第十話 政略結婚?
「おめでとうございます。叔父上様」
「まだ決まった話ではない。そもそも天下国家の政のことを軽々しく口にするものではない」
周の祝いを、就英はたしなめた。就英にとって周は従兄元良の娘に当たる。つまり一族なのでその栄達を喜ぶことは不思議ではないのだが……。
「重々心得ております。私とて大方様よりここの奥を任された身でございます」
周は神妙な表情でおかしなことを言った。この鎮守丸に《奥》などというものはない。いやあってはならない。本来の歴史ならここは二ノ丸と呼ばれ、私が強奪した家臣の若妻を置いた場所なのだ。
……なぜ歴史を変えたのに同じ女性がここの奥向きの取り仕切りみたいなことをやっている状態になっている?
私は鎮守丸の留守をしていた男を見た。
「こほん。ええ、周殿は鎮守丸の奥向きのことよくなされております。大方さまもお褒めになっております」
私は謹厳な財務官僚が言葉の途中で目を泳がせたのに気付いた。そう言えば元吉の「茶をもて」から待ち構えたように現れたのが周だ。それに何よりもさっきから出てくる乃美の大方の名前。
確か周は乃美の大方の推挙でこの鎮守丸に入ったんだった。
乃美の大方はその名の通り小早川庶流の乃美家の出で、
元清は今や播磨一国の旗頭で就英と一緒に宿老に上げるつもりの一門の重鎮。元政は名目上とはいえ中国惣検地の目付け的な役を与えた。そして元総は毛利一門筆頭の小早川家の跡継ぎだ。隆景の片腕で讃岐一国を治める乃美宗勝はもちろん親戚だ。
つまりこの女性は、秀吉死後の北政所よりもはるかに大きな力を持っている。その気になれば毛利家中に乃美閥が誕生する。
本来の歴史では、大方は関ヶ原後まで生きたが、その手の政治的動きはほとんどない。元清の子、つまり大方にとって孫にあたる秀元は、私の養子として後継者の地位にあったのだが、実子秀就が生まれたため、跡継ぎを外された。その時も動いた形跡がない。
「なんにせよ。湯を出したなら下がりなさい」
「そうは参りません。先ほど村田余吉なる名が出ておりました。なんでも大層な立身をするとか」
「それこそ女子の関わることではない」
「そうは参りません。その余吉、わたくしの侍女と夫婦の約束をしておりますゆえ」
「はっ?」
私は思わず間抜けな顔を晒した。周は「これは先年のことになりますが」と説明を始める。そう言えば以前に周が呉まで押しかけてきたとき一緒にいた侍女か。余吉は「必ずや一角の侍となり、そなたを妻とせん」と言ったという。
……軍記物の台詞っぽくてあの余吉が言いそうにはないが、確かその時も幼馴染の縁で連れてきたみたいなことを聞いた記憶がある。だがそれはそれ、これはこれだ。
「……村田余吉は海兵隊の一軍の将となる。その身はもはや御屋形様の重臣。侍女が嫁げる身分ではない。そう言い含めよ」
就英が厳しい顔で言った。この時代に血縁関係は正に地位を裏打ちするもの。血縁が人事に影響するというよりも、血縁が人事だ。だからこそ余吉に箔をつけるという話をしていたところだ。
「女子は殿方によりいかようにも振り回されるものとはいえ、あまりに不憫でございます」
「重ねて言うが、これは国家の――」
「待て就英、……そう頭ごなしに言ってはなりません」
「御屋形様?」
就英が怪訝な顔で私を見る。今の私の表情は引きつっているだろう。
どの口が言うのかというのは別として、だけど……。
「ではこれではいかがでしょうか。菫を我が家の養女といたしましょう」
「そのようなこと元良が承知するまい」
「私が口添えいたします。御屋形様と叔父上様がそろって評価するほどの者と縁を結ぶのは、父にとっても……」
周は就英を説得し始める。
「……御屋形様、これはあるいは好都合やもしれませぬ」
私が誰にも言えない事情で戸惑っているのをしり目に、就英がまじめな表情で言った。
「実は余吉は大組頭への出世を辞退していたのですが、ある時を境に急に受けることになったと。周の言う去年の春と時節が合致いたします」
「……なるほど」
奉行の児玉元良の義理の息子。海兵隊総大将である就英の親族。これならば余吉の箔付としては十分だ。百姓上がりが一軍の将という風当たりを、児玉の家が防いでくれる。
「余吉当人の意志を確認したうえでだが、その縁組を許しましょう」
「ありがとうございます。御屋形様の御寵愛厚き将に嫁げるとは菫も果報でございます」
私がそう言うと、周は花のような笑顔を浮かべた後、深く頭を下げた。
というかこの強気な美少女は誰だ?
本来の歴史では周は二男一女を生んだ。長男は長州藩の初代秀就、次男も支藩主、そして長女は岩国藩吉川家の二代目の正室になっている。長州藩の国母と言える立場だったにもかかわらず、萩城にも入れずじまいだった。それこそ
まさか二ノ丸から鎮守丸という勇ましい名前にしたから、性格まで変わったというわけでもあるまいに。
そもそも私はこの娘のことを容姿以外ろくに知らなかったのかもしれない。侍女一人にここまで親身になるとは、情の厚い娘だったのだろうか。
数日後。広島城児玉元良屋敷。
「此度は無理を聞いてもらいすまなかったな」
「滅相もないこと。娘如きが児玉様の養女となるはもったいなき限りにて」
領主児玉元良の広島屋敷に呼び出された村乙名はそう言って頭を下げる。内心には不満が渦巻いている。本来ならすでに年季明けで返してもらうはずの娘が、知らぬ間に児玉家の養女になることが決まっていたのだ。
娘をつかって隣村の村長と縁を繋ぎ、三人いる村乙名の中で一番となる企みが台無し。目の前に置かれた娘を差し出す代償である金子も、隣村の村長に違約の詫びとして支払わねばならない。これでは面目丸つぶれだ。村乙名にとって何より大事なのは村の中での己の立場なのだ。
「それで娘と
「我が家の娘となったとはいえ、その方も生みの親として気になるであろう。心配はいらぬ。彼の者は御屋形様の信頼殊の外厚く、都に一番乗りしたほどの武功者。いずれは鎮守府海兵を千も預かる大将という話じゃ」
「な、なんと、それほどのお方とは」
村乙名は心中で勘定をはじき直した。海兵隊とは要するに雇い兵だ。かつて村から誰か出してくれと言う、要請という名の命令があったとき、余り者だった余吉にとうに絶えた地侍の名字をくっつけて放り捨てたのだ。
雑兵とはいえ千人の頭とならば全く話は違う。下手をしたら目の前の領主以上だ。養女に出したとはいえ親は親、取り入ることが出来ればその益は限りない。
「せっかくじゃ、対面しておくか」
「む、むろんでございます。お願いいたしまする」
「周、菫と益吉殿をこちらに」
木戸が開く音がした。村乙名は平伏する。男は元良のすぐ下に腰掛けたようだ。恐る恐る目を上げる。思ったよりも小柄な若い男だ。昨日仕立てたような新しい肩衣を着て、落ち着かない様子で座っている。元良の言ったような武辺ものにはとても見えない。
そもそもこの顔はどこかで…………。
「そ、そなた!! あ、余りもんの余吉」
村乙名は思わず叫んだ。村から捨てたつもりのあの小男が千人の将。何かの間違いに違いない。そもそも名前が……。
「ああ、それがじゃな。御屋形様より「余は縁起が良くないゆえ益にせよ」と言われたでそういうことになったのじゃ」
頭を掻く余吉改め
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