エクタバナのウェイトレス(5)

 ニネベに戻ると、住み慣れた――と言ってもまだ一か月も住んでないけど、とにかく我が家って感じの匂いや鳥たちの鳴き声に緊張がほぐれた。ちょっとした冒険をしてきた気分だ。

 静か過ぎるかもしれないけれど、僕はこの町とジャンのことが好きになりかけていた。

「家まで送るか?」

 ジャンの家まで着いたあと、僕の家まで送ろうかと言うジャンに僕は遠慮した。

「ううん。歩いて帰るよ」

 なんとなく、ジャンと離れて家に着くまでの間、一人で少し考えたかったんだ。余韻を楽しみたかったっていうのもある。

「じゃあな」

「うん。ありがとう。次は僕が払うから」

「バカ言うな。ガキに奢ってもらうわけにはいかねえよ」

 別れ際、そうぶっきらぼうに話すジャンの態度は、初めて会った日も、昨日も今日も変わらない気がした。変わったとすれば、ジャンに接する僕の気持ちだ。

 そんな風に思えた。出会ったときから一貫して変わらないジャンの態度は、例えるなら、意地を張ってふて腐れていた僕に対して、常に両手を広げて変わることなく接し続けてくれた両親のようだ。

「明日も来ていい?」

 僕はそう聞いた。

 このときのこの言葉は僕にとって、とても勇気のいる言葉だった。

「ああ、もちろんさ。待ってるよ相棒」

 ジャンの声は、笑っていた。

 後ろで風に揺らされたウィンドチャイムが鳴っていた。停めたばかりの車から熱気が上がっている。

 僕はこの言葉にとても嬉しくなったんだ。

 僕はハミィと二人でジャンの家を後にして、帰り道をたどった。


 自宅に戻ると、両親は昨日と同様とても心配していたのか、すぐに駆け寄ってきた。

「トビー、昨日も今日もお昼に帰ってこなかったけれど、いったいどこで何をしてるの?」

 母が少しヒステリック気味になっているのが、声のトーンでわかる。

「町の人たちにも聞いて回ったが、おかしなことに、誰も君を見かけてないって言うんだ」

 そう父に言われ、いよいよ隠しきれないと感じた僕は、ジャンのことを両親に話す決心をした。

「実はね……」

 僕が話している間、両親は話を遮ることなく聞いてくれた。

 最近知り合ったばかりのジャンナ・グッドスピードと言う男のこと。昨日も今日も食事をご馳走になったこと。ジャンの家までの道のりはハミィが知っていること。目では見えないけど、自分が持ってるジャンのイメージ。もちろんちょっと控えめにだ。

 初めの印象は最悪な奴だと思っていたことは伏せておいた。

 それに、知れば知るほどジャンと言う男が、実は自分のイメージとはまったく違う、自分の成長を促してくれるような存在なんじゃないかと感じはじめていることもね。こんなこっぱずかしいこと言えるわけがない。

 ジャンの話をしはじめたとき、まだ父と母はモヤモヤとしているようだった。でも、話を続けていくうちに、二人に掛かっていたモヤが綺麗に晴れたように感じたんだ。

 案の定、その勘は当たっていたのか、僕が話し終わると父は嬉しそうに言った。

「すごいじゃないか! もうこの町で友達ができたのか?」

 浮かれたように母も続く。

「ああ、トビーすごく素敵よ。今度必ずジャンを夕食に誘ってね」

 両親は、僕に友達ができたと喜んだ。でもそれよりも僕はジャンが両親に気に入られたことの方が嬉しかった。

「明日もジャンに会いに行っていいでしょ?」

「もちろんよ!」

 僕が尋ねると、二人とも声を揃えてそう言った。


 夕食時の話題はジャンの話ばかりだった。いつもはすべての料理の味つけの説明に余念のない母が、メニューさえ僕に伝えもしないで次々に質問をしてくる。お陰で僕は、どれがスープでどれが肉なのか野菜なのかさえわからなくて、フォークの感触で適当に判断して食べたくらいだった。

 あらかじめ知らない料理ってのは、味の予測がつかなくて、味わうのに時間がかかる。まあそれでも母のいつもの習慣で、皿を置く場所からおおよその想像はついたから、助かっていたけれどね。

 父も母も、実物のジャンに早く会いたいってワクワクしていた。

「ねえ、ジャンの家はどの辺りなのかしら。明日は送っていこうか?」

「送っていくって言っても、ジャンの家はハミィにしかわからないし、いきなりぞろぞろ行ったら、ジャンだって迷惑だよ」

「ああ、まったくそのとおりだ。そうだよな。だが何かあったら迎えに行くこともあるかもしれないし、いややはり家の場所くらいは、その、なんだ、何か目印みたいなものはないのか?」

 父も母も、気になって気になって仕方がないみたいだった。

 このそわそわ感ったら……一人息子が彼女でも紹介するみたいな雰囲気だ。でも、当たり前なのかもしれない。なんて言ったって、失明してから初めての、僕の「友達」なんだからな。

「目印か……砂利道になった後で、右に大きくカーブした道なんだ……って言ってもわからないよね。ああ、そうだ、近くにきっと教会があるよ。鐘の音が小さく聞こえたから」

 僕はパンのお代わりをしようと、左手を伸ばしてバスケットを探った。

 いつもなら僕が手を伸ばすよりも早く母がパンを手渡してくれるのに、今日は気づかない。まあいいけど。

「教会? あら……そうなの? この辺りにミサをしてる教会はないって聞いていたのだけれど、あるのかしら……明日メアリーに聞いてみるわ」

「少し行った先に教会があったと思うが、そこは今は神父がいないと言っていたからミサは行われていないだろうし、鐘が鳴っているのも聞いたことがないしな。また別の教会かもしれない。私も聞いてみよう」

「いいよ、そんな急がなくたって。そのうち会えるよ」

「そうね! 明日はランチボックスを用意するわ! ジャンは何が好きかしら!」

 まるで旅行にでも行くみたいに張り切って、母は優しい声でそう言った。

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