第三章

神様がくれた特権(1)

 僕の目から光を引きちぎっていったハリケーンから四年。僕らはメイン州の南西にあるニネベという町に移り住んでいた。

 七月だというのに山々から吹き降りてくる風は冷たい。冬本番になったときにはいったいこの町に住む人々はどうなってしまうのか、考えただけでも背筋が凍りそうだ。


 僕たち一家はこの町にある、今はもう誰も住んでいない祖父母の家に移り住んだ。

 目にはその光景は映らないものの、幼少期に訪れたあの自然豊かな光景は頭に思い描かれていた。家の床は傷み、歩くたびにギィギィと不気味な音を立てる。相当に年季の入った総木造の建物だ。

 この辺りには川や湖がたくさんあって、独立戦争のころ、焼却されたり沈められたりした開拓地時代の建造物や工作物なんかが実はまだ多く埋もれているって、祖母が話していたのをなんとなく覚えている。もう詳しくは覚えていないけれど、近くに国定歴史史跡に登録されている公園があって、その辺りから大砲が発見されたってのを聞いたときは少し興奮したのを覚えてるよ。

 祖父は軍人だった。

 壁には勲章がいくつも飾ってあった。あまりに厳めしい木造建ての家。飾られている銃や勲章・写真。僕はきっとこの家も、連邦政府指定の国定歴史建造物に指定されるんじゃないかと思っていた。

 祖母は、「そうね、トビー。でも残念ながら古いだけじゃ記録にはならないの。それに大砲を記念にするって意味を間違えちゃいけないわ」そんなことを幼い僕に何度も話してくれた。祖母は熱心なクリスチャンだった。


     †


 ここに越して来てからというもの、父は毎日僕を無理矢理外へ連れ出した。

「トビー、今日はどこへ行こうか。昨日行った湖の空気は本当に綺麗だったろう。森は少し足元が複雑かもしれないが、少しくらい転んだって構わないさ。私も子ども時代を思い出すよ。今は毎日疲れてよく眠れる! 緑の中、土の上を歩くっていうのは本当にいいものだな。トビー、そう思わないか?」

 父はハミィの散歩だと言っていたが、シカゴでは十分に外を歩くことなんてできなかったから、新しいこの土地での父の「思惑」という名のプランに、僕は毎日付き合う羽目になった。

「町の人たちにも挨拶して回らなくっちゃね。トビー一緒に行ってらっしゃい」

 父の思惑っていうのはまあ、僕を外へ連れ出すことだろうね。

 挨拶周りとこの町に慣れるためとは言え、一週間もあれば盲目の僕を連れながらの父も、町の人すべてに面通ししてお釣りがくるほど小さな町だった。

 父は、自分が幼かったころに遊び場に使っていた森や、川、湖なんかに僕を連れていった。

 行く場所に困ることはなかった。朝の散歩は父と二人で行くことが多かったが、母と三人で歩くこともあった。僕よりも、父と母の方が無邪気にニネベの自然を喜んでいたと思う。

 実際ここに越してきたことは僕にとっても悪いことじゃなかった。

 ここでの時間はそれまで住んでいたシカゴと違い、とても穏やかで緩やかに感じられた。目が見えていたころでさえ、シカゴのグラントパークで二時間も過ごせば、僕はしっかり疲れていたし、家に帰るまでの二十分がすごく長く感じたくらいだ。

 シカゴの町を歩く人たちはみんな慌ただしくって、それこそ目が見えなくなってから行ったデパートでは、何か恐ろしい化け物がうようよと歩いているみたいな錯覚に陥ったね。後ろから僕を追い越すすべてのものが、時間と言うモンスターに急き立てられて、逃げていく獲物みたいに感じたこともある。

 ここニネベでは、午前いっぱい森を歩いて家に戻っても、僕はそれほど疲れちゃいなかった。父は、今日はどこそこに行ったな! って毎日振り返っては、疲れたと言って、母と笑い合っていたけれどね。

 場所が違うだけでこんなにも違うものなのか?

 人の上に流れる時間は、すべてに等しく二四時間と言うのがまるで嘘のようだった。


 外へ出れば、すれ違う人は必ず声を掛けてくれる。

「やあ、エドモンド、ケイリー。それにトビー! 調子はどうだい? この間家のガレージにウッドチャックが迷い込んでね――」

 って具合に。

 近隣の挨拶って言うより、長年の友人同士の会話が始まるようだった。

 車もほとんど通らない。稀に車の音がしたって、危ないことなんて何もない。僕らが歩いてるところに車が通りかかれば必ずその車は停まった。

 窓を開ける音がして、大きな声で僕らに呼びかける。

「新しく越してきた人ね! はじめまして! 私はメアリー! 今度家に食事にいらっしゃいよ!」

 シカゴより唯一忙しいのは、こうした通りすがりのやり取りくらいなものだった。

 外へ出ても危なくないどころか、頼まなくっても誰かが玄関のドアを開けてくれそうなこの町。

 まあ、こんな僕には打ってつけの素晴らしいところだってことだ。

 社交上手な父と母のおかげなのか、この町の元々持つ性質からなのか、祖父母の住んでいた家に越してきた、まったくの部外者とも言えないファミリーだからなのか、理由はわからなかったが、僕たち一家はもうずっとこの町に住んでいるみたいに温かく迎え入れられた。

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