第八話 中国惣国検地
「…………御屋形様のご方針とあらば是非はございませぬ。されど人だけでなく莫大な銭も入用かと」
いくつかの目配せが交わされた後、貞俊が重い声で言った。
大産業を起こすとなれば莫大な初期投資が必要になる。投資とは要するに信用だが、今の毛利とはいえそれだけの信用の量を確保することは、文字通り物理的に難しい。だからその手段は考えてある。
「領国の検地をおこないます。同じ基準で田畑を計り、石高を確定し、各種運上も米の値段を基準に換算し、それを基に統一した軍役を定めます。まず本国と言える中国の国々で、その後は畿内にも広げます」
本来の歴史で行われた太閤検地だ。検地により領地の石高を確定することで国力を数値化する。そして百石あたり何人といった軍役の基準を決める。秀吉が天下統一から文禄慶長の役まで何十万規模の兵力を動員できたのはこのためだ。
ちなみに毛利も同時期に惣国検地を行っていて、その結果豊臣政権により認められた石高百十二万石に基づいて豊臣政権から軍役を課されている。文禄慶長の役では諸大名中最大兵力の動員を命じられている。ちなみにこの検地により史実の
もちろん秀吉の前にも検地は各大名が行っている。だがこれまでの検地には大きな問題が二つある。一つは荘園から引き継いだ権利関係と税制があまりに複雑であることだ。年貢の納入先が複数あったり、寺社の権利などだ。
もう一つの問題は石高ではなく銭に換算される貫高制と呼ばれる基準だ。現代の感覚だと、貫高制のような通貨の方が優れているように思えるが、この時代は基準となる通貨制度そのものが崩壊している。
中世日本の通貨は中国から流入した宋銭が主で、つまるところドルを自国通貨にしているようなものだった。中国からの輸入品である銅銭を国内で流通させていた。だが中国で宋が滅び、寧波の乱と大寧寺の変で大内氏が滅んだことで、中国からの銭の流入が止まった。
各地で私鋳銭、要するに宋銭のレプリカが作られている。はっきり言えば贋金なのだが、すべて排除すると経済が回らなくなる。百文中、三十文までは贋金OKみたいな基準まで作って無理やり金の流れを維持しているのだ。
そうなると悪貨が良貨を駆逐する。いわゆる撰銭が行われる。
つまり
この二つが合わされば経済の血液である通貨の循環が滞り経済成長を妨げるとともに、行政コストは莫大になり大名すら自国の国力を正確に把握できないということになる。
両方の問題を一気に解決したのが太閤検地だ。まず田畑の権利者を確定することで複雑な権利関係を整理し、銭ではなく米に換算して支払いを行うことで、米自体を一種の通貨、価値の基準として機能させた。
米は銭ほどの保存性や携帯性はないが、食料として間違いなく価値がある。足りない宋銭をいつまでも使うよりましだ。江戸幕府では小判に代表される金貨、銀貨、銭が作られて流通したが、それでも米も通貨としての役割を果たし続けた。
まあこの米本位制とでもいうべきシステムは、米の増産により相対的な価値の低下、つまりインフレを起こして江戸幕府を悩ませるのだが、それはまた後の話だ。
築城手伝いで分かるように軍役は一種の公共事業も含む。各地の港の整備などに活用可能だ。
「検地で産出された石高の内、一割相当量を鎮守府に納めてもらいます」
「御屋形様の御威光あらば検地だけなら無理とは申せません。……しかるにそれほど吸い上げれば多くの家臣が不満を抱くかと」
福原は青い顔で言う。元良も無言で首を振る。彼らの頭の中には増税に怒る国衆が各地で反乱するのが見えているだろう。
「その分の軍役は免除、いえ石高の一割半は無役とします。これまでの戦で鎮守府海兵隊により迅速に戦をする事で、軍役の必要自体が減ることが証されています。この勘定で鎮守府の強化をさらに推し進めるつもりです。動員兵力が減ることは許容できます。元吉」
「はっ。仮に毛利の御領国の内、中国の国々の石高を……」
鎮守府勘定方の榎本元吉が計算結果を示す。毛利本国分、つまり畿内の新付の諸大名を除いて、四百万石として一割は四十万石。一万二千の兵が動員可能な経済規模だ。石見銀山の運上を合わせれば五千人規模の海兵隊が組織できる。
軍役の一部を米で物納させ、毛利国家全体の常備軍の費用にする発想だ。戦に駆り出されることが減った家臣たちは自領の統治に人員を当てられる。江戸時代に武士が役人として商品作物の奨励などの政策の実行者となったように、各地の産業の育成に取り組んでもらう。
これは当然、日本全国を海運で結ぶという政策とつながる。またこの統一基準にのっとって、軍役としての普請手伝いを広島湾などの港湾施設などの公共事業に充てる。いわば海の天下普請だ。国衆たちにとっても遠国への兵の派遣より、自分にも益が見える港の普請の方が負担感は少ないはずだ。
この経済成長モデルをまず中国で行い、海を通じて東方や九州に拡大していく。
海からの東国包囲と軍事経済の格差拡大の両方を行えば、冷戦でのアメリカの勝利のように家康ら東国大名を戦なくして屈服させ、九州のキリスト教勢力を押さえることが可能なはずだ。
「検地は数年掛の仕事となるでしょう。ですからこそ今から手を付けねばならないと考えます。そもそもこれを成さねば広がった家中をまとめることなどできません」
私は説明を終えて貞俊たちを見た、三人は元吉が示した予算計画を食い入るようにしてみている。
「御屋形様の深謀遠慮、この貞俊言葉もございません。隠居前の最後の御奉公として相務めさせていただきまする」
「日頼様、あるいは常栄様にも勝りたもう経略と元良も感服いたしました」
「では検地は貞俊を頭人とします。元俊が近江ですから広俊を見習いとして補佐をさせてください。一門として天野元政を参加させます。検地奉行は首座を元良として渡辺長、内藤元栄、林就長を当てます」
広俊は貞俊の孫だ。天野元政は
ちなみに本来なら私の側近である佐世元嘉や今や隆景に次ぐ一門である穂井田元清も加わるのだが元嘉は京で徳川との交渉、元清は播磨一国の統治などで手が離せない。
「船作りに関しては就辰が裁量してください。塩の要領で商人や職人を座とする折衝をお願いします」
私がそう言うと貞俊、元良、就辰が首を垂れた。これで史実よりも数年早く、それも豊臣政権の圧力ではなく、私自身の権威の元に中国惣国検地が行われることになる。これはとても大きい。
「榎本元吉は検地で得られる勘定を基に、まず海兵隊用の軍船建造を担当してもらいます。具体策については就英と話し合って決めるので、この後鎮守丸まで同行してください」
次は海兵隊だ。海からの日ノ本統一の尖兵たる海兵隊は、これまで以上の作戦行動半径と戦力を求められる。つまりどうしても新しい船が必要だ。造船業振興の起爆剤として軍需を使えば一石二鳥だ。
いわば呉海軍工廠の設立だな。
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