第五話 海賊大名 Ⅰ
天正十三年三月。志摩国鳥羽。
打ち寄せる波しぶきに槌の音が混じる。建築中の大手門ではちょうど棟木を上げようとしているところだった。
普請を監督していた四十男が出来かけの門の向こうを見た。打ち付ける波の向こうに、彼の縄張りに侵入しようとする関船が見えた。掲げる旗は一文字三星、かつて木津川口で相対したものだ。
「さて此度はどう追い払うか」
九鬼嘉隆は手にしていた新城の図面を家老に渡しながらそう嘯いた。
志摩国は三万石の小国。海に突き出した角のような地形の作り出す津々浦々に国衆が割拠していた。波切の九鬼家はその中の一家であり、嘉隆は当主であった兄から小城一つを預かる分家に過ぎなかった。
嘉隆が二十を超えたころ、伊勢北畠家を後ろ盾にした国衆連合により九鬼家は志摩から追い出された。皮肉にも嘉隆にとってそれが世に立つ契機となった。尾張に逃れた嘉隆を拾ったのは織田信長だ。今川義元を討った信長は北伊勢の攻略に乗り出そうとするところだった。
北伊勢侵攻の中で頭角を現した嘉隆は、信長の後ろ盾の元に志摩にもどり、自分を追い出した国衆たちを征服して志摩一国を統一した。その後起こった第二次木津川口の海戦では、鉄張りの大船により毛利水軍を撃退、信長の激賞を受けた。天下人の水軍大将としての嘉隆の武名は天下にとどろいたのだ。
その信長が本能寺で斃れた。嘉隆は伊勢を領した織田信雄に属するも、土岐家が安濃津を攻略した段階で見限ることで生き延びた。この混乱の中で起こった、嫡流である甥澄隆の反抗も粛清により乗り越えている。
大手門が海に向かって開いた鳥羽城の築城は、水軍大将として志摩一国を支配する嘉隆の自負の表れだ。だがそんな嘉隆は今、大きな決断を迫られていた。徳川と毛利、東西の大大名のいずれに向かって舵を切るか。
「見ての通り城作りの途中にて、かように手狭な部屋で堪忍されよ」
「とんでもないことです。海の見える茶室とは見事な趣向、感服いたしました」
本丸予定地の一角に建つ数寄屋で嘉隆は若い使者に対峙していた。信長の命で堺に駐屯していた際に覚えた茶の湯のため完成させたものだ。むろん単に趣味ではなく、京の文化を知る者という志摩衆への誇示でもある。
「熊野灘の波は荒かったでござろう。儂は堺にある時分は瀬戸内の潮のやさしさに驚いたもの」
嘉隆は歯を見せて笑った。むろん皮肉だ。使者の涼しげで柔弱な面が嘉隆は気に食わない。毛利輝元に直属する鎮守府奉行と名乗っているが、元服したばかりの若造を差し向けるのは小国と侮ってのことに違いないのだ。
「それで此度はどのような御用件で来られた」
「はい。主輝元は鎮守府の元に日ノ本の海を一円としたいと考えております。東国に並ぶものなき水軍大将九鬼様にもぜひ合力いただきたく――」
「待たれよ。毛利殿は日ノ本の海を全て一つにすると、そう言われたか」
嘉隆は思わず使者を遮った。大風呂敷を広げるのは調略の常道とはいえ、海の全てを統一するなど大言がすぎる。西国の海を支配した平清盛、蒙古の襲来を撃退した北条時宗もできなかったことだ。信長すらそんなことは考えなかったはず。
何よりも嘉隆に言わせれば海の一円支配など絵空事に過ぎない。これまで水軍衆として生きてきた嘉隆は、自分も含め海に生きる者たちの扱いがいかに難しいのか熟知している。
「毛利ご家中にかようなことを説くとは思わなんだ。海と陸は全く違う理で動いておる。いかに大国の主とて広い海に浮かぶ船を自在に出来るものではありませんぞ」
「まことに海は広く、船は港から出れば陸の支配を越え遠くまで動きます。ゆえに海は国郡に分けることも能いません」
「分かっておられるではないか。あまりの大言は興を削ぐものぞ」
「しかるに輝元はそれを顛倒いたします。区切ることは出来ぬ海ならばこそ一円にできるものと考えております」
「何を言っておるのか要領を得ませんな」
「まずはこれをご覧ください」
使者は持参した絵図を広げた。そこには日本らしき図が書かれていた。奥羽から薩摩までの日ノ本全て、いや奥羽の先にある蝦夷まで描かれている。そしてその日本を取り囲むように西回りと東回りの海路が書かれている。
奥羽から佐渡を越え能登をまたぎ長門から瀬戸内海に抜けて摂津まで伸びる西廻りの海路。奥羽から東回りに房総半島を経由して志摩に至り、熊野灘を越えて大坂に至る海路。さらにそれらの海路と九州の取り囲む海道、四国沖を通る海路がつながっている。文字通り日本を一周する海の道だ。
「船は潮と風に乗り、陸よりもはるかに速く、はるかに多くの荷を運べます。大坂から美濃までの陸の道よりも、大阪から安房までの海の道の方がなお近いのです。このように日ノ本を一円にして繋ぐは、海なればこそ可能なこと。いや海を一円となすことで、日ノ本が一円となるのです」
「……ただ海の道を繋いで船を置けど、北の果てから薩摩まで何を運ぶというのか」
「例えばこれにございます。上方におられた九鬼様ならご存じでしょう」
使者は脇に置いていた包を開いた。木綿の風呂敷に包まれていたのは黒い薄板のようなものだ。
「……昆布でござるな。京にて珍重されておる」
「これは蝦夷の地より船にて若狭まで運ばれてきました。今後は長門の赤間ヶ関まで運び、大坂へ運びます。陸揚げして京へ届けるよりも勘定にて勝ること確かめております。いずれは薩摩から琉球、明まで伸ばす心づもり」
「北の果てから南の先まで海を一円して荷を回すと、唐までとは……」
「海を通じて南蛮船は日ノ本に至っております。それを思えば日ノ本の海の一円、能わずとは言えないのです」
「……理で何を言おうと同じこと。自在に海を渡る船をどうやって治めるのか。途中には海賊も出ますぞ」
「治めるは船ではなく、これらの航路の港。船はそれが大きければ大きいほど確たる港を必要とします。これら航路にそった主な港に鎮守府を置き、法度を定めます」
「鎮守府による港の法度……だと」
差し出された案文らしき紙を奪い取るようにして見た。航路を通る船は必ず所属する港を目録に登録し、港の使用を朱印状をもって許可される。そしてその印を船体と帆に示す。その代わり、それらの船はどこから来たかを問わずに同じ条件で水などの補給や修理の便を得る。難破した船員を母港まで送り届ける定めもある。
「この法度にて港という点を繋げて海を一円と成しますれば、日ノ本の物の行き来は何倍にもなりましょう。蝦夷の昆布が鎮西まで届き、西国の米が蝦夷に届くはその一例にすぎません」
「……かような法度、どのようにして納得させ、守らせる」
嘉隆は法度の案文を睨みながら言った。
「前関白であらせられる近衛様より主輝元は従三位鎮守府大将軍へのご推挙をいただくことが決まっております。これをもって鎮守府は海の往来を朝廷よりご委任頂く。また志摩、安房、隠岐、佐渡の国守は鎮守府大将軍の推挙に寄るとし、これらの水軍衆が関船をもって海路の警固をするのです」
挙げられた国々の名に嘉隆は毛利の本気を悟った。いずれも石高的には小国であり、それゆえに海に生きる者たちが多い。朝廷から公卿の位という公方にも匹敵する地位を得たうえで、あえて海の小国を重視する理由は、海の一円以外に考えられない。
本当に日ノ本の海が一円となれば、そこを行き来する富は莫大。志摩を領する嘉隆に入る実入りは大きなものになる。
「鎮守府へ合力と言うが、儂に何をせよと」
嘉隆は思わずそう聞いていた。
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