歌詞のないメロディ(4)

 それにしても、この男は本当に不思議だ。

 昨日はあんなに嫌味な奴に感じたのに、今はそんなことを感じない。

 繊細なのかずぼらなのか、嫌な奴なのか、実はいい奴なのか、僕は全然わからなくなった。まぁ、知り合ってまだ二日だからわからなくて正解なんだろうけれど。

 そんなことをあれこれ考えながらジャンと話していたら、随分と時間が過ぎたように感じた。

「そろそろ帰るよ」

 僕が切り出すと、「そうか、まともに話ができてよかったぜ」とジャンが言った。

 まぁ、昨日はあんな状態だったし無理はないなと思った。

「そうだ! 明日隣の町までドライブに行かないか?」

 ジャンが唐突に言った。

 僕はどう答えるべきか躊躇った。気乗りはしない。それに目が見えなくなってからというもの、僕は車に乗れば必ず吐いていたし、まだ出会って日の浅い、素性もよくわからない男の誘いで車に乗る。今なら学校のPTAやPTOがなんて言うだろうね。

 だけど断る理由もなんとなく見当たらなかった。たぶん無意識下で僕は、ジャンといい関係を築くことを望んでいたのかもしれない。

 そのときはまさかと思ったけど、確かに僕はなぜかこいつのことをいつの間にか信頼していたし、信用していたんだ。

「別にいいけど……。でも今日だって偶然ここに来れただけで、明日も来られる保証なんてないよ」

「大丈夫、おまえが知らなくてもこいつがわかってるさ」

「……僕、車に酔うと思うんだけど、構わないかな」

「おまえに任せるよ」

 ジャンは笑っていた。

 帰り道、この誘いを受けた僕に自分が一番驚いていた。僕とハミィの足取りはとても軽かった。


 自宅に帰ると両親がひどく心配していた。

 何度も町を探してくれたらしい。普段散歩に出ると必ずお昼前には帰ってきて、家族で食事を取るからだ。

「今日はどうしたの? 何かあった?」

 母が不安そうな声で尋ねる。

「ひょっとして迷子になったのか? 怪我したのか?」

 父もまさに箱入り娘を心配するかのような口ぶりだ。

「なんでもないよ、心配かけてごめんね」

 自分でも驚くことに事故から四年、やり場のない怒りをぶつけることしかしなかった両親に対して素直に謝る自分がいた。

 でもそれ以上に驚いているのはきっと両親だ。

 母はすでに泣いているのだろう。

「おまえが無事ならいいんだよ。さあ、おなかも空いたろう。食事にしよう」

 父が必死で涙を堪えた声で僕を促した。


 両親のせいで失明したなんてこれっぽっちも思ってなかった。

 それでも失明してしまった自分に対して、すべてのものが苛立って見えたんだ。

 確かに僕はほぼ八つ当たりで両親と接してきたけれど、昔みたいに仲良く戻りたいともずっと思っていた。でも、なかなか素直になれずに意地を張り続けてきた。今日こそは、って笑って声を掛けようって思っても、一粒何かが心に刺さっただけで、その日一日笑えなくなってしまう。そんな日を繰り返してきた。そうやって元に戻るタイミングを逃してしまうんだ。わかるだろ?

 でも僕は幸運だった。両親は常に僕のために両手を開き、帰りを待ってくれていた。

 つまり僕は、いつでも元通りになれたのに勝手に意地を張って四年という時間を費やしてしまったんだ。もちろん、そう気づいたのはもう少し先の話だけど。このときはただ、両親の変わらない愛がとても嬉しかった。

 自分を弁護することができるなら、これが僕の思春期だったってことにしてほしい。

 この四年が無駄だったとは思ってない。乗り越えるのに必要な時間ってのはきっとあるんだ。ただ感謝すべきは、そんな僕に対して、両親が変わらぬ愛を注ぎ続けて待っていてくれたということ。

 この月日が長かったのか短かったのかわからない。でもひとつ言えることは、両親がいなかったら、僕のこの四年はもっとずっと長かったに違いない。

 父も母もこの町に越して来て本当によかったと喜んだ。

 家族で遅い昼食を取った。実はジャンの家で食べて来たんだけど、なんとなく両親に言えずに無理して食べた。このときの僕はまだジャンに対してあまりいい印象を持ってなかったし、僕のイメージのジャンを両親に話せばきっと心配すると思ったからだ。

 無理矢理口に昼食を突っ込むが、なかなか飲み込めず苦労したよ。

 まあ、ハミィの方は食べてきたなんて気配も見せずに、ペロリと平らげてたみたいだったけど。

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