第十二話 新宮上陸戦
天正十三年七月。紀伊国熊野灘。
「毛利のあの船はなんじゃ」
「まことに奇妙でございます。まるで安宅船と関船の悪いところを合わせたような
朝霧が晴れた海上。安宅船から前方に見えてきた毛利船団を確認した嘉隆は家老豊田に言った。豊田は首をかしげ、主君が言いたいことを代弁した。
毛利船団は安宅船一艘に関船三艘。事前に知らされたとおりの数だ。安宅船は毛利の威信を現すように大きいが、残りの関船がよくない。荒潮の中三角隊列を維持しているのは良いとして、船型がいかにも不格好なのだ。
柳の葉を良しとする関船が、大げさに言えば将棋の駒だ。横に広すぎては関船の命である船足が出ない。それに船上部の総矢倉は低く、狭間が少なくやたらと前に寄っているのも奇妙だ。ずんぐりとした形からあるいは大砲でも積んでいるのかと思ったが、そのような様子はない。それに船尾の形状が切り落としたようにまっすぐになっている。
「…………とはいえ紋を見るに。波切と同じ。ならばそのまま測るわけにはいかんか」
船腹に描かれた櫓と鉄砲を確認した嘉隆は「大将船に向かう」と指示した。海面に下ろされた小早船に縄梯子で乗り移り毛利の安宅船に向かって漕がせる。
「これは九鬼殿、ご足労ありがたく」
安宅船の船楼に入った九鬼嘉隆に声をかけてきたのは堅田元慶だ。毛利輝元の直属奉行で、その若さと優男めいた風貌を侮りたくなるが、一夜で波切を落とした胆力を嘉隆は知っている。
何よりも今回の戦では軍監である。実質的には熊野灘の戦では大将ということだ。
「ご紹介が遅れましたな。こは海兵隊隊将村田益吉殿」
「村田よ……益吉でございます。志摩の大将と船を並べて戦えるとは」
口を開いた男に嘉隆は驚いた。てっきり元慶の小姓かと思っていた小男が毛利軍を動かすということか。
「その若さで将とは、毛利家中でもよほどの」
「さよう村田殿は先ほど児玉家と縁続きになりました」
「なるほど。それは祝着」
児玉家と言えば毛利の奉行職を二つ預かる重臣。特に就英は海兵隊の大将。ただ風体から全くそうは見えぬ。関船の姿を思い出しぶり返す不安を嘉隆は何とか抑える。
「まず我らの敵は堀内氏善の新宮でござる。紀伊の裏に当たる新宮を落とせば表を攻める御屋形様の助けとなること疑いありません」
元慶が目的を説明する。黒く塗った板に白い棒で絵図を書きつける。見たことがないが軍議には便利なことが明らかだ。布でこすれば容易に消え、暗い船楼の中でもよく見える。西国にはかような物があるのか。
「堀内氏善は音に聞こえた熊野水軍の長。ここの潮目に通じられた九鬼殿の参陣は心強く。お働き期待しております」
「むろん毛利様に九鬼の船の腕は披露するつもり。しかれど新宮を落とすと言われたか。敵はなかなかの大勢。万が一不覚あれば、却って敵の士気を上げることになる」
嘉隆は言うべきことを言う。九鬼家はその先祖は熊野に発する。敵について容易ならざる雑説も流れてくるだけの伝手があるのだ。
氏善は熊野水軍の頭目として千を越える兵力を持つ。さらに紀伊南部の有力国衆湯川氏、根来からと思われる鉄砲衆までいる。こちらの兵力は嘉隆の八百と毛利の六百。上陸して新宮を攻めては無駄に兵を失う。どうせ戦の勝ち負けは北の雑賀で決まるなら、海から敵勢を牽制すれば十分ではないか。
何よりそんな戦に先鋒として駆り出され、家臣を死なせてはたまらない。
「そのことじゃが。九鬼殿は熊野水軍の相手をお願いします。上陸は儂らがやりますで」
「なんと」
予想とは正反対の言葉に、嘉隆は安堵するどころか先ほどまでの不安を高める。この若造、抜擢されて功を焦っているのではないか。
「あの港の備えを見られよ。あれを六百の兵でどかすと言われるか」
「馬鹿正直に港には向かいません。我ら湾内のここらに上がりますゆえにご安心を」
「かような浜辺に関船はつけられぬ。当方の小早船は貸せませぬぞ」
嘉隆は声を荒げた。村田は「小早船は船の中に詰んでおりますので」と言うと黒い板に白い棒で図を書き始める。どうやら関船は小早船を運ぶ船のようなものらしい。あの奇妙な形はそのためかと疑問が解けるも、より重大な問題に気が付く。
「敵の眼前で兵を小早船に移すなど、それは的でござるぞ」
揺れる船上と陸では鉄砲の命中率は全く違う。関船から小早を下ろすとなれば波の静かな湾内に深く踏み込まねばならず、そうなれば敵は浜辺に移動して待ち構えても間に合う。
「我ら海兵隊は海から陸を攻めるのが得手にて。その調練はしかとしております」
益吉は何でもないように言った。それこそ調練中の気の抜けた兵の面だ。己の兵なら張り倒すところだ。だが、相手は仮にも毛利の将。
「我が役はあくまで熊野水軍と承知いたした。そちらが苦戦してもお助けできぬと心得られよ」
厳島級一番艦『厳島』。
「頭……じゃなかった大将。そんなおっかない海賊がこっちの言うことを聞くんかい」
「まあそこは堅田殿がうまく手綱を引いてくれるのじゃろう」
儂は平静を装っていった。実は心が縮む思いじゃった。九鬼という殿さまは一国の大名だというからのう。
「とにかく海は九鬼衆に任せて儂らは新宮を攻めるのじゃ。先頭は助佐じゃが大丈夫かのう」
「調練で何度も死ぬ思いしたで任せとけ。だいたい嫁さんもらったばかりの大将を死なせるわけにもいかんでな」
組頭になっても調子のいい助佐に苦笑する。上の物見台からは田助が「大将。湾内、波風共に塩梅よく」と報告する。阿波での戦で腕を負傷してから、船の扱いを覚えている。
「それじゃ皆の衆、調練通り頼むでな」
儂が下知すると、船の下でごろごろという音が始まった。櫓を手放した海兵たちが船底の樽を後方に転がし始めた音だ。樽には水が入っており、その重量で船を尻側に傾ける。
船尾が沈んだことにより船全体が斜めとなる。「綱下ろせ」と号令すると、釣り下げられていた船尾が蝶番に従って下に開く。
「第一組、出陣」
格納蔵から組一つを乗せた小早船が二艘、木蝋を塗った木枠に設置される。小早船は傾きにしたがって海に滑り出た。海上から助佐が成功の合図を手で送る。左右を見ると他の二隻とも成功しておる。これが出来るようになるまで、呉の海で何度おぼれそうになったか。
「第二陣、出陣」
儂はそう言うと小早に乗るために船内に渡された綱をつかんだ。
「あの大言者。まこと真っすぐ湾内に押し入りおった」
熊野水軍と向かい合いながら、後方の確認をした嘉隆は舌打ちした。毛利の関船三艘は真昼の湾内に堂々と突入したのだ。港の堀内勢が色めき立つのが見えた。新宮の敵勢が関船に対して陣を移そうと走り出す。おそらく湯川の軍勢、鉄砲を抱える者の数から、根来衆が混じっている。
海兵隊がいかに鉄砲を多く供えるとはいえ、揺れる船では当たるものも当たらぬ。このままでは苦戦必至。
「どうなされますか」
「儂らの役目はあくまで熊野水軍と言質はきっちりとっておる」
嘉隆は苦虫をかみつぶしたような顔で言った。それでも見捨てればどう言おうと遺恨になる。そもそも味方が崩れれば海上のこちらの士気も落ちる。何らかの対処を考えておかねば。
嘉隆の苛立ちはすぐに驚きに変わった。湾内に入った毛利の関船が一斉に船尾を沈めた。浅瀬にでも乗り上げたかと思ったが、開いた船尾から小早船が飛び出したのだ。
「なんという絡繰り」
兵を乗せたままの小早船を送り出すなど聞いたことがない。いかに波の穏やかな湾内とはいえ、相当の訓練をしていなければ無理だ。しかも三艘の関船から次々と踊りだした小早船は、あっという間に隊列を整えて浜に向かって漕ぎ進む。
浜で隊列を整えようとした敵も大騒ぎだ。三か所に分かれて上陸した海兵たちは追ってくる兵をしり目に、がら空きの高所を占拠していく。上陸されてしまえば鉄砲の数では毛利の方がはるかに上回る。そしてその練度も……。
銃声が鳴り響く。浜辺の根来衆が次々と倒れる。肝心の鉄砲隊を打倒されしかも高所を押さえられた堀内軍は完全に動揺してしまっている。止めとばかりに毛利の安宅船が港へと突進を開始した。
港の堀内の軍勢は戦わずして逃げていく。
「殿」
豊田の言葉に嘉隆は我に返る。帰るべき港を失い動揺する熊野水軍が眼前にいる。
「者ども敵は怯んでおる。船を進め追い落とすのだ」
熊野水軍を追い散らした後、九鬼水軍は新宮に入港した。嘉隆はその足で異形の関船に向かった。
「……絡繰りはお見事。しかしこれは片道のみ。戦に利なくば如何にするつもりか」
関船の中を見せられた嘉隆はその考え抜かれた絡繰りにうなりながらも、気になることを問うた。
「その時は海兵のみ回収し、小早船は捨てる法度となっております。兵ほど貴重な物はないゆえに」
小男は答えた。「兵が貴重とは」笑い飛ばそうとした嘉隆だが、先ほどの光景を思い出して口を閉じた。あの練達の動き、波切でも知らされた鉄砲の腕、どれほどの金と手間をかけて育てているのか。
そして……。
目の前の男、村田益吉はその中でも抜きんでた出来物なのであろう。さても二十に届くかどうかでかような将となるも道理か。嘉隆は改めて益吉に向かい合う。
「村田殿、鎮守府においては倅がお世話になることもあろうかと。よろしくお願いいたす」
「いやはや一国の大将にそのように頭を下げられては」
頭を掻いた益吉の姿は依然百姓にしか見えなかった。だが嘉隆はむしろそれにぞっとした。かりに此度の恩賞が不満でも、毛利には逆らうまいと心に決める。
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