第四章

ジャンナ・グッドスピード(1)

 八月になった。

 ある日、いつものように朝からハミィと散歩に出かけた。

 ニネベの朝は夏でも肌寒くて、上に羽織るものがなければ散歩しようなんて気にはなれない。でも、なぜかその日は朝から暖かかった。厚手のカーディガンを羽織っていた僕が、それを暑いと感じたからだ。

 一人で出掛けるようになってからずっと、散歩のコースはいつもハミィにお任せしていた。どっちが主人なのかわかったものじゃない。今ではすっかり犬の気分さ。大体二時間ほどかけてのんびり歩き、家に戻ってくる。

 ここに越して来てからしばらく父と歩いていた間に、ハミィもいろいろと覚えたんだろうけれど、それにしてもこいつは利口な犬だ。僕の体の調子までも見透かすのか、僕が少し具合の悪い日なんかは、上手く時間調整して早めに家に帰ってきたりする。

 だから僕は誰も見てないだろうと思うところで、こいつには素直にありがとうと言うんだ。両親に対してはなかなか言えないことでも、ハミィならどうせ言葉もわからないし恥ずかしくないだろ?

 まあ、最初は父か母のどちらかが僕を尾行してたようだったけど、今ではその気配もない。その二人の愛には気づいていたけれど、僕はやっぱりまだ口に出して感謝の言葉を言えるような気分じゃなかった。


 とにかく、その日も二人で散歩をしてたんだ。

 至るところから鳥の鳴き声が山々いっぱいにこだまする。

 シーピョシーピョシーピョ……。ジジジジジ……。

 そんな鳴き声が響き渡っている。

 僕は森を歩くのが好きだ。足の下は土だ。森? 森じゃないかも。まあなんだっていいさ。どうせ見えない。僕にとっては「森」さ。

 静かな森の中を歩いていると変な感覚に襲われた。

 スタジアムの真ん中に僕がいて、僕のために鳥たちが鳴いてくれてる――そんな感覚。屋根はないはずなのに響くんだ。不思議だった。目を瞑った僕が受ける鳥たちの盛大な歓声。

 ドームみたいに感じるのはなぜなんだろうな。太陽の日差しや敵から身を隠したり、食事をするための実や、巣を作ったり――そんな彼らを守る木々の茂みが、きっと屋根になってるのかもな。

 屋根の上からはカラスの重奏だ。

 カァッ! クワァッ!

 まあとにかく、木々が作ってるドームが、囀る鳥たちの鳴き声を僕に響かせてくれた。鳥の鳴き声ってかなり激しい。「囀る」って言葉の持つイメージは、とっても可愛らしい感じがするけれど、ずっと耳を澄まして聞いているとその囀りはときに仰々しく感じられたりして、たまに笑いがこみ上げてくる。喧嘩したり奪い合ったり、クラスメイトたちが喧嘩や仲直りを繰り返すホームドラマみたいだ。

 足の下の土の柔らかさが変化して固くなってくる。ここから左に回っていくと舗装された道が再び始まって家へと戻っていく道になるはずだ。

 そのとき、教会の鐘の音が小さく聞こえた。

 そういえば、父と母と歩いている間は教会の鐘の音なんて聞いたことなかったな。二週間も三週間も鳴らない教会の鐘なんて珍しい。教会のない町なんてないだろうから、あって当然だけど、父も母も礼拝に行ってる様子がないところをみるとあまり礼拝が行われてるような場所じゃないのかもしれない。

 そんなことを考えていたら、ハミィが突然右に逸れて砂利道を歩きはじめた。木陰の切れ目なのか、時折眩しい陽の光と暖かさを感じる。

 少し行くと大きな窪みがあったのか、僕は躓いてバランスを崩しそうになった。ハミィの足が速い。また躓かないようにこの場所は覚えておかなくちゃいけない。

「ハミィ、スロウ!」

 僕はハミィに少しゆっくり行くように声を掛けてついていく。こっちには行ったことがないはずだ。

 大きく緩やかな右曲がりのカーブが続いた。ま、こいつに任せておけば大丈夫だろう。

 僕は道を変えようともしなかった。僕はいつものように安心しながら白杖を適当に振りながらハミィに道を任せた。

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