第十三話 鎮守府大将軍
天正十三年十月。和泉国岸和田城。
「土橋春継、開城を承知いたしました」
「よくやってくれました」
居並ぶ諸将の中を進み出た高山右近が私に紀州平定の完了を報告した。笑顔を取り繕いながら右近をねぎらう。敵城へ命がけの降伏交渉を成し遂げたのだから褒めないわけにはいかない。
「御勝利おめでとうございます」
小早川隆景、吉川元長、穂井田元清といった毛利一門、福原元俊や益田元祥といった軍監を務めた重臣、そして細川忠興、蒲生氏郷、筒井定次、羽柴秀長といった新付諸将が次々と祝いの言葉を述べる。
三ヶ月の紀伊平定戦で畿内諸将を毛利の軍編成に取り込んだのは大きな成果だ。その中にキリシタンがいても、目をつぶらなければいけない。今は少なくとも。
毛利の紀伊平定は史実の秀吉の紀伊攻めよりずいぶん有利なスタートをきった。史実の場合は小牧長久手最中に紀州勢が和泉や大坂を脅かしたのが発端で、彼らは和泉南部に進出して千石堀などいくつもの砦を構えていた。秀吉は大量の鉄砲相手に、犠牲をいとわぬ力攻めで勝利したと言われる。
毛利の場合は最初から紀伊国が戦場になっている。紀伊は北部紀ノ川沿いを除けば開けた土地は少なく、紀ノ川河口周辺の雑賀荘やそこから遡ったところにある根来寺がこの中心地域を支配していた。
ちなみに史実で豊臣秀長や御三家紀伊徳川が居城を置いたのもこの地域だ。
隆景は毛利軍を二手に分け、雑賀と根来寺の分断を図った。根来寺には吉川元長を主将に羽柴秀長らが取り囲み連絡を絶つ。同時に和泉山地を越えて穂井田元清が細川、蒲生、高山らを先鋒に雑賀へ攻め入った。これに加えて筒井定次は大和から高野山を牽制。そして海兵隊が紀伊の裏側である新宮を攻略という図だ。
紀伊に攻め入った各部隊には鈴木重朝の指揮の元、海兵隊の鉄砲教官が配され、褐色火薬の扱いを指導した。これによって敵の鉄砲隊が出てきたら射程を活かして有利に戦うとともに、大軍でもって雑賀と根来を締め上げる体制が成立した。
唯一の激戦となった雑賀荘は背後を鈴木重秀により脅かされ、正面から高山右近らに攻められて落ちた。雑賀衆の首領である土橋春継は山中の飯盛山城に逃げ出した。
飯盛山城は高野山のすぐ近くで、おそらくその援助を期待したのだろう。だが高野山はもちろん、紀伊南部の国衆も一切手を貸さなかった。これに関しては熊野別当堀内氏善の新宮陥落が結構効いたようだ。
この大軍を用いた戦争の手本と言うべき戦いは、新付の諸将を含め統率した小早川隆景の手腕だ。毛利直臣である軍監と外様の大名達の間にはそれはもう色々と衝突があったのだが、作戦に混乱はきたさなかった。まさに秀吉の勇気があれば天下を取れたという評通りである。
というわけで私の仕事は宛がい状に花押を記す。いわゆるハンコ上司である。
雑賀は鈴木重秀。筒井定次は希望通り大和の領有を認める。細川は丹後から引っこ抜きたいがまだ早い。そう言えば忠興は光秀の娘を離縁しなくていいと言うとやたらと喜んでいた。光秀の子すら処刑していないのだから他家に嫁いだ娘を罰するわけにはいかない。というか忠興の妻に関しては光秀の娘である以上の問題があるのだが、それは口に出せない。
新宮など紀州南部に関しては、木材を広島や大坂で大量に購入することで懐柔する。新宮は九鬼嘉隆に代官職を与えて、東国への水軍案内役としての機能を強化する。志摩波切が海兵隊拠点になることが決まっているし、紀ノ川河口を押さえる雑賀が鈴木家の所領となったので、東国の太平洋側へ毛利の水軍力を投影する体制を構築できるだろう。
最後に回した一枚を見て思わず手が止まった。高山右近への加増だ。
右近は今回の戦で雑賀一番乗りを果たしている。さらに飯盛山城の降伏交渉の立役者。新付諸将の中で軍功は抜きんでている。
根来寺が河内に持っていた大荘園を中心に五万石の加増転封という形で河内に移す。河内の南半分、十五万石の大名だ。新付の諸将に五万石の加増は破格と言っていい。この手の男を邪険に扱うと毛利が人心を失うのだ。
もちろん高槻城は収公する。天王山城の目と鼻の先で、京と堺という政治経済の中心であり、何よりもキリシタンの多い土地から引きはがせるのであれば、我慢できる範囲だと自分を納得させる。
腹立たしいほど有能で誠実な男だ。キリシタンでなければ河内一国を任せてもいいくらいだ。
とにかくこれで京に凱旋できる。紀伊平定の褒賞として朝廷が官位をくれる手はずになっている。毛利国家の秩序を再構成し、日ノ本の海の管理権を手に入れるのだ。
同十一月。山城国京。
「大江朝臣輝元。件の人、宜しく鎮守府大将軍と為すべし」
宣下が読み上げられるのを衣冠束帯をまとった私は神妙な顔で聞く。従三位鎮守府大将軍大江輝元、これが今後の私の正式な呼び名となる。ちなみに清涼殿での任官式というのは名誉だ。周竹が言うには正式な除目と同形式らしいので、朝廷も毛利を官位秩序に組み込むために必死なのだろう。
「平朝臣隆景。件の人、宜しく右近衛少将と為すべし」
「大江朝臣貞俊。件の人……」
私の後ろに控える毛利家重臣五人にも次々と官位が与えられる。私が公卿、彼らはそれぞれ五位、つまり公家となった。
ちなみに史実ではほぼ同時期に秀吉が関白になっている。私が公卿になったのは上洛して秀吉に臣従した天正十六年だ。史実と比べて早いか遅いか微妙なところだ。
だが政治的には史実以上の意味を持つ。
従五位程度、辺境の一軍団指揮官格だった鎮守府将軍が、
さらに隠岐、志摩、安房などの国司の推挙権も認められる。ある意味大宰府的な権限も持つことになる。大宰府とは数ヶ国にまたがる広域行政機関名だ。古代の筑紫大宰府は壱岐、対馬を含めた九州を管轄した。
これで鎮守府が日本の海を管轄する新体制への一歩が踏み出せたことになる。今後は海を渡ってくる南蛮船も鎮守府の権限と押し込んでしまえばいい。
紀州平定の間に里見は服属を承知した。そして年明けには上杉からの使者も来ることになっている。正使が直江兼続、副使として真田信繁という話だ。これで
東国を締め上げる体制が整ったら西方に力を入れよう。島津と挟み撃ちで九州のキリシタン大名どもを滅ぼしてしまえば、海外勢力が日本に橋頭保を築くのを阻止できる。
夜。天王山城。
「まずは一献。民部大輔殿」
「これはこれは少将殿から酌されるとは恐縮の極み」
天王山城の二ノ丸では毛利家重臣が祝宴を開いていた。上座に座るのは正五位下右近衛少将小早川隆景、その隣は同じく民部大輔福原貞俊。彼らに向かい合う二人人は従五位上駿河守の吉川元長、同じく従五位上播磨守穂井田元清、呉に戻っている右馬頭児玉就英を合わせて、毛利の新しい五宿老だ。
今回の任官によって、彼らは毛利家の宿老を越え、いわば公の地位を得たことになる。
「周竹殿がいうには民部とは戸籍や税をつかさどる官という。これにて検地もはかどりましょうな」
「いやいや国衆どもは米の取れ高をごまかすため必死。
隆景の言葉に貞俊が珍しく軽口をたたいた。
「いまや毛利は天下の主。かつての大内を凌ぐ。まさか生きているうちにかようなことを見るとは。……ただ検地のほかにも心配事はござる。……そう言えば穂井田殿の男子は幾つになられた」
「さて、息子の年などさほどの大事とは思えませぬが」
元清は慎重に話をそらした。元清は吉川、小早川といった正妻の子と差をつけられていたが、今や両川と並んで宿老となり、毛利本国と畿内を繋ぐ要衝播磨を預かっている。しかも母を同じくする二人の弟は安芸の国衆天野家と小早川家の跡継ぎである。
元清の子が毛利の養嗣子となれば、次代の毛利は乃美の大方の血筋が支配することになるのは明白なのだ。
「母も心配を常々口にしており、鎮守丸の奥のことなどあれこれ周旋している様子。とにもかくにもお家の安泰のためには御屋形様の実子が継がれるのが一番」
己に野心なしと元清は強調する。
「児玉殿の娘であったか。
元長が言った。貞俊は軽くうなずくと、となりに目を向ける。
「小早川殿はどうお考えか」
「……むろんお世継ぎは懸念の種。ただ同じくらい危うきことがあると考える」
「ほう。それは穏やかならず。お聞かせ願おう」
貞俊の言葉に隆景はしばらく沈黙した後、全員を見渡してから口を開く。
「我らかつてより御屋形様が毛利をつぶさぬよう、つぶさぬようと手足を取るようにしてまいった」
「さよう。そして御屋形様もご成長なされ今や公卿の身。長年支えてきた甲斐あったというもの」
貞俊は言った。だが隆景は謹厳な表情を崩さずに、三人を見る。
「もし今御屋形様が毛利をつぶすような策を立てたら、我らそれを止めること能おうか」
その言葉に座は静まり返った。
結局宿老達は最後の会話がなかったように酒を酌み交わし、解散した。
次の日、彼らは将来の毛利の懸案どころではない事態に直面することになる。
天正十三年十一月。天正地震が日本の中心を襲ったのだ。
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