早くよくなれよ、相棒。彼女も待ってるぜ(2)

 ザワザワと木々が風に揺れる音が聞こえる。

 この辺りは夜ともなれば本当に静かで、遠くの森からフクロウの鳴き声が聞こえてくるほどだ。僕はとにかく体を治して早くジャンに会いたいってそればかり考えていた。

 もう夜も遅いから今夜は軽くしておきましょうと言って、母が用意したのはチキンスープだった。

「おなかが空いたら、またスープを飲めばいいから」

 着替えた僕はベッドの上でスープを平らげて薬を飲み、再びベッドに潜り込んだ。いつの間にか掛けられていた毛布の中に、ハミィが入り込んでくる。

 明日はよくなる! きっと明日はよくなる!

 呪文のように唱えて眠ったよ。明日の遠足は絶対に晴れにして下さいッ! ってお願いする子どものようにね。

 でもその祈りも虚しく、翌日も僕の体調は最悪だった。

 それでも僕はもう大丈夫だと言って出掛けようとしたが、案の定、そんな僕に加担する者はこの家にはいなかった。

 立ち上がるのも精一杯で、白杖は本来の目的とは違う別の用途で使ってしまいそうな勢いだった。


 強引に車に押し込まれ、医者に連れていかれる。僕は熱のせいなのか、いつもの車酔いなのかわからないままに、また車で吐いていた。

 随分長い時間車に乗っていた気がする。母が後部座席で僕を支えながら背中をさすってくれた。朦朧とした意識の中で、僕はそういえばジャンの車では吐かなかったんだということを、両親に伝え忘れた――そんなことを考えていた。

 僕は注射を打たれた。キャスターに乗せられたのか、ガタゴトする縦揺れが、悪い気分をさらに悪くした。よく覚えていないけど、寝かされたベッドの上にやたらまぶしいライトが光って、盲目の僕でも目が焼けるみたいにまぶしかった。

 注射されてすぐに、僕は全身から汗が噴き出した。熱が下がるからなのか、注射の痛みのせいか、僕にはわからなかった。でもあのときの注射は、きっと今まで撃たれた注射とは比べものにならないくらい太い針だったに違いない。だって今までで一番痛かったんだから。


 僕はそこでそのまま眠ってしまった。家に帰ってきたのも、車に乗せられたのも覚えていない。

 そのときの夢にジャンが出てきたのを覚えている。不思議なもので、視力を失っても、夢の中のビジョンははっきり見えるんだ。

 そこにいたジャンは、僕のイメージどおりの男だった。

 スパニッシュ系で長髪の黒髪、毛先には癖が出ている。瞳は黒。手入れのされてない生やしっぱなしの髭に、少しこけた頬と高い鼻、長身で骨張っている。白のタンクトップに青いチェックのネルシャツ。カーキのカーゴパンツを履いて、見える素肌からはタトゥーがびっしり。まさにロクデナシのロックンローラー。あくまで僕のイメージだけどね。

 そのジャンが、そんな風貌で言うんだ。

「早くよくなれよ、相棒。彼女も待ってるぞ」って。

 とても短い夢だったけど、ものすごく長い時間見ていたかのように思えた。


 目を覚ますと翌日の朝だった。

 母が部屋に入ってきてカーテンを開ける音がする。部屋の中に差し込んだ朝の光が僕の瞼の内側に光を運んだ。

「トビー、おはよう。具合はどう? 熱は下がったようだけど」

 母にそう言われ、すっかり体調が回復しているのに僕は気づいた。

「もう何ともないよ」

「そう! よかった!」

 母の声が妙に浮かれている。どうしたんだろう? 何かいいことでもあったのかな? 僕の熱が下がったからなのか? 着替えようとする僕に、ハミィが待ちきれない風にのしかかり、顔を舐めた。

「おいおい、ハミィ、ちょっと待てよ」

 着替え終わった僕がハミィと一緒にリビングへ降りると、今度は父が僕に声を掛けた。これまたなんだか声の調子がいい。ゴルフでハイスコアを取ったときみたいな声だ。

「やぁ、トビーもう大丈夫そうだね」

「うん……心配かけてごめんね」

 両親の機嫌が、やはり妙に良いことが気になっていた。何かあったのか聞こうと口を開きかけたとき、僕の部屋から遅れて出てきて後ろに立った母が勿体ぶるように言ったんだ。

「早く朝食を済ませて、ジャンにお礼を言ってきなさい」

「どういうこと⁉ まさかジャンが家に来たの?」

 両親はやはり笑っている。どうやら昨日の晩にジャンが僕を心配して訪ねてくれたらしい。

「とってもハンサムで優しい好青年だったわ!」

「まあ、私ほどじゃなかったがね」

 冗談なのか本気なのか、珍しく父が人をけなした。

 いや……今思うとアレはただのひがみだったんだろうな。それか嫉妬か? いや、そんなことはどうでもいい。ジャンに早く会いに行かなくちゃ!

「なんで起こしてくれなかったの⁉」

 僕はテーブルに用意されていた朝食を、母のいつもの説明を待つこともせずに適当に口の中に詰め込んで、ハミィを連れて外に出た。ポケットには、熱を出す前の晩に用意していた財布がしっかり入っている。

「今夜ジャンを連れてきてね!」

 玄関先で母が、僕の背中に何度も言った。

「わかった!」そう返事するとハミィの耳元で囁く。

「ジャンの家まで頼むよ」

 ハミィは大きく一吠えし、軽快に歩き出した。

 昨日見た夢は現実だったのかな? 彼女が待ってるってどういう意味だろう?

 そんなことを考えながらジャンの家に向かった。

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