第五章

歌詞のないメロディ(1)

 翌日、昨日の嫌なことなどすっかり忘れてしまった僕は、再び朝からハミィと散歩に出た。

 今日も配管工のオリバーが家の前にいて僕に声を掛ける。

「おはよう! 今日も一人かい? トビー」

 いくつかの煩わしい難所を超えなきゃならない以外は、澄んだ空気とまだ昇ってまもない陽の光とが気持ちいい朝だった。

 今日はオリバーは芝に水を撒いているみたいだった。僕が外に出たときに、蛇口を閉じる音がしたのでそうわかった。

 僕の方へカチャカチャ音を立てながらオリバーが近寄ってくる。

「おはようオリバー。そうだよ」

 わざわざ手を止めることなんてないのに、僕はそう思いながら、寄ってくるオリバーから逃げるようにして足早にそこを通り過ぎた。

 舗装された道を白杖を揺らしながら歩く。足場が変わり土になる。次第に鳥たちの囀りが心地好く響いてくる。森を堪能して歩いていると再びハミィが砂利の道に逸れていった。

 僕は昨日の一件を思い出した。心地好かった朝の散歩が一瞬にして不愉快な朝へと変貌した。

「またか?」

 ハミィはものすごい力で、呆れる僕を引っ張っていった。

 必死に抵抗しようとするが無駄な努力だ。右曲がりの長いカーブ。教会の鐘の音が聞こえて、そのうちにギターの音色が聴こえてくる。

 ハミィが大声で一鳴きするとギターの音色が止み、男の声がした。

「よう! また来たのか?」

 ジャンだ。さあ今日も僕をからかって笑い者にしてやろうというような微笑み混じった声だった。ハミィが急に走り出したので、僕はまたもやリードを手放してしまった。

「はは! おまえ今日もご機嫌だな」

「ああ! もう!」

 ジャンは昨日と同じように外でギターを弾いていたみたいだ。

「また鍵をなくしたの?」

 僕はそう言ってやった。

 さすがに意地悪かったかと思ったが、このロクデナシ男には嫌味なんてまったく通じなかったらしい。ジャンは平然と笑って答えた。

「今日は大丈夫だ、ところでおまえ名前聞いてなかったな」

「僕はトビーだ」

「そうか、いい名前だ。よろしくなトビー」

 玄関の先に立ったままの僕に、ジャンは昨日よりも割と素直な反応を見せた。

 ハミィも吠える。ついでにハミィの名前も教えてやった。

「そいつはハミング。ハミィだ」

「よろしくな、相棒。ふんふふ~ん」

 ふざけた鼻歌を歌ったジャンに、僕は言ってやった。

「言っとくけど、鼻歌じゃないんだ。Aなんだよ。ハミングだ」

 ジャンはそれには答えずに、「この町には慣れたか? いいところだろ?」と返してきた。

 僕はまたちょっとムッとして言った。

「いいところも何も、目が見えないんだから判断できるわけないだろ?」

「本当、可愛くないガキだよ。おまえは」

 ジャンが笑う。そのジャンの言葉に同調するかのようにハミィが一鳴きした。

「だよなー?」

 まるでハミィと会話しているかのようにジャンが相槌を入れた。ダメだ、やっぱりなんだか無性に苛立つ。

「ハミィ! 来い! 帰るぞ!」

 僕は一刻も早くここから去りたくなってハミィを呼んだ。だけど、ハミィはまたもや来る気配なし。

「なんだよ? 来たばっかじゃないか?」

「おなかが空いたから家に帰りたいんだよ!」

 おまえが嫌いだから帰りたいんだよ! とは言えず、僕は見え透いた嘘をついたが、ジャンからは予想外の言葉が返ってきた。

「なら家で食ってけよ! ちょうど俺も腹減ってたから」

 こいつには嫌味が通じないどころか、人の気持ちを読む能力もないのか?

「おじさん、そんなに寂しいの?」

 あろうことか引き留めてきたこの男に、僕が意地悪くそう言ってやると、やっとジャンが悔しそうに返した。

「おじさんじゃねー! ジャンって呼べ!」

 だってさ。ジャンもきっと気にしてたんだ。

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