閑話 悪寒 Ⅰ
天正十三年八月。遠江国浜松城。
浜松城の本丸には徳川家の主だった重臣が集められていた。今後の方針を決めるための談合である。
「伊勢の全てに志摩もついでに取ると言われるか。毛利が安濃津の湊まで譲ったにもかかわらず欲をかくなど。戦になったら如何にするおつもりか」
「譲ったとは片腹痛し。伊勢は既に我ら徳川に服したも同然。それを認めたのみよ」
京から戻った石川数正と尾張から駆け付けた酒井忠次、左右宿老がいつも通りにぶつかり合うのを、家康は脇息に身を預けて黙って見ていた。
最大の懸案であった毛利との国分交渉は予想以上に上手くいっている。もともと家康の見立てでは鈴鹿郡まで北部六郡を認めさせれば御の字だった。毛利が西国の大軍をもって徳川を攻めるなら、近江の不破関から美濃へ、そして鈴鹿関から伊勢へ、という二路をもってするに違いないからだ。
ところが毛利は鈴鹿郡どころか安濃郡、果ては一志郡まで譲る意向だという。伊勢十三郡の内、北の九郡が手に入れば伊勢の石高の大半を得るとともに、伊勢湾の要である安濃津が手に入る。
交渉の裏で忠次が伊勢の国衆地侍を徳川に取り込んだが、それをそのまま認めるとは思っていなかった。
数正の言うには毛利側の佐世元嘉という奉行はあきれるほど駆け引きのできない男だという。終いには「伊勢と志摩を一国ずつ分け合うことで互いの面目を」などと言い出したらしい。志摩は高々三万石。それこそ毛利の面子がそれで保つというなら安いものだ。
問題はそういう人間を出した毛利輝元の意図だ。畿内の統治を優先するためという数正の意見はもっともではあるが、それにしても譲りすぎではないか。本来なら上洛して臣従の意を示せ、あるいは息子を人質に出せ、くらいのことは言ってきてもおかしくない。むろん家臣らの手前、そのような要求に唯々諾々と従うつもりはなかったが……。
毛利の内情に何かほころびがあるのか……。
家康は縁側を見る。末席の正信はいつも通り一言も口を開かず謹厳な表情で座っている。家康の視線に気がついても反応しない。
京で正信が調べた内容は既に報告を受けている。信長が本能寺で斃れた後の毛利はまさに連戦連勝。播磨で羽柴秀吉を討ち、織田家に奪われた中国の領土をことごとく取り戻した。伊予に出兵して傘下の河野家を立て直し、讃岐阿波を攻めて長宗我部元親を討って瀬戸内の海を己が物とした。
織田家に代わって畿内を統べた土岐光秀が九州の大友、四国長宗我部を用いて包囲を仕掛けたが、ことごとく打ち破り、播磨に引き寄せて若狭を奇襲するという奇策で光秀を討ち破った。
輝元は戦下手で吉川元春、小早川隆景という二人の叔父があってのことと言うのが風聞である。「そのようなこと夢々お信じなさりまするな」というのが正信の意見だ。若狭から京を攻め落とした元春は鬼神の如き猛将、瀬戸内の水軍を統べる隆景は一手も間違えることなく大石を取るが如き賢者。
その両者の陰に隠れて決して無視できないのが海兵隊という精鋭だという。鎮守府将軍輝元に直属する部隊で、かつて木津川口で織田方の水軍を打ち破った児玉就英が将という。兵数は二千程度だが銭で雇われていることから常に戦に出られるだけでなく、日々調練を積んでいる恐るべき練度だという。
元春、隆景、就英が稀代の名将としても、それを使いこなす主に器量なくば長門から近江まで、かつての織田家を超える領国を得られるはずがない。正信が詳細に調べ上げた毛利の戦を見るに、恐るべき相手であることは間違いない。
だからこそこの譲歩が解せぬ。もし己が輝元なら、国分で安濃津は決して譲らない。西国に轟く毛利水軍がもしも安濃津まで出張れば、これほど恐ろしいことがあろうか。
正信は「かつての大内家のごとく豊前、筑前を得て唐朝鮮との貿易の利を狙っておるのでは」ということだ。故信長も重臣を筑前守や日向守に任命し、自身も大坂に本拠を移す構想だった。本能寺前に信長の口から「東国のことは三河殿あれば安心故」という言葉を聞いている。
さかのぼれば足利義満や平清盛も西国の富と唐、南蛮の貿易の利によって栄えた。安芸を本国とする毛利が同じように考えるのは道理だ。家康にしてみれば毛利の目が鎮西に向かうなら、それは願ってもない。
それでも東海に七ヶ国、いや伊勢も含めれば八ヶ国を領有させるのは道理に合わないのだが……。
「伯耆殿の言にも一理あるのではないか。そもそも今は信濃に力を入れるべきぞ」
「むむっ。大久保殿とは思えぬ弱腰。そもそも北条が上州への出兵を渋っておる。北条と同時に攻めねば先の轍を踏むことにならぬか」
「なんの、次は負けはせぬ」
大久保忠世が数正に同調した。大の数正嫌いの忠世だが、真田への雪辱が第一となっている。平岩、鳥居といった面々も気持ちは伊勢よりも信濃に向いている気配だ。
家中の空気の変化を確認した後、家康は己が心中に舞い戻る。
正信の報告では輝元は位階の上昇を朝廷に働きかけているという。かつての北畠顕家の前例を梃子に鎮守府大将軍として公卿たろうという心らしい。
北畠の名前に猜疑が刺激された。伊勢は代々北畠氏が国守だった。
いやあるまい。それならばなおさら伊勢でここまで譲らぬ。
公卿となるのは公方を越えるためと考えるのが道理。加えて大きく広がった家臣や傘下国衆に君臨するために、より大きな権威を求めると考えるのが自然。
もはや神輿としても使えない公方を毛利も持て余しているのだろう。数正も家康の意を察し、京で義昭との接触を避けている。正信が義昭側近の一色昭孝に接触したのは京の情勢をつかむためだ。その正信も「毛利に無視された公方様は怒っておられるが、京でも誰も相手にせず」と断じている。
もちろん「東国の儀預けおく」という言は《東国において》便利に用いさせてもらうが。
やはり毛利とは事を荒立てず、伊勢のことはこのまま落着させる。そして何より背後を固めるべし。家康は心中でそう意志を定め、談合の流れを見る。
「毛利は紀伊攻めの準備をしている。紀伊を手中に収めた毛利が今の案文をそのままとする保証なし。今は酒井殿に尻尾を振る伊勢の衆もそうなればどう動くか」
「…………」
数正が畳みかけた。忠次が沈黙した。家中の空気は信濃に向かっている。家康は一瞬で口上を練ると、脇息から肘を離した。
「皆の存念よくわかった。ここは儂自ら馬を出し真――」
強烈な悪寒が家康の背中を走ったのはその時だった。
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