一九九二年八月 フロリダ(4)

 あの日フロリダを襲ったハリケーンは、根こそぎいろんなものを奪ったらしい。

 僕たちが助かったのは奇跡的なことだったと、呼んでもないのに勝手に病室を訪れた神父が話した。僕は黙って聞いていた。

 父と母の怪我については、こっそりチョコバーを差し入れしてくれた看護師のビアンカが教えてくれた。

 父は全身の擦り傷と打撲、それに左肩の複雑骨折。

 母は両足首を骨折。それ以外の目立った外傷はないけど、やっぱりひどく全身を打っていて、内出血を示す血液検査の数値が高く、内臓にダメージがあるかもしれないってことだった。まだ僕の病室に来れないのは、検査を繰り返してるかららしい。

「トビー。とにかく今は何も考えなくていい。父さんと母さんは大丈夫だ。母さんもすぐに来るから待っていてくれ」

 父はそう繰り返した。

 優しいが威厳のある数学者だった父を、このときほど弱々しく感じたことはなかった。

 大丈夫だと繰り返されれば繰り返されるほど、僕は大丈夫じゃないんだろうと、そんなことを感じた。それでも僕は、まだそのとき自分の体がいったいどうなってしまったのかなんて、それほど深刻には考えていなかった。

 最初はまったく動かないように思った体も、数時間もすればそれなりに動くこともわかった。感覚がなかったように思った指や足の先も、すぐにサラッとしたシーツの感覚くらいはわかるようになっていた。

 僕は何もすることのない病院のベッドの上で、ただ素直にあの恐怖からの生還を喜んでいたんだ。

 夏休みが終わったら、国立公園でワニと遭遇した思い出を友達みんなに話す代わりに、あのハリケーンの怖さと、気づいたら病院でぐるぐる巻きにされてたってことを話さなくちゃならないな、なんてことを考えていた。でもまあ、もしかしたら、ワニの話よりこっちの方が注目の的かもしれない。

 二週間もするころには体の痛みも引き、点滴も外されていた。足は吊るされていたから、骨折してるんだなってことは僕にでもすぐわかった。頭の包帯も外されてネットのようなものを被されていたが、目の包帯だけは外されなかった。

 だけどそのころには、包帯の中で瞼を開くことができた。

 ドクターは、開かないようにしてくれと言っていたけれど、僕は度々試みていた。

 だって暇だったから。

 瞼を開くと、ガーゼ越しに部屋の明るさを感じる。目を瞑っていて、急に開くと微かな明かりでもまぶしさを感じたりした。その後でまた瞼を閉じると、瞼の裏で幾何学な文様みたいなものがぐるぐると渦を巻いて現れたり消えたりした。

 僕はなんとなくそれが楽しくて、瞼を開けたり閉じたり、閉じたり開けたりを繰り返していた。

 父は肩にボルトを入れ込む手術を受けたようだったが、いたって元気だった。


     †


 ほどなく退院した父は、家と大学と病院を一日に何度も往復して、必ず毎日病室にやって来てくれた。

 母はしばらく車椅子で入院していたが、それこそ一日中、僕の病室に入り浸っていた。

 僕たちのいた病院はシカゴでも大きな総合病院だったから、リハビリ設備のある外科の病棟と、僕のいた小児病棟はかなり離れていた。

 最初は母の病棟から僕の病室に来るまでに、二十分以上もかかったらしい。それでも毎日車椅子でのターンやバック、緩いスロープを繰り返し、母の車椅子運転技能は素晴らしく上達していった。最短記録は八分だ。

「トビー! 私、決めたわ! 今度の車椅子選手権に出て優勝するわ!」

 なんて言い出したときには僕も父も大笑いしたよ。

 母は毎日僕の部屋にいて、上達した車椅子の技術の話をしてくれた。

 普通に歩くよりも車椅子の方が楽だとか、より速い病院の曲がり角のコーナーリングのアプローチの仕方だとか、まあそんな感じで僕の病室は、笑い声が絶えなかった。

 とにかく母のくだらないお喋りのおかげで退屈もしなかったし、母の僕に接する様子からも、僕は自分の症状に特に不安を覚えずにいられたんだ。

 僕の入院はもうたいした検査もなくて、一日に何度か看護師がガーゼを取り換えに来るくらいだった。ギプスをはめているらしい足がかゆくて、ギプスを外したらあせもが何か所できているかってことを、ビアンカと賭けていたくらい平和だったな。負けた方が、病院の外の角で最近人気の焼きたてクロワッサンを奢る。そういうことになっていた。


 そんなある日、いつものように朝から母のお喋りを聞いていた僕の耳に、コツコツと廊下に響く耳慣れない足音が聞こえてきたんだ。

 瞼に包帯を巻かれていた僕は、足音を当てることを密かな楽しみにしていた。患者はスリッパを履いていたから靴の足音がするのは限られている。僕の病室は廊下の突き当りにあったから、こちらへ向かってくる足音が僕の病室を目指しているのはすぐわかった。

 父と母の足音はなんとなくわかる。チョコバーをこっそりもってくるビアンカの足音も。

 でもその日はわからなかった。誰だろう、そう思った。

 母が急に話を止め、黙り込んだかと思うと僕の右手を握った。違和感のある沈黙が流れる。父も何も言わない。

 静かに病室のドアが開いた。誰かが入ってくる。

「やあ、トビー君。気分はどうだい?」

 聞き覚えのある落ち着いた男の声だった。

 目を覚ました日のドクターの声だ――ほどなくして僕は思い出した。

 僕の右手を握っている母の手の温度が高くなったのを感じた。そして一層僕の手を力強く握り直した。母が唾を飲む震動が響いた気がした。

「気分はいいです」

 どうしたのかわからないままに、僕はドクターの質問に答えた。

「私はドクター・ハモンド。君の手術を担当した、小児外科のチーフドクターだ」

 ドクターが言う。「いいですか?」

 この質問はたぶん僕にじゃなくて、両親に言ったんだろうと思う。

 父が、「はい。お願いします」と小さく答えた。

「トビー君、難しい言葉を使うが、君なら理解できると思う。聞いてくれるかい?」

 ドクターが椅子を引きずったのかガタッと音がして、僕の右横に腰を下ろしたのがわかった。

「君の怪我について説明するよ。頭部裂傷に左上腕骨骨折と左大腿骨骨折、右足首骨折。裂傷と言うのは切り傷のことだ。もう頭の包帯は取れているのを君も知っているね。骨折はほどなくよくなるだろう。絶対とは言えないが、まず元通り歩けるようになるし、走れるようにもなる。心配は要らない。君は成長期だから治りも早い。それから君のその目の包帯についてだが――」

  ドクターは声の調子を一切変えることなく淡々と続けた。


 網膜剥離による視力喪失。

 これが僕に下された診断だった。

 その言葉の意味を理解した僕は、人生の終わりを知った。


 僕はラジオから流れていたアメージンググレースの歌詞を思い出していた。


 ――Was blind, but now I see.

 (かつては盲目であったが、今は見える)


 だって? 冗談じゃない。


 あの日僕は失明した。

 教会にはもう二度と行かない。僕はそう決意した。

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