神様がくれた特権(2)
「やあ、トビー、エドおはよう。今度釣りに行かないか」
声を掛けたのは、家の斜め向かいに住んでいる配管工のオリバーだ。いつも決まって外にいて、父と僕が朝散歩に出るとすぐに僕たちに声を掛けた。
「おはよう。オリバー! 釣りかあ! いいね! 今の時期は何が釣れるんだい?」
「まだちょっと早いが、9月になれば鮭祭りさ! 今年はペノブスコット川まで行こうと思ってるんだ! どうだい? トビーも連れてさ!」
父とオリバーはこんな感じで毎日結構話し込んだ。
話し込むって言っても何十分も話すわけじゃない。それでも玄関を出てすぐに始まる長話には、僕よりもハミィが不満そうにしていた。そりゃそうだろう、ハミィにしてみれば、すぐにでも外気の中を歩き出したくて仕方ないに決まってる。
彼が僕らを待ち伏せているのでなかったら、毎朝毎朝外へ出て、いったい何をしてるんだか、僕には皆目見当もつかなかった。
「ハミィ、待ってろよ。もう少ししたら、きっと二人だけで思いっきり散歩に行こうな」
僕は、話し込む父とオリバーの脇で、そんな感じにハミィとひそひそ話をした。
早速その夜、僕は夕食の席で父と母に告げた。
「明日から、僕とハミィだけで散歩に行こうと思っているんだ」
カチャッと食器の音がして、しばしの沈黙が流れた。てっきり反対されると思っていた僕の耳に、父と母の不自然に明るい声が聞こえてきた。
「そうか! それはいい考えだ!」
父と母は繰り返しそう言うと、じゃあ今日は早く寝ないといけないとか、消化にいいお茶を淹れようとか、明日のコースはどうするの? とか、やたらめったら早口で話し出した。
「ああ明日は晴れるかしら」
もう僕の言葉なんて聞いちゃいなくて笑えたよ。しかも二人とも涙声で吃っちゃってさ。
まあ引きこもってた息子が一人で外に出たいって言いだしたんだ。それが普通の親の感覚なんだろうか。配管工のオリバーとの長話が嫌だから思いついたなんて一生言えない。
「ああ! 神様! 本当に感謝いたします!」
母が興奮して口にしていた。
僕が密かに賛美歌を呪ってるなんて、こちらも一生言えないな。
†
翌朝、食事を終えて、ハミィと出掛けようとする僕に母が何度も声を掛ける。
「トビー、本当に一人で行くつもりなの?」
母は昨日からそればかりだった。
「大丈夫だよ、父さんと歩いて回った道しか歩かないし。それにハミィがいるだろ」
「でも……もしも何かあったら大声で叫ぶのよ。必ず誰かが助けてくれるわ、それまで動かないでじっとしているのよ。ああ、どうしようかしら……」
心配を繰り返す母を振り切るように僕は家を出た。限がない。
僕はハミィのリードを左手で持つから、僕の右手の白杖は、主に僕の右サイドだけを見てればいい。左側はハミィの担当だ。
まあもっと慣れてくれば、白杖なしで、家から散歩に出て帰ってこれるようになりたいって実は思ってるんだけれど、一度忘れたふりをして玄関に置きっぱなしにしてみたら、母が地球の終わりかと思うような高い声で僕の名前を呼びながら追いかけてきたもんだから、懲りた僕は諦めて、五段階折りたたみの白杖を常に携帯するようになっていた。
玄関を出て歩きはじめると、すぐに男が声を掛けてくる。
「やあ、トビーおはよう。今日は一人なのかい?」
来たぞ、オリバーだ。
「おはようオリバー、僕はこれから散歩なんだ、悪いけどもう行くよ」
どうせ挨拶程度の会話で用件なんてないんだ。
「あ……あぁ、そうか、気をつけてな」
オリバーは少しだけ面食らったようだった。よしやった! 僕は心の中でガッツポーズを取った。ひとつ目の難問を軽々しくクリアしてやった。
僕は最近ラジオで聞いていた、トライアスロンの選手にでもなった気分でいた。
今のは泥の沼地を難なくクリアってとこかな! さあ、何でも来い。ハミィと僕は行くぞ。
家を出てしばらくは、舗装された大きな道が続く。僕はハミィと真っすぐに歩いていく。
プァッー! プァッー!
車のクラクションが二回聞こえて、車が停まる音がした。
きっとメアリーだ。
彼女は散歩に出掛けた僕と母を見かけると、決まってクラクションを二回鳴らし車を停めた。だけどいつも道の反対側に車を停めるので、叫ぶように大きな声で僕たちに話しかけてくる。
「ハイ! トビー! ねぇー! 今日はどうしたのー?」
今日も変わらず豪快ででかい声だ。
「いつものように散歩だよー! 今日は一人なんだ!」
僕もメアリーに聞こえるように叫ぶ。いつもは母がこのまましばらくメアリーの相手をするけど……。
「え⁉ そうなの? 気をつけてねー!」
メアリーがそう叫び、僕はその声の方に手を挙げ挨拶して再び歩き出した。
ハミィが心なしか浮かれている。いつもと違ってスムーズな散歩の出だしに相当満足しているようだ。ふたつ目のトライアスロンポイントをこれまた難なくクリアして、僕も気分がよかった。川に架かる狭い丸太橋を渡った! ってところかな。
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