歌詞のないメロディ(3)

 玄関の扉は開いていたみたいだった。たまにトーストの香りが、外の風でふっと自分の傍から逃げていくのがわかった。

 玄関側ではない家の外からシャラーンシャラーンとウィンドチャイムの音が鳴った。玄関のチャイムではなさそうだけど、あれ? どこから鳴っているのか僕はわからなくて、ジャンに聞いた。

「誰か来たの?」

「いや、あれは家の裏だ」

 家の裏?

「まあ、お客さんと言えば、お客さんだな、ウッドチャックに餌をやっているんだ」

「ウッドチャック?」

「ああ、ウッド・ウッド・ウッドチャック・チャック・イファ・ウッドチャック・クッド・チャックウッドっていうあれだ」

 ジャンは笑って有名な早口言葉を下手糞な感じで喋った。


 ――How much wood would a woodchuck chuck if a woodchuck could chuck wood ?

(ウッドチャックが木を投げることができたら、どのくらいの量の木を投げられるか?)


 小学校のクラスでいつかやった覚えはあるけど……。

 外からキーキーっていう鳴き声が聞こえた。まだ子どもなんだろうか。

「外の木に吊り下げてあるんだよ。あいつらの挨拶替わりさ」

 ジャンのその、説明になっているようななっていないような答えに僕は不思議な感覚を覚えた。まるでウッドチャックに合図用のベルを用意してあげているみたいな、そんな言い方だ。

 ジャンが昨日も今日も外にいて、ギターを弾いていたことを思い出して僕は聞いてみた。

「どうしていつも外にいるの?」

「風を感じてるのさ。外にいちゃダメか?」

 黙ってトーストにかじりついてる僕の前を、ジャンが不意に通り過ぎた。ビャンとギターの弦の音が鳴って玄関のウィンドチャイムがチャランチャランと鳴った。

「おまえも早く鳴らせよ」

 やっぱりこの男の言うことはよくわからない。


 食事を終えるとジャンは外へ出て、ギターを弾きはじめた。

 ジャンは僕を誘導しなかったので、僕は適当に外へ出て玄関前の階段に座り込む。

 ジャンの弾くその曲は、僕がイメージする田舎町にピッタリなカントリー調で、心地好いコードが小気味好く鳴った。僕は柔らかい外の空気と、たまになるウィンドチャイムと、ジャンのそのギターの音に心を澄ました。いつも憎たらしい言葉を吐くジャンのギターの音色だけは、なんだかとても素直に聴ける音がした。本当はジャンはすごくいい人なのかもしれない。なんとなく僕はそう思った。

 僕の中に心地好い自然のビジョンが湧いてくる。流れる川の大きな岩場に座り、目の前に広がる森を眺めて鳥たちの鳴き声を楽しんでいる。川の流れる音の中に、岩場にぶつかり小さく跳ねる水、水浴びをする水鳥、魚をつまんで飛んでいくくちばしの長い鳥。木の陰に隠れてガサガサとするウッドチャック――。

「なんて曲なの?」

 今思うと実に子どもらしい質問だったと思う。

「曲名も詩もない。あるのはこのメロディーだけだ」

 ジャンはそう言った。ジャンが元々ある曲を弾いているものだとばかり思っていた僕は、ジャンのその言葉を聞いて、これがジャンのオリジナルなんだとわかり、素直に感想を言った。

「早く完成するといいね」

 メロディーを作ったってことは、歌詞とタイトルだって、すぐにでもきっと作るんだろうって、僕は自然にそう思ったんだ。僕はこの曲の完成を素直に心待ちにした。

 でもその僕の気持ちとは裏腹に、ジャンが低い声で「あぁ、楽しみにしてるよ」と言って、ギターを置いたんだ。

 ジャンのこの態度の意味が、僕にはなんとなくわかり辛かった。

 完成する予定のない曲だって言ってるんだと思った。自分には不可能なことを、他の誰かが完成させるのを待ってるみたいに聞こえた。そしてその誰かも、予定にない……。

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