エクタバナのウェイトレス(4)

 バーガーもシュリンプカクテルも美味しかったけど、人目のある慣れないテーブルで食べるのに、やはりジャンよりは相当時間がかかってしまった。ジャンがあまりに静かなので、僕はまだジャンが本当にそこにいるのか不安になって聞いた。

「ねえ、ジャン? 大丈夫?」

 空気が動く。ジャンは返事の代わりに無言で僕に何かを手渡した。細長いしなしなしたものだ。

 ――なんだ? これ、ナプキンか?

 ジャンは僕が必死で食べてる間、紙ナプキンで遊んでいたらしい。紙ナプキンを細長く丸めて先を何か所かに分けてこより、尖らせてある。なんだ?

「なあに? それ」

 ウェイトレスが僕の左側から覗き込むように話しかけてくる。

「ジークフリートォ」

 ジャンが渡されたそれを持つ僕の手ごとつかんで、テーブルの上で揺らしはじめた。

「まあ! バレリーナね!」

 ウェイトレスが笑う。

 人形か? ジャンは紙ナプキンでバレリーナを作ったらしい。

 僕にはただのこよりにしたへなへなした紙にしか思えなかったけれど、バレリーナだと言われれば、そんなような気がしないでもない。ジャンがわけのわからない音楽を適当に口ずさんでいる。ジャンが白鳥の湖の真似事をしていることはすぐにわかった。

 ウェイトレスが僕の傍で明るい声で笑う。さっきの違和感は今は消えていた。

 ジャンが続ける。

「ああ、ジークフリート! なぜあなたはジークフリートなの?」

「ジャン! それひどいチャンポンになってるぞ」

 恥ずかしがる僕を後目に、二人はなぜか盛り上がっていた。

 ウェイトレスが笑って言った。

「素敵なおふざけね。私も楽しい時間を過ごせたわ、ありがとう。ゆっくりしていってね」

 彼女の言葉はとても柔らかく響いた。


     †


 ダイナーを出るとき、ちょっと待ってろとジャンが言ったので僕は車で待っていた。

 ずっと彼女のことを考えていた。名前くらい聞けばよかった……。そう僕が後悔していると、ジャンが「お待たせ」と車に戻ってきて、僕らはダイナーを後にした。

「何か忘れ物でもしたの?」

 僕が聞くと、ジャンは「知りたいか?」と焦らすんだ。そんな風に聞かれたら、普通は気になるだろ? もちろん「知りたい」って答えたよ。

 するとジャンは「サラ、彼女の名前だ」と言って笑いを堪えてるみたいだった。きっと僕の反応を見て笑ったんだ。

 だってあのときの僕は自分で言うのもなんだけど、すごく間抜けな顔してると思ったから。僕は慌てて「別に何とも思ってないよ!」と否定したけど無駄なことくらいわかってたさ。でも、僕くらいの年頃の男子だときっとこういうことって多いと思うんだよ。ああ、もちろんこれは反抗期とは違うんだけどね。


 帰りの車の中、タイヤのねじれの振動を感じながら、僕はずっとサラのことを考えていた。行きの車はほとんど揺れなかったのに、帰りはそれなりにゆったりと大きく揺れた。

 行きはジャンも気を使ってくれていたんだろうか。

 不規則に揺らぐジャンの運転は、緩すぎるシャワーを浴びているようでなんだか頼りなかったけれど、テープから流れるロックンロールがバランスを取っているみたいに心地好く、僕は物思いに耽っていた。

 あの表現力。特に難しい言葉を使ったわけじゃない。それなのに彼女が説明するメニューに反応して、僕の脳みそはびっくりするくらいよだれを足らしていたんだ。なんて言うんだろう、言葉の抑揚なのか、声の表情とでも言うんだろうか、僕にメニューを伝えるその言葉使いの素晴らしさと豊かさ。まるで魔法みたいだった。

 それと同時に感じた、彼女の声の奥にある歪みのようなもの。

 そして、なぜ自分がそんな風に感じたのかも謎のままだった。

「気になるか?」

 不意にジャンが僕に尋ねた。

「うん」

 ジャンの質問はそれだけだった。

 あのときジャンはどういう意味合いで、あの質問をしたのだろうか?


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