匂いの塊(2)
ある日、父が仕事から帰ってくると、父の匂いではない別の匂いが家の中に入ってきた。父を迎えに玄関に出た母が黄色い歓声を上げるのが、リビングにいた僕の耳にも聞こえてきた。
「あら! 可愛い!」
僕は興味のない振りをしていたが、リビングからしっかり聞き耳だけは立てていた。
「知り合いの農場で生まれたんだ。君の注文どおり男の子を貰ってきたよ」
何の話だ? 二人の会話の内容がいまいち理解できない。
母が嬉しそうにその匂いの塊を持ってリビングの僕のところまでやって来た。
「トビー、これ、なーんだ?」
そう言うと、母はその塊から手を離したのか、そいつの匂いと息遣いが僕に近づいてくる。
なんだ⁉ なんだ⁉
僕はパニックになっていた。
その塊は僕が座るソファーまで来ると僕の足元でスンスンと音を立て何かをしている。
足首にそいつの体の一部が触ったのかとても冷たかった。驚いた僕が足をばたつかせると、左足がそいつの体のどこかに当たったみたいで、キャン! と大きな声で鳴いた。
僕は頭に来て母に怒鳴った。
「なんだよ! これ?」
母が慌ててかけ寄ってくる。
後ろから父も慌ててリビングに入ってきたのがわかった。
「まあ! ごめんなさいトビー、あなたを怒らせるつもりはなかったのよ!」
そう言うと母は僕ではなく、その塊を抱き抱えたようだった。それがまた癇に障って、僕は母に怒鳴って言った。
「僕よりもそいつが大事なの?」
慌てて駆け寄って父が釈明する。言い訳なんだか説得なんだかわかりゃしない。
「違うんだトビー。君は昔から仔犬を欲しがってたろ? だからケイリーが私に仔犬を貰ってくるように頼んでいたんだ。名前はもう決めてある。こいつは――」
本当はすごく嬉しかったのを覚えてる。でもあのころの僕は頭がどうかしてたんだ。
ただ毎日が怒りに満ちていた。誰が悪いわけでもないのは当時の僕でもなんとなく理解はしてたのに、やり場のない怒りと悔しさで溢れそうになる自分が抑えられなかったんだ。
「そんなもの要らないよ!」
そう言って僕は自分の部屋にこもった。
†
新しく父が連れてきた仔犬は、「ハミング」と名付けられていた。
「ハミング、今日もトビーを頼むぞ。では行ってくる」
父は出かける前に、僕の部屋に来ると決まってそう言った。
仔犬は頼んでもいないのに、僕の部屋にずっといた。部屋の扉が開く前に、こいつが気づくもんだから、僕はまあそういう意味では、ちょっとだけこいつを便利に思っていた。
二人きりになると、こいつは僕にのしかかってきては無邪気にじゃれた。遠慮なんてまるっきり知らないらしい。
ハリケーンに襲われてからというもの、僕に対して無遠慮な態度を初めて取ってくれるこいつに、僕はすぐ心を奪われた。それでも喜んでいることを両親にはあからさまには知られたくなくて、だから部屋に誰かが近づいてくるのをすぐにでも察知してくれるこいつは、僕の絶対的な味方になったんだ。
ハミング、鼻歌か、僕はそう思いながら、「ハーミー」とか「ハミィ」とか「グーミー」とか愛称を考えてみた。
「ハミィ」と僕が呟いたとき、こいつは「フヒャン」と変なくしゃみみたいに鳴いた。思わず僕は笑って、「そうか、じゃあハミィにするか」ってこいつの頭を撫でた。
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