は別段おかしなことではなかった。それは事実だったから。
それでもやはり唐突なことに僕は感じた。
サラの無言の拒絶が、その瞬間に消えていた。ジャンの唐突な仕業が魔法のように感じられた。僕の足元にいたハミィが離れて、ヒュンヒュンと鼻を鳴らしはじめた。
あの鳴き方をするときは、僕の顔や手を舐めるときだ。座り込んでいるサラに寄り添っているのだろうと僕は思った。
「そう……あなたは本当にいい子ね……」
サラがハミィに語りかけている。ハミィがそれに応えるようにまた鼻を鳴らす。
その後、サラは少し黙っていたが、しばらくして自分のことを話しはじめた。
「四年前に母が病気で死んだの……」
サラのお母さんは四年前に病気で亡くなって、父親がすっかり変わってしまったと言う。
サラの父親は、口数も少なくなり妻を思い出しては泣く毎日だった。それまで真面目で優しかった父親が一滴も飲まなかった酒を飲みはじめ、今では完全に酒に溺れてしまっている。仕事も休みがちになり、酒のせいで温厚だった父親はガラリと性格も変わり、物に当たる始末。いつ標的が自分に移るか怯える毎日を送っているとサラは言った。
サラの言うとおり、このままエスカレートすればサラが危ない。
「ジャン、なんとかならないかな」
珍しくジャンは黙っていた。
答えないジャンの「答え」を僕は考えていた。ここに来るまでにジャンと話した内容を思い出す。
問題に直面しているのは、サラだ。どうすればいいのか見つけだせるのはきっとサラなんだ。僕には問題を直接解決することはできないかもしれない。それでも僕はサラを助けたい。
サラがどうしたいのか、サラの気持ちの真実を知りたい。
僕はサラを助けたいんだ。
「サラ、君はどうしたい? 今のままでいいの?」
「そんなわけないわ。戻ってほしいに決まってる。でも無理よ」
そう言ってサラは泣いた。
ハミィがクゥンクゥンと息を漏らした。
サラは訴える先もないままに、悔しそうに「無理よ」と繰り返してハミィを撫ぜたみたいだった。サラはそのまま軽く笑ったが、その笑い声が僕にはものすごく痛かった。僕は言葉を失っていた。
「決まりだ、行こう」
ジャンが言う。
「行くってどこに?」
「サラの父親のところに決まってるだろ」
姿は見えないが、頼もしいジャンの姿がはっきりと見えた気がした。
「うん! 行こう」
そう言って僕はかがんで、前に手を伸ばした。
ハミィの毛が指先に触れる。たどるようにして体を前に進めて、僕はサラに触れない程度に近づいた。
サラの体温を近くに感じる。
サラ、サラ……。ジャンがきっとなんとかしてくれる。
気持ちが崩れ、泣いているサラの視線に合わせるようにイメージして、僕はサラの方を向いた。僕はサラの気持ちに寄り添って力強い言葉を掛けた、つもりだった。
「もう大丈夫だ。ジャンに任せておけば安心だよ」
サラを励ました僕の後ろで、ジャンが口を挟んだ。
「俺じゃない。トビー、おまえがやるんだ」
あのときサラは話の展開についていけずにオロオロとしたことだろう。何か言いたそうに言葉を出そうとするが出てこないのがわかった。
「僕みたいな子どもの意見、サラのお父さんが聞いてくれるはずないだろ」
「サラを助けたいのはおまえだろう? おまえは俺に助けてほしいのか? 助けてほしいならそう言えよ」
僕が何かするなんて、これっぽっちも想像なんてしていなかった。
ジャンに勝手に頼り切っていた。自信なんてあるわけもないし、僕が助けたいって思っていたことと、具体的に僕が何かすることを一緒のこととして考えてなかった。
僕自身、矛盾してたんだ。助けたいって言っておきながら、ジャンに助けてもらう気満々でいた。今思えば、僕は子どもでいたくないと思っていたくせに、都合のいいときだけ子どもになろうとしていた。っていうか、それこそ子どもだったんだ。情けない。でもきっとみんなそんなものだ。僕だけがひどかったわけじゃない、そう思いたい。
「おいトビー、情けないこと言うな。サラを助けたいんじゃなかったのか?」
もちろんそのつもりだったけど、そのとき僕は完全にジャンを当てにしていたから見放された気分だった。
「サラを助けたいって俺に言ったおまえの気持ちは嘘だったのか?」
ジャンの言葉は厳しかったね。僕は非を認めるよ、でもサラの前でこのやり取りをしている自分が情けなくて、早くこの会話を終わらせたかった。
「確かにジャンのことを当てにしていたのは本当だけど、サラを助けたいって気持ちは嘘じゃないよ!」
僕は言い訳のように続けた。
「ただ、僕なんかが言ってサラのお父さんが聞いてくれるか自信がないんだ……きっと無理だよ」
この言い訳は、誰に対してのものだったんだろうね。「でも無理よ」って、ついさっき、僕はサラがそう言うのを心の中で否定したじゃないか。僕は自分まで同じことを言っているのに気づいてなかった。
「無理じゃないさ。おまえとサラの親父さんはよく似てるぜ? だったら、おまえほどサラの親父さんの気持ちがわかる奴はこの場にはいないんじゃないか?」
は? 僕とサラのお父さんが似てる?
「おまえの両親は泣いていたか?」
ジャンはそう言った。
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