第二話 対東国戦略

 天正十三年二月。摂津国、大阪。


 天王山城から淀川を下った私は馬に乗り換えて台地に上がった。


 縄文時代は岬だったと言われる上町台地は歴史遺産の宝庫だ。神武天皇が日本国土そのものの神を祭った生国魂神社、聖徳太子の創建した四天王寺、数年前まで石山本願寺が、そして本来の歴史なら豊臣秀吉が大坂城を築き、豊臣滅亡後も江戸幕府の元で天下の台所として栄え続けた。


 要するに日本の歴史を通じて重要だった土地なのだ。そしてそれは私にとっても同様だ。


 西には大坂湾が弧を描き、瀬戸内海に繋がっている。湾岸を南に下った和泉との国境には環濠都市が見える。国際商業港で鉄砲の一大産地である堺だ。


 この大坂こそ海洋国家毛利の国家戦略の要といっていい。


 池田恒興が作った仮設城の本曲輪では三人の武将が待っていた。毛利一門宿老で小早川水軍を率いる小早川隆景、鎮守府海兵隊の総大将で戦奉行である児玉就英、そして村上水軍本宗家村上武吉だ。合わせれば千艘の軍船を揃える毛利水軍シーパワーの元締めだ。


 この三人の大水軍が大坂湾を周回したことで摂津南部から和泉までの津々浦々は服属を誓い、淡路の仙石秀久も逃げ出した。現在、後背地である四国阿波では、讃岐の乃美宗勝と村上元吉が徳島城を封鎖している。


「木津川口を取り戻し、西国の海ことごとく毛利に帰しましたことまことに祝着でございまする。しからば今後の御家の方針について御屋形様の御存念を伺いたい」


 報告が終わると、隆景が言った。三人の目が私に集中する。


「私の方針は西国のみならず日ノ本の海全てを毛利の支配に置くことです」


 私が大風呂敷を広げると、堅田元慶が絵図を広げた。この時代の日本全国絵図を、私の知識で修正したものだ。現存する中で最も正確に日本列島の形を捉えているだろう。これに勝るものは伊能忠敬まで現れないはずだ。古来より地図は最高の軍事機密であり、そういう意味で私のアドバンテージだ。


「まず最も大事なのは瀬戸内海を中心に西国を完全に固め、畿内としっかり接続すること。これが第一です」


 瀬戸内海は西国経済の大動脈。しかもこの時代の経済力は西高東低であり、海外からの硝石や鉛といった必須の軍事物資、そして鉄砲生産など工業力も西側有利だ。さらに言えばこの経済力は毛利が長門から摂津、和泉までの瀬戸内海を一円支配することで強化しうる。


 大坂はその流れの終点であり、そして最終的には日本の海運の中心となる。これは地理が決めていることなので、秀吉だろうと家康だろうと、そして私だろうと変わらない。


「次に毛利によるこの海の支配を九州ちんぜいと東国に広げることです」

「豊前筑前を得ることは日頼様、常栄様よりの悲願。されど東国は如何にして。徳川、北条、上杉など大大名がひしめき毛利は寸土もなし」


 隆景が言った。さっき祝着といった表情はすでに消え、いつも通り冷静極まりない。大艦隊を率いて摂津南部から和泉一国、淡路そして阿波を一月足らずで平定した高揚が皆無だ。


「東は中国とは比べ物にならないほど太いですからな。我らも信濃の山奥まで警固は出来かねますなあ」


 そう言ったのは武吉だ。ちなみに武吉の先祖は信濃村上氏である。口調はギリギリ上位者向けだが付き合えないと言っている。就英は黙ったまままだが、懸念を感じているのは同様だろう。西と違って東の海は彼らにとっても未知の海路だ。


 キリシタン勢力の拡大を懸念している私としても、本来なら九州を優先したい。だが東国の状況を放置していたらおそらく大変なことになる。何しろ戦国の最終勝者がいるのだ。


 西国の経済力は巨大だ。だがそれがすべてなら源平合戦は平家が勝っているし、鎌倉幕府は成立していない。ちなみにここにいる毛利、小早川、児玉、村上の先祖はみな東国から来た。豊臣政権もいわば西国政権だが、最終的には東国の徳川幕府に敗れた。


 まあ最後のは唐入り、秀次切腹、そして西軍大将にどっかのぼんくらが就いていなければわからないけど……。とにかく軍事的には東国が強いのだ。


 武吉の言った通り、東国は西国よりも地理的に陸の割合が多い。陸を支配するのは陸軍だ。毛利水軍がどれだけ巨大でも、海兵隊がどれだけ精強でも、戦力を投射できる範囲は沿岸部のみ。若狭から京を落とした元春のあれは神業なのだ。その元春でも東国で同じことはできなかったはずだ。


「叔父上は東国大名で最も手ごわいのはどの家と考えますか」

「…………徳川三河守でありましょうな。故右府の下にありながら三遠駿を得ただけでも名将。織田家が失われるや甲信を、我らが土岐を討つ間に濃尾をたちどころに奪った。織田傘下で示した力量すら雌伏とみれば、七ヶ国の主たる今は測りきれず」


 隆景は言った。東国のことだからかいつもの断言はしないが、いつも通りの鋭すぎる分析力だ。


 家康に関しては私の方が恐ろしさは知っている。本来の歴史の最終勝者だ。そして今の徳川国家は小牧長久手の時以上の領地を一国で支配している。


 さらに北条との同盟。北条と徳川は広い国境で接していて、天正壬午の乱で甲斐と信濃をめぐって戦争した間柄だが、実は共存可能だ。室町幕府が鎌倉公方を置いたことでも分かるように、関東はある種の独立領域であり、北条の敵は下野の結城、常陸の佐竹、安房の里見らの東関東勢力だ。


 徳川と北条の同盟は双方に大きなメリットがある。


 その結果、徳川国家は無敵地帯ハートランドに近い勢力となっている。仮に海からの三河中入りとかやってもその戦略縦深を考えれば上陸した水軍戦力の働きは限定される。


 逆に東国から十万の大軍で不破の関に攻めてきたとき水上戦力で止めるのは難しい。私なら大坂を明け渡して広島まで逃げ帰りかねない。そして防長二か国に減らされるのだ。


 冗談しじつはともかく、ハートランド国家は強い。ナポレオンもヒトラーもソ連に勝てなかった。冷戦時代にはNATO《アメリカ》さえも陸上戦力ではワルシャワ条約機構に勝てないと考えていた。


 ドイツの核シェアリングは、ソ連が攻めてきたら通常戦力では勝てないから“ドイツ領内”で核を使って止める、という発想から生まれている。”自国内”で核を使う責任をドイツが共有するための制度であり、アメリカから核を貸してもらえるという都合のいいものでは決してない。


 とにかく史実の教訓から、家康相手に陸で戦うのは駄目だ。とはいえ水軍力は限界がある。となればまともに戦わないのが一番というのが結論だ。


「東国に対しては兵を動かさず。東海の海に毛利の力を扶植することに努めます」


 私は東海道に沿った海を指でなでた。伊勢から房総半島まで、現代でいえば太平洋ベルトの東半分。このラインの制海権を取るのが私の戦略だ。


「東の潮路は我らも不案内ですが、どのようにしてなさるので」

「重要なのはその地を知る水軍衆と毛利水軍が連携できることです。肝要なのはこの二国」


 私は武吉に東の小国を二つ指した。


「志摩と安房は良港が多く、九鬼と里見という水軍衆が治めています。この両家と好を結び、東海における毛利水軍の拠点とします」


 ランドパワー戦略にはシーパワー戦略だ。アメリカが世界を制したのは領土ではなく、海上交通の要衝に絞って支配したからだ。ちなみに能島村上が瀬戸内海でやったのもこれだ。


 こちらからは仕掛けず、九鬼と里見が徳川や北条に攻められれば海から援助する。安房の里見は北条とは比べるべくもない小国だが、東京湾をまたいで北条に抵抗して北条滅亡まで生き残った。


 水軍で直接徳川北条を滅ぼすことはできないが、毛利水軍の後詰があれば両国は持ちこたえられる。


「徳川北条を海からじわじわと締め付けます。我らの手で西国の海が太り、東国の海が細れは占めたものです。東国兵がいかに強くとも、熟柿のごとく毛利の手に落ちるでしょう」


 私はそう言って三人の反応を見た。


「相変わらず大絵図を描かせればなんとも…………。こほん、よろしいかと存じます」

「ちっ、俺らのやり方じゃねえか。おっと失礼をば」

「得心いたしました。遠地に海からの後詰となれば海兵隊の得手でござる」


 三者三様の肯定が返ってきた。専門家のお墨付きが得られれば安心だ。


「御屋形様のご軍略しかと承りました。されば何を置いてもまずはここを押さえねばなりませぬな」


 隆景の指先が指したのは紀伊国だ。紀伊半島沖は海の難路。紀伊を支配しないと東海道に安心して水軍を送り込めない。しかも大坂湾の制海権にも、鉄砲の生産地としても極めて重要だ。


「服属させることが出来ればいいですが、もし攻めるとしたら」

「田植え後までは兵を休ませねばなりませぬ。兵を動かすのは夏になりましょう。細川、筒井などを働かせるのがよいかと」

「わかりました。叔父上に戦立てはお任せします」


 鎮守府からは鈴木重朝を付けよう。雑賀荘の有力土豪出身で、父親の重秀は今も紀伊に潜伏して旧領奪回を狙っている。何より対鉄砲戦のスペシャリストだ。


 おそらく紀伊は大人しく服属しない。雑賀、根来、高野山、熊野といった独立性が高い勢力がひしめき、織田家の大軍を二度撃退し、本来の歴史なら豊臣秀吉にも抵抗した国だ。


「海兵隊はいかがいたしましょうか」

「春までに呉に戻します。これまでの戦の教訓をもっての再編成を考えています。戦奉行にはそのつもりでお願いします」


 これで軍事面の戦略と当面の目標は決まった。


 私の戦略は海からの東国封じ込めだ。米ソ冷戦で米国シーパワーがソ連邦ハートランドにやった戦略だ。


 ただしランドパワー、シーパワーというのは世界全土のスケールの話。日本一国のスケールでは家康が覚悟を決めて決戦を挑んできたときには足りない。とはいえ徳川ハートランドも北極海で完全に守られたソ連ほどではない。


 彼の背後には敵がいる。上杉、そしてあの国衆だ。志摩と安房を使って毛利の水軍力で東海道の海運を締め上げ、背後から上杉に牽制させる。私の軍事知識から考えうる最良だ。


 そう関ヶ原で決戦なんてしない、絶対にだ。












参考資料:

オオカミ少佐のニュースチャンネル

【元海上自衛隊幹部が解説】核共有・核シェアリング【ニュークリアシェアリング】【核兵器入門】

https://www.youtube.com/watch?v=E6bo_eDq-iQ&t=1033s

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