第四章 東西冷戦

第一話 戦後処理

 天正十三年二月。山城国天王山城。


 北東に京都盆地、南西に大坂平野、そして大坂湾。天守からは畿内しゅと経済の中心圏が一望できる。


 京大坂の結び目にあり、大山崎の町と淀川水運を押さえるこの天王山は、西国に本拠をもつ毛利にとって理想的な場所だ。実際、史実の秀吉も山崎の合戦後にここに本拠を置いた。


 本能寺から三年弱、本来の歴史なら秀吉が四国平定から関白に就任した年だ。それを考えると早いとは言えない。史実なら秀吉により小牧長久手で屈服させられた徳川家康は遥かに大きな力を持って東海道に君臨している。


 史実では三日天下と言われた光秀があれだけ手ごわかったなら、史実以上の家康なんてどうするんだ。歴史を変えてしまったツケがずっしりと肩にかかる。しかも私の目的は毛利を最終勝者にする事ではなく、その先なのだ。


「御屋形様。福原殿、益田殿が近江よりもどられました」


 振り返ると佐世元嘉が申し訳なさそうな表情で立っていた。もしかして畿内てんかを一望して満悦に見えたのかもしれない。


 私は城の下を流れる川を確認してから「すぐに行きます」といった。何かあったらいつでも淀川から瀬戸内海に逃げ出せる。なるほど私にとってここは確かに最適かもしれない。




 御殿に移動した私は、広間で鎧姿の武将達と向かい合う。前列の二人が毛利家臣で福原元俊、益田元祥だ。両名の後ろに並ぶ初めて見る三人が近江の大名たち。


「近江坂本城、開城いたしました」


 近江平定の大将に任じた元俊が報告する。毛利家宿老である福原貞俊の跡継ぎ。跡継ぎと言っても四十を超えた働き盛りで、長らく貞俊ちちの下で経験を積んでいる。派手さはないがその格と経験で傘下国衆の統制は十分こなせる。


 隣の元祥は石見の有力国衆益田家の当主で元春の娘婿でもある。今回は軍監として元俊の補佐をした。まだ二十半ばだが政治も軍事もやれることは歴史、そして播磨での戦で証明されている。史実で関ヶ原後に徳川家から独立大名として勧誘されたのに断った忠義ものだ。


 要するに毛利の重臣による監督の下、近江の大名が旧主の城攻めで忠誠の証を立てる戦だったということだ。宿老福原家にふさわしい役目を与え、若手の元祥を引き上げることも含め、政治色の強い戦だった。


 だからこそ負けては話にならないわけだが、無事終わって私はほっとしている。


「明智光慶は東福寺におくるでよろしゅうございますか」

「はい。約束通りにしてください」


 光秀が小栗栖の寺で自害した後、坂本城には遺児光慶を擁した明智秀満が立てこもっていた。これに関しては史実通りだ。私は福原らに城を包囲させながら交渉させ、光慶の助命を条件に開城させた。


 秀吉にとって光秀は主君の仇で織田家の反逆者だから許すことはできないが、毛利はそうではない。向こうも明智に名字を戻しているのは妥協の余地ありと分かっているからだ。


 背後にならぶ近江の武将達が私の言葉にほっとした表情になっている。ちなみに京極高次、蒲生氏郷、山岡景佐という面々だ。蒲生氏郷や京極高次なんて本来の歴史なら元俊や元祥よりもずっと有名だ。石高も国衆というよりも小大名級。


 私が合図すると、元嘉が用意していた朱印状を蒲生らに渡す。本領安堵はもちろん彼らが持っていた領内の権益なども認める内容だ。近江という豊かで重要極まりない国の大半が、彼ら現地勢力に温存されることになる。


 今の毛利には畿内を直接管理する能力と人材がない。隠居のはずの元俊や元祥の父も安芸と石見で大忙しだ。現地国衆や小大名の既得権益を認めなければ毛利家中が過労死する。同じ理由で丹後の細川、大和の筒井なども許すことになっている。


 要するに光秀の子の命を取らなかったのは政治的パフォーマンスだ。


「御屋形様。北近江の山寺にて、お探しの両人を見つけました。現在は坂本城にて保護しております」

「よくやってくれました。丁重に扱うようにしてください」


 元祥が言った。北近江に一手入れたかったことの算段がこれで建ったかもしれない。


「元俊は坂本城代として近江衆を引き続き指南してください。元祥は伏見に駐屯して、近江と京の往来を守るように」


 京に近い坂本だけは毛利の直臣を置き保持する。同じ宿老の吉川、小早川に比べるべくもないが、大国近江の旗頭なら福原家の面子も立つ。元祥は山城に置いてその軍事、政治能力を活かしつつ、将来の宿老に考えている。


 ジェンガでもやってる気分だ。




「吉川元長、参上しました」

 元俊、元祥が下がった後、私の前に元春とよく似た顔立ちの男が座った。父から宿老の地位も引き継いだ元長だ。


 元春本隊が抜けた状況で弟広家と共に因幡で土岐の大軍を引き受けていた陰の功労者だ。光秀の敗北で因幡から土岐勢が逃げ出した後も丹後細川、但馬羽柴に対処していた。おかげで父親の死に目にも立ち会えていない。


 その力量も毛利家への忠誠も申し分ないのだが、気になるのが寿命だ。史実では元春のすぐ後に死に、弟の広家が家を継いだ。もちろんすぐ死ぬかもしれないという理由でひっくり返すわけにはいかない。見た限りでは頑強そのもの、史実の寿命は九州で水が合わなかったのだと思いたい。


 ちなみにもし元長が史実通りになった場合は広家ではなく、次男の元棟を後継者にするつもりだ。病弱なのに兄弟の中で一番長生きするのだ。


「此度の勝利はひとえに叔父上の手柄。広家を但馬に、元棟を若狭に置きたいという遺言通りに認めます。元長は吉川家の当主として兄弟をまとめてください」

「五ヶ国の差配を任されるは吉川の名誉。泉下の父もさぞかし満足しておりましょう」


 出雲、伯耆、因幡、但馬、隠岐、そして若狭の日本海側の五ヶ国。ただし但馬生野銀山は本家直轄、若狭小浜は鎮守府の直轄になる。小早川家とのバランスも考えてちょうどいいだろう。


「それで但馬のことですが」

「羽柴秀長が使者、藤堂高虎でございます」


 後ろで平伏していた男が顔を上げた。元長より大柄で額に刀傷がある野獣のような顔貌の若い武将だ。名前を聞いていなければ、なんでこんな男をよこしたと思うところだ。


 若いころから同輩を切りまくって浅井、阿閉、磯野そして織田信澄と主を変えてきた気性の荒さは顔に現れたままだが、将来大名でも有数の政治上手になり、家康からも信頼された。


「羽柴殿は毛利に従うとのことですが」

「主秀長、お許しいただけるなら今後は鎮守府将軍様の御為に身命を賭す覚悟」

「なるほど。しかるに羽柴と当家は長く遺恨ある間柄です」


 私は厳しい表情を作って言ったが高虎は全く怯まない。傲岸ともいえる表情で見返してくる。反感を抱かせないのは、失敗したらこの場で腹を切る覚悟が見えるからだ。そう言えば秀長にはよく仕えたんだったな。


 やはり羽柴家は未だ多くの人材を抱えているらしい。ならばそれを利用するにしくはない。


「羽柴家は但馬領すべて没収。その代わり近江長浜城を与えます」


 私の目配せを受けて、元嘉が長浜城とその周辺八万石を保証する起請文を披露した。但馬没収という言葉に目を剥いた高虎だが、提示された代地に乗り出そうとした身体を止めた。


 近江長浜は秀吉が信長から与えられた本領ともいえる地だ。仇敵ともいえる羽柴を本領に戻すという判断に、寡黙な元長まで驚いている。


 長浜は北近江の重要地だが、毛利にとっては東端だ。地続きの但馬が混乱なく手に入る方がずっと重要だ。


 秀吉も清須会議で北近江を柴田勝家に譲っている。やってることは全く逆だが、十分あり得る判断だとわかる。


「なお、ご両人を坂本に置いて庇護しています。文を預かっているので羽柴殿に」


 二通の手紙が高虎の前に置かれた。


 益田元祥が保護した秀吉の妻と母の書いたものだ。今後は坂本城で蒲生らの人質と共に置く。従属国の主要拠点に重臣を城代として置き、そこに従属国衆の人質を置くのはこの時代の常道だ。


 人質とはいえ戦乱の中、敵一族を庇護したのは恩である。


「これをもって羽柴家との遺恨を清算としたい、羽柴殿にはそのように伝えてください」

「主秀長、鎮守府将軍様のご恩を決して忘れませぬ」


 高虎はそのいかつい顔に感動の面持ちを浮かべていった。


 元長と高虎が退出した後、佐世元嘉が気まずそうな表情で私に耳打ちする。


「御屋形様、二条御所の槙島殿よりまた使いが」

「いつも通り土岐の残党討伐に忙しいと言ってください」

「かしこまりました」


 将軍が毛利との関係再構築に躍起になっているが、私はそれを躱している。これも政治的パフォーマンスだ。つまり義昭に嫌われるのも私の仕事の内ということだ。


 もっとも、私の感覚では実際に毛利により畿内の安定には程遠い。近江や山陰を穏便に済ませたのは最重要な国々にリソースを集中するためだ。


 毛利にとって一番大事なのは近江ではないし、京ですらない。摂津、和泉、そして淡路といった大坂湾岸だ。今は小早川隆景エースが大将として平定を進めている。








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2024年9月10日:

お待たせしました。第四章『東西冷戦』開始です。

今後の公開予定ですが三日に一度となります。


次の公開は9月13日(金)の予定です。

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