第七話 広島振興策

 天正十三年四月。安芸国広島。


 尼崎から発した大船団は瀬戸内海を西に進む。今や都を手にした毛利軍の堂々たる凱旋帰国だ。船内には長期出陣の疲れで都落ちのような表情をしている将兵が詰まっているが、それでも故郷に帰れる安堵は確かに見える。


 草津で船を降りた私は陸路広島に向かう。半年ぶりの広島は見違えていた。町家は川を跨いで広島湾に沿うように広がり、港には数えきれないほどの船が出入りしている。


 広島城は外堀が掘り終わっていた。まだ水は入っていないが城としての形が出来ているのは感慨深い。大手門への通りには、大勢の町人が人垣を作り、城内の侍町では家臣たちが私に向かって首を垂れる。


 毛利国家の首都としてふさわしく成りつつある城下町を見ながら私は考える。この賑わいが将来の不良債権にならないようにするためには、今後の政治的なかじ取りが極めて重要だ。将来の海洋国家の中心として、この町を博多や大阪に負けない存在にしなければならないのだ。




 本丸御殿の中奥、毛利国家政庁には四人が待っていた。宿老福原貞俊、奉行児玉元良、鎮守府奉行二宮就辰、同じく榎本元吉だ。毛利国家と鎮守府の内政担当重臣と言える面々だ。


「ご当家の武威が都まで響きましたこと、まことにめでたく。泉下の日頼様、常栄様、そして駿河守殿もさぞかしお悦びでしょう。家臣一同を代表してこの老骨めも謹んでお喜びを申し上げまする」


 代表して祝辞を述べるのは福原貞俊だ。毛利国家の三人しかいない宿老。本国運営の首班で、本家家中の取りまとめ役だ。史実では八十越えまで、あと十年は生きる長寿者だが、本来なら隠居しているはずの年である。代行役の嫡男元俊が近江まで出張っているので、再登板みたいなことになっている。


 祝辞で体を起こすとき、顔をしかめて腰に手をやっている。文字通り老骨に鞭打つ形で働いてくれているのが申し訳ない。


「此度の畿内てんかを競望せし土岐との戦に勝ちを得たは、留守を守る貞俊、元良らの働きあってのことです。広島の町の様子を見ましたが、留守の間もよく普請を進めてくれました」


 私は貞俊ら留守居の労をねぎらった後、広島城の築城の報告を受ける。


「広島城も外堀が掘り終わりました。三ノ丸、二ノ丸の侍屋敷も次々に完成しており家臣や国衆も競って妻子を入れております」


 元良が城内のことを報告する。光秀を討ったことが伝わると、自主的に妻子を広島屋敷に置くものが増えたという。ちなみに自主的にと言うのはこれまで貞俊や元良が暗に勧めるのに知らぬ顔をしていた連中が応じているということだろう。


 ここら辺も家中のまとめ役や、国衆の指南を長らくやってきた貞俊、元良の手腕だ。もちろん最終的には法度としてしっかり整備しないといけない。


「町の方も干拓にて予定通りの地を作り終えましてございます。大きな普請に目途がついたことはめでたくはありまするが、いささか問題も」


 二宮就辰が続ける。元良が普請奉行、就辰が目付けだが担当的には元良が城内の侍町、就辰が城外の町屋となっている。


「普請が落ち着くにつれ、人足らがあまり始めております。中には諍いに及ぶものもおり。また各地より食い詰め者なども集まる気配。町の周囲に川を越えて家を建てるものなどもおります。城番の海兵隊に取り押さえられるものが徐々に増えております」


 各地の国衆が出した築城の手伝いだけでなく、仕事を求めて集まってきた人間が大量に居るというわけだ。日の出の勢いの毛利の主都はある意味日ノ本で一番安全で豊かと言える。そこに大量の仕事があるとなれば人は集まってくる。


 道理で本来なら十二年かかった築城が三年で目途が立っているわけだ。それだけ多くの人員が集まったとなれば、放っておけば町の近辺がスラム化する。


「問題を起こす者は厳しく取り締まってください。ただし、そうでないものまで追い散らす必要はありません。集まった者たちには新しい仕事を与えるつもりです」

「今城下にたむろしている者どもにいきわたるほどの大きな事業をお始めになると。……鎮守府勘定方の某が呼ばれたことを考えるに、呉に関わりましょうや」


 榎本元吉、鎮守府の勘定担当の奉行が言った。石見銀山の運上など予算を扱うだけあって、流石に察しがいい。


「その通りです。私は広島を中心に西の草津から東の呉まで大いに栄えさせるつもりです」


 私は帰りの船内で温めていたプランを説明する。


「先に伝えているように、私は鎮守府大将軍として朝廷より海の政をお預かりするつもりです。鎮守府の元に日ノ本の海を一円と成す以上、将来大量の船が必要とされます。そこでこの広島の地を日本一の船作りの場とするのです。阿波や紀伊からも木材を運び、帆のための木綿を織る工場を設け、そして多くの船大工を各地から集めます。これまで以上に大きな船をこれまで以上に多く作るのです」


 本来の歴史通りに大坂を天下の台所、博多や長崎を対外貿易の拠点とした場合、中間にある広島はどっちつかずになる。毛利の首都として国衆らの家族などを参集させて政治都市として一大消費地にする、要するに江戸のようにするだけでは足りない。


 日清戦争で日本最初の大本営が広島に置かれたように、対外窓口である九州と日本の経済首都である大坂を繋ぐ重要拠点にしなければならない。そのために必要なのは産業、それも私の目指す海洋国家日本にふさわしい産業を振興するのだ。


 それが海軍力や海運の中心である造船業だ。商業に用いられる廻船、航路を守る軍船を作る産業地帯を広島湾岸に構築する。要するにシーパワーの中心を毛利が握るということだ。


 これにより海を通じた日本の経済の根幹を毛利家が握ると共に、その成長の果実をしっかりと得る。大坂や博多がいかに商いで栄えようと、広島なしには立ち行かないというわけだ。


「このためには人はいくらあっても足りないほどです」


 広島に一大造船業を起こすという私の方針を聞いて、四人の内政担当者が揃って表情を固めた。広島城下町の建築という国家を上げての大事業にやっと目途が付いたと思っていたところに、それ以上の大事業が降ってわいたことになる。

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