第2話 賢明なる解明

 琢磨が始めて鏑木に出会ったのは、彼が犯罪を犯して1ヶ月後の事であった。琢磨は老婆を殺害したことを微塵たりとも後悔はしていなかった。寧ろ、彼自身、犯罪行為を犯したと言う罪悪感よりも、完璧に殺人計画を遂行したと言う達成感の方が、彼の独特なる性格も相まって、彼の心を大きく占めていた。と言って、彼は決してその達成感から至る喜びで有頂天になるような軽率さは微塵もなかったのだ。以前と同じように、大学に通学して講義を受け、毎日のように医学部の附属図書館に通い詰めて勉学に勤しんだ。そしてそれは、彼が犯罪の発覚を恐れていることの現れであったのかもしれない。いつもと同じような彼自身を振る舞うことで、彼に何かの事態があったと言う徴候を他人に気づかれはしないかと言う恐れから出来るだけ遠ざかろうと言う気持ちがあったのかもしれない。

 そしてその日の午後も、彼は独国語の講義を終えると、いつものように豪奢な景観の学生ホールの裏手にある医学部附属図書館に、幾冊かの書籍を携えて向かうのであった。

 彼自身、読書の習慣は彼にとって、この上なく時間を忘れて集中できる心地よいひとときであったのだ。

 そして老婆の事件は、すでに事なきを得ていた。

 彼女の異変に気づいた、例の住み込みの女中が、慌てて通報して救急車が駆けつけたが、既に彼女は事切れていた。かなりの高齢ということもあり、居合わせた中年の医師が一通り調べたが、その結果、何らかの心不全が原因で急死したものらしいと言う診断結果で一件落着して、それきり、これと言って問題となることもなく、親族一同が集まって、滞りなくしめやかに葬儀が執り行われた。これは、琢磨の思う壺であった。彼には医学の知識を持っていたために、人間の心臓に多量の空気が血液中に混入すると、心臓閉塞症を起こして、命の危険に至ることは以前から熟知していた。巧妙なる殺人である。そして、事件は、単なる病死として片付けられて、いつしか関係者の人々の頭から忘れ去られていった。

 琢磨は、月曜日のセミナーで準備しておかなければならない医学論文雑誌の検索作業にやや疲れ果てて、2階の休憩室で、小さな丸テーブルに腰掛けて紙コップの珈琲を味わっていた。そこへ、一人の若い男がやってきて、気さくに琢磨に声をかけてきた。

「やあ、お休みですかな。研究の方は順調にはかどっていますかね?」

 妙に笑顔が印象的で人好きがする男だった。身なりは、野暮ったいが、彼には、人を引き付ける一種の魅力のようなものがあった。歩いてくる時に、彼には奇妙に身体をゆする癖があるようだった。

「いや、僕はまだ、教養課程の学生なんです。セミナーの準備ですよ。それよりも、あなた、誰なんですか?」

「いやあ、それをいわれると私も弱りましてね。実のところ、新参者の身の上でしてね。この図書館に来たのも、今日が始めてなんです。いやア、ここの図書館は大きいですな。思わず、迷子になった気分ですよ」

 休憩室は四方がガラス張りで透明な作りになっている。その中央の席で琢磨と、その男の二人だけが部屋にいるだけで他には誰も居ない。男が、声を落として言った。

「鏑木健一郎って言います。よろしく。実のところ、これで素人ながらも、奇術の研究をやってましてね。ご存じでしょう?手の中のボールをパッと消したり、舞台で美女の胴体をノコギリで切断して、もとに戻したりって、あれですよ。それで今日も、関連資料の調べものにやって来たって訳なんですがね」

実に屈託のない男だな、と琢磨は思った。この図書館は、3階が一般図書のフロアになっていて一般の者にも解放されていた。出入りが自由なのである。

「琢磨って言います。初めまして」

「実を言えば、僕も昔は医学に憧れた時期がありましたよ。生命体の神秘?実に魅力的な言葉だ。まだまだ不思議なものですよねえ、人間の身体って」そう言って、鏑木は、まじまじと琢磨の顔を覗き込んでくる。隠している内心を覗かれたようでなんだか嫌な気がしたが、琢磨は、顔には出さなかった。すると鏑木は、畳み掛けるように言葉を続けた。

「失礼ですが、あなた、お住まいはどちらですかな?実は、わたし、正直言って、医学生の部屋ってどんなものなのか一度拝見したくてね。さぞかし、勉強しやすく効率の良い部屋なんでしょうね?」

「いや、ごく普通のアパート暮らしですよ。あれは、あなたにお見せできる代物でもありませんよ」

「ご自宅はここから、遠いのですか?さぞかし、通学も大変でしょう?」

 うるさくてしつこい奴だな、と琢磨は苦々しく思ったが、根負けして、とうとう本当の住所を鏑木に打ち明けた。鏑木は、嬉しそうに上着のポケットから手帳を取り出して早速、住所のメモを取った。そして、言った。

「近いうちに、ご自宅へご挨拶にお伺いします。どうぞ、お構いはなく。どうぞ、医学の知識でも教えて下さいな、勉強、というか僕の研究の参考にもなりますからね」

 それからも二人は、しばらくの間、世間話で花を咲かせていた。すると、館内アナウンスが流れてきて、閉館のお知らせを伝えてきた。

「いけませんね。もう、こんな時間だ。そろそろ、僕はお暇します。どうも、僕なんかのために、貴重な時間を無駄にして、お話ししてくれて、本当に感謝します」

 そう言い残して、鏑木は去っていった。一人で残された琢磨は、その時、何やら妙な胸騒ぎを感じていた。どうも、怪しい男だな。別に悪い奴ではなさそうだが、何やら気に掛かる。彼の一言、一言が実に印象に残って彼の後ろめたい秘密に見事に突き刺さる思いなのである。何故だろうか?

 琢磨は、辛い思いを振り払うように頭を振って、持ち物を整理し直すと、そのまま図書館から帰宅していった。

 その晩、琢磨は、アパートの自室で、テーブルに独り向かって宅配の夕食を食べている最中だった。何やら、アパートの隣室から、微かな圧し殺したような物音が聞こえてきたのである。こんな時間になんだろうと、琢磨が耳を澄ませると、どうやら女性の喘ぎ声らしい。何だ、と琢磨の好奇心が動き始めた。しかしである。こんなこともあろうかと、琢磨は前もって密かに手を打っておいたのだ。それは、琢磨の部屋の壁に掛けた小さな写真のフレームである。秋の日の涼やかな、木の葉が舞い落ちる並木道の写真。琢磨は、食事の箸を置くと、壁に寄って、そっとフレームを壁から外した。すると、その後の壁のスペースに小さな丸い穴が開けられていて、その穴から隣室の室内の様子は丸見えなのである。

琢磨は穴を覗いた。隣室の中は、乱雑なようで、あちこちの床に衣服やゴミの類いが捨てられて、足の踏み場もない様子だった。そして、部屋の真ん中に敷かれた布団の上で、裸体になった一人の若い女性が、うつ伏せに押し寝かされて、上から下着姿の禿げ頭の中年の男に、ぐいぐいと両手で白い首を絞め上げられていた。女の裸体がビクン、ビクン、と震えていた。乳房が小刻みに揺れている。

「お願い。おじさん、殺さないで、何でも言うこと聞くから‥‥‥‥‥‥‥」

 それが、女の精一杯の叫び声だった。ヤバイな、と琢磨は思った。このままいくと、女は殺されてしまうだろう。しかし、琢磨には、なぜか手が出なかった。というより、手を出さなかった。彼自身、殺人行為に自ら手を染めて、今は他人の殺人を目撃している。そこには、最早、何ら変わりがないような気になってきたのである。

 その時である。突然に、琢磨の部屋の扉をノックする音がして、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「夜分にすいません。私です。鏑木です。突然、こんな遅くにお邪魔して申し訳ありません。拓磨さん、そこに、おいででしょう?」

 驚いて、琢磨は慌ててフレームを戻すと、乱れた身なりを整えてから、静かに扉を開いた。

 夜の暗い闇に浮かび上がるように、玄関先の廊下に、小柄な鏑木が立ち尽くしていた。

琢磨が落ち着き払って言った。

「ああ、鏑木さんでしたか。でも、こんな遅くにいらっしゃるとは思いませんでしたよ。まあまあ、どうぞ、お入りください」

「何だか、お隣さん、騒がしいようですねえ」

 そう言いながら、鏑木は拓磨に勧められるままに、革張りのソファに腰を下ろした。琢磨が珈琲を出してきて勧めた。そして、鏑木が嬉しそうに笑顔を浮かべて、コーヒーカップに口をつけようとした時、急に玄関の扉が、ガチャリと開く音がして、思わず、鏑木が後ろを振り向いた。すると、驚いたことに、扉の所の床の上に、一人の全裸の女性が、這うようにして部屋の中に入り込み、床から二人を見上げて、白い肌の上半身をのけ反らせて、プルプルと乳房を震わせながら悲鳴のような声を上げた。

「あ、あたし、殺されちゃう、あの男が殺しに来る、助けてよ、お願いだから‥‥‥‥‥」

 可愛い裸のお尻まで、丸出しである。しかし、彼女の首筋には赤黒い鬱血の後があった。首を絞められたのだろう。

 一大事であった。しかし、その後、アパートは大混乱となった。騒ぎを耳にしたアパートの住人たちが皆、顔を出して、暴れまわる下着の男を皆で取り押さえ、とりあえず女性に男物のコートを着せてあげて、住人の通報で到着した警察が、男と、その裸体にコートの女を近くにある警察署に連行していったのである。

「いや、お騒がせして申し訳ありません。僕もまさかこんなことになるなんて思いもつきませんでしたよ」

と、琢磨が、詫びるように二杯目の珈琲を鏑木に入れ直して勧めてみたが、どうやら鏑木は、部屋の様子に夢中になっている最中であった。彼は書棚に並んだ書籍の背表紙に眼を走らせて言った。

「大したものだ。医学生となると、読んでいる本のタイトルが、僕にはチンプンカンプンですな、はっ、はっ、はっ」

 そして、鏑木は、琢磨の不意を突いて、部屋の天井を見上げると、いかにも不思議そうに言葉を漏らした。

「それにしても、高い天井だな。天井裏はどうなっているのだろうか」

「ーか、鏑木さん、珈琲いかがです?もう一杯。美味しいの入れますから」

「そうですか?では、お言葉に甘えていただくとしますか」

「ああ、珈琲豆が切れている。しまったな。‥‥‥‥‥‥、ちょっと、待ってて下さいね。今、コンビニで買ってきますから」

 そう言うと、慌てたように琢磨は、裸足にサンダル履きで、駆けるように部屋から出ていった。

 そしてコンビニへ出掛けながら、琢磨の頭はパニック状態になっているのであった。ふうむ、しまったな。鏑木に金の隠し場所を気づかれそうだ。どう誤魔化せばよいのやら。これはまずいことになった。

 しかし、無事に買い物を済ませて、琢磨が帰宅すると、鏑木は、どうやら琢磨の書棚から抜き出した書物の読書に夢中の様子であった。鏑木が言った。

「いやあ、これは勉強になります。解剖生理学ですよね。心臓の収縮と拡張の生理的メカニズムですね。実に興味深い。面白いものだ」

 心臓。嫌な奴だ。妙に僕の隠し所をズバズバと言い抜いてくる。困ったな。そこで、琢磨がそろそろ深夜なので、この辺で、と言いかけると、鏑木が突如に先手を打って言ってきた。

「それじゃあ、僕はそろそろお暇します。どうも、ありがとう。それから、さっきの事件で何か進捗があったら教えて下さいな。よろしく」

 鏑木が去っていった。

 翌日の朝であった。琢磨が大学に到着すると、意外なことに、意味不明な彫刻を刻んだ大きな石製の正門の所に、ポツンと独り、鏑木が立って琢磨を待ち受けていた。愛想の良い笑顔で、鏑木が話しかけてきた。

「どうでした、昨日の事件。何か、進みましたかね?」

「どうやらね、」

と琢磨は、得心顔で答えてみせた。

「あの男、女のパトロンだったそうですよ。でも、別れ話にもつれ込んだ挙げ句に、あの始末ですね。本当、男女関係もややこしいものです。でも、鏑木さんは、何故ここに?」

「いやあ、大したことではないんですがね、僕、新しいスマホを買い直しましてね。それが、嬉しくて。ちょっと、記念撮影でもと思いましてね。もしも、拓磨さんさえ構わなければ、御一緒にどうですか?お願いしますよ」

「並んで記念写真ですか?まあ、構いませんが、こんなところで?そうですか?」

 鏑木が、通りすがりの女学生に頼んで、スマホを渡すと、二人仲良く写真に納められた。

 その後、二人で近くにある学生ホールに赴き、二階の談話室で世間話をした。鏑木は話題が豊富で、琢磨は飽きることなく鏑木の話に耳を傾けていた。面白い男だな、と正直、琢磨は思った。その後で、突然に、鏑木が手品をひとつ、お見せしましょうと言い出した。鏑木が、ポケットから、大きな鋭く太い1本の針を取り出してきた。何をするんだろう、と、琢磨が訝しげに思っていると、やおら、鏑木は、持っていた1本の太い針を、談話室のテーブルの上に置いたもう片手の甲にプツリと差し込んで、ぐっと指し貫いた。不思議なことに血が1滴も出ない。手のひらを太い針が指し貫いているのに血が出ない。そして、差した肌を引っ張るように、再び引き抜いてみせた。

 鏑木が、笑って面白いでしょう、と言った。琢磨は針でやや狼狽えた。不思議そうに、琢磨が、これも手品ですかと尋ねると、簡単なトリックでしてね、と鏑木が答えた。コツさえつかめば誰でも出来るんですよ、と付け加えた。

それきりで、二人は別れた。

 それから、しばらく鏑木は姿をみせなかった。琢磨は学業に専念して励んだ。そして、すっかりと鏑木の事を忘れかけていた頃に、ひょっこりと、彼が講義室で講義を受けている最中に、鏑木が姿をみせて、今から、ちょっと珈琲を一杯飲みませんかと誘いをかけてきた。拓磨も珈琲好きであった。それで彼の誘惑に勝てずに、しずしずと後をついていった。

 しかし、それが琢磨の犯罪の破局であった。そんなことに彼自身、気づくはずもなかったのではあるが。

 メルボルンという名の喫茶店であった。鏑木は隠れるように、隅の席に陣取ると、やって来た無表情な若い店員にブルーマウンテンを一杯注文すると、拓磨に身を乗り出して言った。

「拓磨さん、あなた、隅村かよを殺害したでしょう?」

 驚嘆する一言であった。琢磨は、狼狽した。まるで琢磨の本心を見抜いているかのように、鏑木は真面目な口調で言葉を続けた。

「そもそものきっかけは、あなたの部屋の天井でした。嫌に高い。それで、その事に言及したら、急にあなたは慌てて部屋から逃げ出してコンビニへ出掛けた。心理的に考えて、一刻も早く、僕を天井の一件から、遠ざけたい。そんな心理が働いた。それでね、僕はあなたが出掛けている間に、天井を調べて天井裏を開く天板を発見したんです。それで、天井裏を調べて、例の黒い鞄、見つけましたよ」

 そう言い終えて、鏑木が煙草に火をつけた。旨そうに吸った。

「天井裏に隠した大金。何だか、犯罪の匂いがしましてね、それで、あなたの近辺、探ったんです。すると、最近、あなたの家主の資産家の老婆が病死したって話じゃありませんか?」

 琢磨は、内心の動揺を隠せなかった。この男は、もう知っている。それでも琢磨は執拗に食い下がった。

「面白いお話しですね。推理としては素敵ですよ。でも、あの女性は病死ですよ。単なる事故なんでしょう?」

「それが問題なんです。後でまたお話ししますがね。

 それで僕はあなたと、あの事件に何らかの関わりがあるに違いないと踏んで、探偵社の者を装って、現場の近所を調査してみた、という訳です」

「何か分かりましたか?」

と、琢磨は半ば落胆したような口調で言った。

「ありましたよ、決定的な事柄がね」

 鏑木が、珈琲を勢いよく飲んで、椅子の背もたれに揺ったりと身を任せた。琢磨は、気が気でない。この男はいったい、何を言おうとしているのだろうか?

「あなたは、黒い鞄を持って、あの屋敷の塀を乗り越えた。高い塀をね。それを目撃した者がいるんです」

 でも、あの時、通りには誰もいませんでしたよ、と言いかけて、慌てて琢磨は口をつぐんだ。危ない、危ない。

「屋敷の向かいにある家に住む16歳の少年でしてね。その少年が、家の通りに面した窓の中から、老婆が変死した日の昼に、塀を越える所のあなたを見たってね。

 ほら、この前に、二人で記念写真を撮ったでしょう?あれ、あなたには悪いことをしたなとは思ったんですが、あの写真の画像を拡大して、少年に見せたら、間違いない、この人に間違いないって証言しましてね、そういうことですな」

 拓磨には、まさに「盲点」だった。まさか、家の中から覗かれていたとは知るよしもなかったのである。

「しかしですな」

と、鏑木が言葉を続けるのである。

「すべて情況的な証拠であって、物証にはならんわけです。それで、僕は屋敷の女性には弔問客を装って、現場の和室に上がり込みました。そして、部屋に何かの証拠はないかと探し回ったんです。それは苦労しましたよ。でも見つけました、床の上にね。1本の毛髪ですがね」

「髪の毛ですか?というと?」

「あなたもご存じのように、あの老婆は縮毛ですよね。だから、彼女の毛髪じゃない。もしかしたら、唯一、同居している女中のものかもしれない。それでね。今度近いうちに、殺人事件の可能性があると警察に掛け合って、女中から貰った毛髪のサンプルと、そして、いいですか、ここにいる、あなたから、1本、毛髪を頂いて、鑑識の科研の方で問題の毛髪のDNA鑑定をお願いしてみようと思うんです。もしや、あなた、それを拒否なさるおつもりですかな?そうすると、あなたは非常にまずい立場に立たされることになりますよ、それでも構いませんか?」

 琢磨はその答えに窮した。確かに毛髪の1本は容易いことだ。しかし、それで彼の有罪は確定してしまうのだ。もうどうしようもない。

 メルボルンの店内に客の姿は、なかった。誰もいない。鏑木と琢磨の二人だけが、壁際の席で、小さくなって話し込んでいた。

 しばらく琢磨は考えていた。そして、その後で、諦めた表情で正直に鏑木に答えた。

「どうやら、僕の負けのようですね。鏑木さん、あなたには参りましたよ。まさか、髪の毛を落としていたとはね。僕のミスですね。完全犯罪のつもりだったんですが、現実にはそう上手く行きませんね」

「ただね、僕にはまだ釈然としない所がありましてね。例の老婆殺しの殺害方法です。あなたは、いったい、どういう方法で、あの女性を変死に見せかけたんですか?」

 琢磨は笑った。思わず、吹き出しそうになった。そんな琢磨を、鏑木が不思議そうに見つめていた。そして言った。

「いつか、お話ししますよ。時が来ればね。その時に。いやいや、今日は、楽しく過ごせましたよ。‥‥‥‥‥‥、ああ、どうやら、もう、すっかりと珈琲が覚めてしまいましたね。残念です」

そこで、鏑木が、念を押すように強調して言った。

「世の中にはね、目に見えない犯罪なんて山のように存在しているんです。あなたは、それを知らないだけなんです。でね、僕が、この事を黙っていれば、そして、これ以上、この事を荒立てなければ、もちろん、あなたは何の罪にも問われずに済む。でしょう?でもね、僕には分かっていますよ。あなたはきっと良心の呵責に耐えれずに、自首するってね。警察に出頭するってね。そうじゃありませんかな?」

 それきりで、琢磨は黙り込んだ。長い時が過ぎた。それで鏑木は、そっと音も立てずに、席を外して店を出ていった。

 もう夕刻が迫っていた。辺りは暗くなっている。しかし、独り、琢磨は黙って下をうつ向いたまま、じっと座り込んで、あらぬ思いにボンヤリと耽っているのであった‥‥‥‥‥‥。

 

 

 

 

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家主の死 かとうすすむ @susumukato

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