神様がくれた特権(3)

 もうしばらく行くとハムおばさんがいる危険地帯だ。ハムは肉のハムだ。おばさんの名前は知らない。

 ハミィがピタリと決まった場所で動かなくなる。どこかの庭に風見鶏でもあるのか、カラカラと鳴る角を右に曲がった後、百歩ほど行った辺りだ。

 オリバーやメアリーのことにはそれほど興味もないけど、さすがの僕もハミィが動かないとあってはどうすることもできなくて父に聞いたことがある。

 僕はまだ夕方に散歩に出たことがないが、父や母が夕刻にハミィと出掛けると、そこに住んでいるお婆さんが必ずポーチで芝に水をやっていて、ハミィにハムをくれるらしい。

「そのお婆さんね、ハミィに向かってダジャレを言うのよ。ヤミヤミハミー! ハムだよってね」

 母は笑っていたが面白くもない。コメディアンなら予選落ちだ。

「ほらっ! 行くぞ! いい加減覚えろよ! 朝はハムおばさんはいないんだ」

 そう言ってリードを強く引っ張る。ハミィは渋々僕の前を歩きはじめた。

 次のポイントを超えれば、あとは自然たっぷりの僕の好きな木々の茂みがある場所へたどり着けるはずだ。森というには地面はなだらかだけど、林というには木々が茂っている気がする。それに鳥の鳴き声がすごい。僕の頭の中ではすっかり「森」だ。

 はやくここを抜けて今日は森を堪能しなくちゃ。

 コロコロという木でできた鈴の音が聞こえてくる。最後の砦は散歩中の老夫婦のノアとエマだ。お爺さんのノアは、僕と同じように目が悪いらしい。でも完全に見えないわけじゃないみたいで、老人性のものみたいだ。

 僕が失明した原因の部分でもある網膜の一部が、加齢によって変性を起こし、見えなくなっていくらしい。父がそう言っていた。でもノアにはまだ、ぼんやりとした形や色のようなものは見えているようだ。

 ノアの奥さんのエマが僕に気づき声を掛けてくる。来たぞ。

「あら、トビー、今日はどうしたの?」

 ノアとエマも朝の日課の散歩中だ。コロコロと鈴が鳴る。たぶんノアの杖だ。「かわいい音ね」と母が褒めたときは、エマが長い思い出話を始めたことを思い出した。

 まったくこの町の人間は皆、揃いも揃って長話が好きだ。

「おはよう、エマ、僕も散歩だよ。今日は一人なんだ」

 ノアも話しかけてくる。

「あぁ、トビーか! おはよう。今朝もまだ冷えるな」

「そうだね。ノア」

 僕が挨拶もそこそこにその場を去ろうとすると、エマが言った。

「今日は一人で散歩をするつもりなの?」

 だからそう言ってるじゃないか。僕は苛立ちを隠しながら答える。

「うん、そうだよ。この町にもだいぶ慣れたからね」

「そうなのか⁉ 君はまったくすごいな。私なんかは君以上に見えるはずなのに、いまだにエマと一緒でなければ外にも出られんよ」

 ノアがこれ以上ないくらいにリラックスした声で笑う。座り込みそうな勢いだ。

「一人でできることなら一人でやらないとね。誰かのお荷物にはなりたくないんだ」

 早く切り上げたいという気持ちとは裏腹に、僕はノアに余計なことを言っていた。だってなんだか少しイライラしたから。

 そんなことにはきっとちっとも気づいていないエマが続けた。

「でもねトビー、あなたの周りにいる人はあなたのお世話をしたいかもしれないわ」

 知ったことか。

 そう思ったけれど、きっと僕がノアに皮肉めいたことを言ったので、気に入らなかったんだろう。

 ノアが言う。

「確かにお荷物にはなりたくないよな。でもなトビー、私たちにはできることの限界があるんだ。違うかな? だから大きな顔して誰かのお荷物になることも必要なんじゃないかな? 神様が与えてくれた役割と言う特権さ」

 また神様か。僕はうんざりした。

「そんなものかな? でも僕たちみたいなのが困ってたらきっと周りにいる人は助けようとしてくれるよ? 必要以上に世話を焼いてほしくないだけだよ」

 しれっと答えて、今度は返事を待たずに歩きはじめた。

 僕は目が見えないんだ。そんな僕が困っていたら、周りは助けてくれるのが当然のはずなんだ。だから自分でできることは自分でする。それだけだ。甘えた考えは嫌いだ。

「気をつけてね、トビー坊や」

 エマが後ろから声を掛けた。僕は振り返らずに手を挙げ挨拶すると、そのままその場を歩き去った。

 もう少し歩けば森だ。

 そんなころ、突然視界の明るさがなくなったかと思うと雨が降り出してきた。ツイてない。ここからが本番だったのに!

 森まではもう少しのはずだけど、雨の勢いはすぐに強まってきた。

 なんだよ! 母さんめ、雨が降りそうなら降りそうで出掛けるときに教えてくれればよかったのに!

 心の中でそう思った瞬間、バサバサと僕の頭の上で音がしたかと思うと、僕を濡らす雨粒の感覚が消えた。

「ゴメンね! トビー。お母さん心配でついてきちゃった!」

 息を切らした母が後ろにいた。

 僕はめちゃくちゃにがっかりした。同時にずっと見られていたと思ったら、すごく恥ずかしくなってムカついてきた。

 結局今日も一人じゃなかった!

 僕と母は傘を差して、その日はそのまま家に戻った。

 帰りは一言も口を利かなかった。

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