ジャンナ・グッドスピード(2)

 ――カラン

 

 白杖が何かを弾いて僕は足を止めた。

 なんだろう。砂や石でもない金属っぽい音を立てて、何かが転がったのを感じた。

 ハミィを連れている左手のリードがたわむ。ファッファッと鼻息がする。何かを弾いた先で、ハミィがそのものの匂いを嗅いでいる。

 ニネベに越してきてわかったことは、この辺りは本当に自然ばかりで、シカゴにいたときみたいに人工的なゴミなんてほとんど落ちてないってこと。

 落ちてるのはどちらかというと、木の枝とかどでかい石とかそういうやつさ。躓いたら危ないって意味では、人工だろうが自然だろうが、たいして変わりはないけど。

 僕は「カラン」と音を立てて弾いたそれが気になって、近づいて座り込み手探りで探してみた。


 リードを手繰りながらハミィの傍にしゃがむと、ハミィの鼻先にさっき白杖で弾いたそれが落ちていた。白杖を小脇に抱え、両手で注意深くそいつを探ってみる。ひどく錆びついた感じで表面はザラザラとしていた。金属っぽくて、丸い筒状のパイプみたいなものだ。

 はじめ、僕はそれを自転車か何かのパーツだと思った。でも先の方に四角い突起みたいなものが付いていて、その先はジグザグとしている。棒状の部分は、途中ぽこぽこっと少しだけ段になっていて、逆の端はなんだか丸っこくて、結び目の付いた小さなプレッツェルのような形で真ん中にいくつか穴が開いていた。彫刻が施されているのか、複雑な形をしている。表面に模様も付いているらしい。

 そう、言ってみればなんだかお伽話にでも出てきそうなアンティーク風の鍵だった。

 何かわからないけど、面白いものを拾った。

 そう思ってそいつを拾いあげ、上着のポケットに突っ込もうとしたとき、どこからかギターの音がした。そしてまた小さく鐘の音。

 ザワザワと風が木の葉を揺らす音に混ざって、微かに聞こえるギターの音の方へと、僕とハミィは歩き出した。

 砂利道を少しだけ歩いていった先で、ハミィが大きな声で一鳴きすると突然走り出した。

 ハミィが急に走り出すなんて、今までそんなこと一度もなかったんだ。

 僕は思わずリードを手から放してしまった。

「ハミィ! ハミィー!」

 大声でハミィを呼び、白杖を左右に大きく振りながら前方へ進む。

 どこへ行った?

 ギターが鳴り止んで、それで僕はギターの音色がしていたことを思い出した。鳴っていたギターのことなんてすっかり忘れていた。

「おお、そうか、おまえ賢い犬だな」

 声が聞こえてきた。そんな風に聞こえた気がする。男の声だというのはわかった。その男が僕に気がついたのか、声を掛けてきた。

「なんか用か?」

 今度ははっきり聞こえた。重たく低い声で投げ捨てるように、「なんか用か?」そう僕に言ったんだ。その言葉があまりにも冷たい言い回しに聞こえたから、最初に聞こえたハミィを褒めるような声の主とそいつが同一人物なのか、僕は自信がなくなった。

 何かの聞き間違いか?

 ビンー……。

 ギターの弦が音を立てた。

 ギターを置いたのか、ガチャンと小さい音が鳴って、カツカツしたブーツの足音がこっちに近づいてくる。そいつの側でチャカチャカと音がしている。ハミィの足音だ。

「なんか用か?」

 やっぱり聞き間違いじゃなかった。声はさっきより近づいている。

 変わらず冷たい言い方だった。僕は少し慌てた。

「あの、その……散歩してたら鍵を拾って……そしたらどこからかギターの音が聞こえてきて、それで僕の犬が急に走り出したから……」

 めちゃくちゃな文法だろ?

 言いたいことはわかるけど、人間咄嗟のときなんてあんなものだよ。とにかく僕はそう言って、拾った鍵を出して見せた。

 そしたら男が、それは「俺の家の鍵だ」って言い出した。

 焦ったよ。僕が鍵を盗んだんじゃないかって、男が疑ってると思った。

「そこで拾ったんだ」

 僕は体を捩って、自分が歩いてきた方を白杖で指した。こうやって白杖を使うことで、目が見えませんっていうアピールになるかと思ったんだ。

「そうか、ありがとよ。鍵をなくして家に入れず困ってたんだ」

 すぐ側まで男が寄ってきて、僕の手から鍵を取り上げた。

 酒やタバコの臭いがプンプンしていた。何とも言えないくぐもった湿気も感じる。それに体温なのか? やたら生あったかい空気が揺れた。

 朝から自分の家の鍵をなくし、家にも入れず、仕事に行くわけでもなく、酒を飲みタバコを吸いギターを鳴らす。厳ついブーツはきっとごちゃごちゃ金具とか付いてるに違いない。じゃなかったらあんな騒々しい音は鳴らない。

 僕はこの男を文字どおりのロクデナシだと判断した。

 男は鍵を受け取ると離れていった。少しほっとした僕は、思わず吐息を漏らし、それをごまかすように軽く質問した。やっと僕の森が戻ってきた気分だった。

「どうして鍵を捜そうとしなかったの?」

 安堵したのも束の間、男の声が笑った。

「おまえが持ってきてくれたろ?」

 なんだよ、こいつ。僕はなんだか気味が悪くなった。

「じゃあ僕はこれで帰るよ……。ハミィ、行くぞ」

 長居してもいいことなんてない。そう判断して、さっさと帰ろうとハミィを呼ぶが来る気配がない。代わりにチャランチャランと音がして、扉を開ける音がする。

「犬は寄ってくみたいだが、おまえはどうする?」

 あいつ、裏切り者め。

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