第十四話 天正地震
天正十三年十二月。山城国天王山城。
「若狭後瀬山城は石垣と天守が崩れ、町も津波にてさらわれました。城主吉川元棟殿負傷。若狭湾に停泊中の隠岐水軍に大きな被害ありとのこと」
「近江長浜城は湖に向かい倒壊。羽柴家中にあまたの死者が出ておるよし」
「都の三十三間堂にて仏像が倒れ、下京で火災が起こり……」
地震から七日たっても余震が続く中、各国から次々と震災の被害が報告される。その深刻さに毛利の重臣も青くなっている中、私は自分を呪っていた。天正地震を失念していたとはなんという迂闊だ。
この天正地震は日本史上最大級の地震だ。震源地は飛騨と推定される直下型地震で、日本海から太平洋まで極めて広範囲にその被害が及んだ。飛騨、越中、美濃、尾張、伊勢、そして近江でいくつもの城と町が潰れ、若狭や伊勢湾では津波の記録もある。
そして日本史にも大きな影響を与えた災害でもある。史実なら小牧長久手で織田信雄を屈服させ、今年に毛利との国分、そして紀伊と四国の平定を終えた秀吉が、天下統一を次の段階に進めようとしていた。標的は九州を席巻しつつある島津か小牧長久手で屈服させられなかった徳川の二択だった。
史実では
だが地震によりすべてが崩れた。徳川征伐の後方基地になるはずだった美濃大垣城が全壊。備蓄されていた大量の兵糧も焼失した。位置的に先鋒になるはずの織田信雄も伊勢長島城や尾張清須城が半壊し大きな被害を受けた。
この地震が起こらなかったら徳川は滅んでいたか、残っても将来の幕府はなかった可能性が大きいのだ。
「都においては地震についてよからぬ風聞も流れておるよし。いかがいたしましょうか」
多分渋い顔をしていたのだろう。佐世元嘉が恐る恐ると言った感じで聞いてきた。言葉を濁しているがどんな風聞かは聞かなくても分かる。「毛利輝元が分不相応にも公卿となったので天罰が下った」みたいなやつだ。天災は為政者が徳を失ったゆえに起こるという天人感応説である。
まあ大災害が起こったときに為政者に鉾が向くのはいつの時代も変わらないのだが。
冷静になろう。この歴史では地震の被害は家康の方が大きい。何しろ美濃尾張伊勢という手に入れたばかりの領国に大きな被害を受けているのだ。
私がやるべきことは一つだけだ。
「毛利の全力を持って苦しむ民を救います。少将は民部と相談して西国の米を運ぶ手はずを。駿河守は若狭を頼みます。長浜の羽柴家、志摩の九鬼家にも見舞い銀を届け、必要な援助を申し出るように伝えてください」
私は重臣に仕事を割り振る。天人感応説は迷信だが、災害時ほど為政者の力量が試される時はない。
「後は呉の右馬頭に早船を。手はず通り各国に海兵隊を先発させるように」
災害救助に置いて軍隊組織ほど役に立つものはない。災害で人心が荒れた地に救援物資を運べば、奪い合いになる。下手したら救援に派遣した人員と現地住人が殺し合うことすら起こる。海兵隊を迅速に動かし、毛利の救援が迅速に行われるということを知らしめる。迅速に混乱を納めることは復興への最も大きな貢献だ。
そして災害救助はもともと掲げていた海兵隊の機能の一つだ。
天正十三年十二月。近江国長浜城跡。
「しっかり並ぶのじゃ。焦らんでええ。見よ、この通り米はたくさんあるでな」
鉄砲を構えた部下たちが米俵を守る中、儂は炊き出しの指揮を執る。近江長浜はとんでもない状況じゃ。淡海の近くにあった長浜の城は湖に向かって沈没している。湖岸の町もその多くが潰れてしまっている。陸だった場所にも水が噴き出している始末じゃ。
「痛み入ります村田殿。かほどに早く米を運んでいただけるとは」
「なんのこれしき。この海兵隊はかような時に役立つよう修練をしておりますゆえ」
「なんと鎮大将様はそこまでお考えとは、この秀長感服いたしました」
儂の前に来た恰幅の良い男は羽柴の殿様じゃ。腕の骨を折って片腕を吊っておるが、儂らの受け入れを陣頭に立って進めた。家臣たちも侍大将藤堂高虎を先頭に、炊き出し所の普請などをあっという間にこなした。羽柴家は主から家来まで粒ぞろいじゃ。かつては毛利より強い家じゃっただけのことはある。
「それでどうなされた。羽柴殿は確か小谷あたりの視察に出ておられたはず」
「実はその小谷のに近くにて、飛騨から来たという者を。高虎」
羽柴の殿様の言葉に鬼のような形相の若い男が前に出た。ボロボロの服を着た侍らしき男を連れている。
「なにとぞ、なにとぞ鎮守府将軍様にお取次ぎくださいませ。白川郷を救えるのは天下様である毛利様のみ」
ボロボロの男はそう言って地面に頭を擦り付けた。気の毒によほどに憔悴しておる。とはいえ飛騨は毛利の分国ではない、どうしたものか……。
「分かり申した。都に戻る隊員がおるで同行させますでな」
「あ、ありがとうございまする」
儂は紙と筆を取り出し、天王山城の佐世殿へ文を書く。気の毒というのももちろんあるが、飛騨は災いの中心、御屋形様は様子を知りたがるはずじゃ。
天正十四年一月。山城国天王山城。
「公方がいなくなった」
災害救助が軌道に乗り始めた一月初め。私は都の警備を担当していた益田元祥からその報告を聞いた。震災復興の忙しさで警戒が緩んでいた間に、二条城が空になったという。その後伊賀で義昭らしき一行が目撃された。誰何しようとした筒井の家臣を僧形の男が一刀のもとに切り捨てたらしい。
「伊賀ということは、向かった先は伊勢から東国へ、ですね」
「申し訳ありません。民の窮状をよそに蹴鞠の会などを開くなどしており、油断いたしました」
神君伊賀越えならぬ公方伊賀越えとは。私は過去のことを思い出し家康に同情した。向こうも大変な時だろうに、特大の厄介者に転がり込まれるとは。
逆に言えば毛利にとっては不幸中の幸いか。
「公方が苦しむ民を見捨てて逃げた。そう木札に書いて二条城前に立ててください」
私は元祥に命じた。これで京での義昭の評判はさらに地に落ちる。家康には返すように要求して、戻ってきたら出家させて寺に押し込む。帰ってこなければそれでいい。何しろ将軍が役に立たないことは私自身がよく知っている。
海兵隊を初めとする毛利の活躍により各地の怨嗟の声は流石新しい天下様というものに変わり始めている。光秀の敗北後、詫び状だけで上洛要請に従わなかった北陸の前田からも助けてくれと言ってきた。そろそろ上杉からの使者が来るだろうから迎える準備もしなければ。
やるべきことは山のようにある。私は過去の遺物を頭の中から消し、災害復興の指揮に戻った。
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