早くよくなれよ、相棒。彼女も待ってるぜ(4)
注文を終えてサラがテーブルから離れるとジャンが言った。
「どうだ? 何か感じたか?」
僕はサラに会えた喜びで、すっかり車の中で話していたことを忘れていた。
「何やってんだよ。ちゃんと彼女の心の声に耳を傾けるんだ」
ジャンは本気で言ってるんだろうか? 僕にそんなことできるわけもないのに。ジャンは何かヘンテコな宗教にでもハマってるんじゃないかと思った。
「そんなこと僕にはできないよ。超能力者じゃないんだから」
「じゃあ、なんでおまえはハミィのことがわかるんだ?」
ジャンが何を言いたいのかわからなかった。ジャンは続けた。
「こいつの血統や、毛並みや毛の色、おまえにはそういった事実が一切見えていないだろう。それが見えないのにこいつの言いたいことがわかるのはなぜだ?」
そう言われるとなぜなんだろう? 確かに僕にはハミィの表情や仕草は見えないのに、鳴き声だけでだいたいこいつの気持ちがわかる。
「僕に特別な力があるってこと?」
「特別なんかじゃないさ、相手のことを知りたいって思うだけでいんだ」
ジャンの言いたいことがわかるようでわからない、そんなモヤモヤした気持ちだった。
だいたいハミィと人では違うだろうと思ってたから。
「バーガー二人前とシュリンプカクテル、サラダにコーラお待たせ。付け合わせのフレンチフライはサービスよ。クランチしたナッツがまぶしてあるわ」
サラが注文の品物をコトリコトリとテーブルに運んで置いていく。
最後にコトッと僕のすぐ左に品を置いて、とっておきの贈り物を渡すみたいなひそやかな声で僕の耳元で囁いた。
「それからトビーにはこちらの、ノンアルコールのブラッディマリーでございます。私のお勧めよ。トマトは平気よね?」
ノンアルコールのブラッディマリー?
ブラッディーマリーが酒の名前だってことくらいは、テレビとか何かで僕だって知ってる。
「トマトジュースに、カクテルソースとホースラディッシュ、レモンにセロリが入ってるわ。グラスの縁にうっすら付いているのはセロリソルトよ。シュリンプカクテルにとっても合って爽やかで美味しいわよ。スティックで差してあるセロリはそのままかじっていいのよ。セロリソルトはシーフードにとっても合うの。楽しんでね」
サラの声で僕の口の中はまた爽やかなグリーンの酸味がしてくる。まったく、僕の脳みそはすっかりやられてしまってるらしい。パブロフの犬か。
「じゃあこちら、レシートです」
サラの少しいたずらっぽい声が響いた。心なしか浮かれている感じがする。
「お、これ作ったのか?」
何のことだろう、僕はそう思った。
サラが何かを置いたらしい。
「なに?」
「おまえの左手の真ん前さ、テーブルの上を触ってみろ」
僕はテーブルの端から内側へそっと指を這わせた。
何かが指に触れた。カサカサッとした手触りがある。
なんだろう、紙だろうか、紙にしては固いような……。レシートって言っていたけど、レシートとは思えない。
手に取って注意深く触ってみる。左右両端に何か尖ったような細いものが突き出している。片側の先端は小さく折れ曲がっている。その二本の細い尖ったものの間、根元の部分に、葉っぱのような先の尖った広がりを持つものが、上下に広がっていた。中心部分は、膨らんでいるのか、触るとペコペコと押し沈むようだ。
財布に入れてある20ドル紙幣の手触りを僕は思い出した。
細かく折りたたんであるのか? それにしてもこの形……記憶があるような……。
「うふふ。鶴よ。お客さんに教えてもらったの。先日のバレリーナのお礼よ」
ああ! 僕はサラがそう言った瞬間に、手の中に活き活きとした鶴が、突如舞い降りてきた感覚に捉われた。
「すごい! 羽ばたいてる! 本でしか見たことないよ! クラスでは誰も折れなかったんだ」
学校の授業で見た、折り紙の教科書を思い出す。
その表紙に堂々と飾られていた折り紙の鶴の写真。背景は、これも折り紙で作られた雪景色だった。枯れた木枝に、白い雲。寒そうな雪景色の中で羽ばたき合う鶴が二羽。
「レシートよ。折り紙ね」
僕は思わず言っていた。
「すごいよ! これ! 僕に教えてくれない⁉」
「いいわ。でも仕事が終わるまで待ってくれる? 今日は昼までだからあと少しで終わるわ。今日は午後から学校の用事があるの」
サラはにこやかな声でそう言った。
学校……? サラは学生なんだろうか。
そう思った僕の心を見透かすように、ジャンがサラに尋ねた。
「サラは今いくつなんだ?」
「十七よ、地元の学校に通ってるの。今は夏休みだからこのダイナーで朝からアルバイトよ」
サラは学生だった。夏休みが終わったら、もう会えなくなる……。僕は不意にその事実を知って、胸が微かにぎゅっとした。
サラの声はよく通る聞き取りやすい声で、僕は彼女の声がすごく好きだ。まだ出会ったばかりだけれど、この声があと少しで聞けなくなるなんて……。
「へー、じゃあ両親とこの町に住んでるのか?」
ジャンがそう言った瞬間だった。そこにあった和やかな空気がその色を変えたんだ。
「えぇ、そうよ……生まれてからずっとこの町で暮らしてるわ」
サラは笑いながら言ったけど、この前と同じ違和感を覚えた。明らかにある、何かモヤモヤとした不安と怯え、そして寂しさ。
「じゃあごゆっくり。終わるまで待っていてね」
そう言ったサラの言葉は固く、緊張を帯びている。
サラは黙って料理を置いてテーブルを離れていった。皿を置く音、去る足音、そのすべてに付きまとう微かなストレスを感じた。
「感じたよ! この前と同じだ!」
サラが去るのを待って、僕は前を向いたままジャンに伝えた。声を潜めたつもりだったけれど、自分の声が短く強いスタッカートのように飛び上がるのを感じた。
「そうか。きっと会話の中にヒントがあると思うんだが」
ジャンがそう言うけど見当もつかない。
「なんだろう?」
「なんだろうな? でもきっとおまえが感じたその感覚は間違っちゃいないぜ」
バーガーはその日も美味しかったけれど、僕は食べている間、あまり味を感じなかった。
ずっとサラのことばかり考えていたんだ。
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