応援コメント

第十三話 鎮守府大将軍」への応援コメント

  • いつも楽しく読んでます!

    「対島」は、「対馬」のことでしょうか?
    当時はこの表記だったのならすみません。

    作者からの返信

    @hachimitsu_konnyaku さん
    ご指摘ありがとうございます。修正しました。

  • 参謀本部を作ったら次は陸軍情報局のような諜報機関が必要ですかね。
    未来を知っている主人公なら、情報が何よりも重要だと理解していると思うのですが。
    毛利には世鬼がいたと思うのですが、扱いどうなってんですかね?

  • 天正地震キター!(^^)
    史実では秀吉が家康を滅ぼすことを諦めるきっかけとなりましたが、この世界線ではいかに?
    転生者・輝ちゃんが地震にどう備えていたのか、次回が楽しみです!

  • 主人公の中身、これだけ戦国時代に詳しければ、まさかこの地震知らないとかないよな?

  • 毛利をつぶすような策――養嗣子擁立か?
    30代で実子を諦めるのは、武士の感覚的に普通「ありえん」やろし

    上杉の正使が直江さんなのは妥当だが、史実だとあくまで一国衆からの人質な信繁が副使なのはどういうこと?
    徳川との和睦路線にシフトした親父兄貴(親父は表向きだろうが)と袂を分かち、打倒徳川を貫いているのか?

    >「母も心配を常々口にしており、鎮守丸のことなど周旋している様子~」
    人物の通称なのか、城郭のいち区画なのかがあやふやなので、人(周姫)をさしているなら「殿」を付けるか、広島城の鎮守丸のことなら「鎮守丸の奥向きなど~」にすべきでは?

    作者からの返信

    @aymzkr さん
    ご指摘ありがとうございます。修正しました。

  • あれあの地震って長浜城潰れてたような……
    羽柴家…………

  • > 「児玉殿の娘であったか。童女わらべの頃より御屋形様がえらく執着なさっておったが。すでに子を産める歳ですな」
    各所が少しずつ埋めてきてるの草
    サラミ戦術って奴ですね!(違


  • 編集済

    天正大地震て史実だと徳川を助けたけど、作中だとほぼ徳川の勢力圏で毛利の方に有利になりそう
    そういや北陸はいまどうなってるんだ?

  • 取り敢えず信繁は鎮守府で九鬼さんとこの息子と一緒に勉強させましょう。信繁の船の名前はもちろん真田丸で……

    校正
    >彼らに向かい合う三人は~
    >呉に戻っている右馬頭児玉就英~
    >謹厳な表情を崩さずに、四人の宿老を見る。

    宿老たちの飲み会に就英がいるの? いないの?
    当主独裁体制が確立されつつあることを危惧する隆景のセリフは、海兵隊総長がいる前で言ったのかそうでないのかによって、大分意味合いが変わると思います。

    作者からの返信

    @tf3023-163 さん
    ご指摘ありがとうございました。人数表記を一人ずつ減らしました。


  • 編集済

    伊勢の徳川、近江の羽柴などに対し
    太っ腹な領地交渉の理由は
    この地震が念頭にあったのかな?

    西を優先して固める方が良いと判断したなら
    伊勢・畿内への執着が弱かったのも頷けます

  • 徳川が美濃尾張伊勢を取ったと言うことがどう影響するか。少なくとも、大垣城と清洲城、伊勢亀山辺りは城の大改修工事が必要だろうし。
    すぐ戦争を決意としても、大垣城が廃墟では如何ともしがたいところ。
    徳川による東海侵攻は13年は領主交代による年貢の減免、14年は地震による年貢減免と、濃尾勢ではほぼ無収入のまま再建工事をしなければならないという、金ばかりかかることに。
    羽柴家御一同、長浜城と一緒にお亡くなりと言うことにならなきゃいいけれど。


  • 編集済

    事実だと秀吉が徳川を攻める為に兵糧を大垣城に集めていたところを大地震でしたっけ。
    本作品では徳川が毛利攻めの気配でしたが如何に?次回が楽しみです。

    被害が酷かった地域がほとんど徳川の勢力範囲な気が、、、

  • このまま行くと秀吉秀次ルートが垣間見える…
    歴史の修正力回避の為に周ちゃんと仲良くしないと…(真顔)

  • 鎮守丸呼びが定着していて笑ってしまいました

  • 毛利の重鎮が畿内にいる時に地震来ちゃったのがどう影響するか楽しみです。

  • 船で援助物資届けて活躍かな?


  • 編集済

    校正
    郡編成 -> 軍編成
    元清は吉川、小早川といった正妻の子と差をつけられていた元清だが -> 元清は吉川、小早川といった正妻の子と差をつけられていたが
    二人人 -> 二人

    高山、細川妻もそうですが、蒲生、筒井もキリシタン臭がします。
    筒井といえば、順慶は天正壇之浦の前あたりで亡くなってますね。史実では。ということは和泉に出陣したのは定次?

    天正13年11月29日は西暦だと1586年1月18日
    大寒のころだから一番寒い時期ですね。

    作者からの返信

    天球 さん
    ご指摘ありがとうございます。修正しました。