閑話 三年天下
同日。山城国小栗栖。
落城する天王山城の煙に背を向け伏見を進む一行があった。昨夜城から逃れた土岐光秀に付き従うものは百に満たない。数日前まで十万を超える軍勢を従えていたとは思えない状況だ。
「なんのまだまだ。坂本城には左馬之助殿。美濃と尾張には内蔵助殿が健在」
先導する明智光忠が言った。天王山城へ駆けつける際に鉄砲で右腕を負傷したにもかかわらず意気軒高だ。先ほどは落ち武者狩りを狙った野伏を左手一本で切り伏せている。
士卒を励ます忠臣とは対照的に、光秀の頭脳は冷静さを保っていた。
明智秀満は船岡山で敗れたものの坂本城で近江の兵力の再編を試みている。美濃と尾張を任せている斎藤利三もいる。両人の軍を合わせれば二万以上、これを率いて京を奪還する。
京は袋小路の地だ。伊賀の筒井、丹後の細川、そして紀伊の土橋らと共に取り囲み、山陽道を長く伸びた毛利の頭を袋詰めにして窒息させる。かつて楠木正成が立案し公家の横やりで採用されなかった必勝戦略だ。
絵図の上で駒を指すならそれでよいだろう。だが……。
細川親子は丹後に撤退して音信を断っている。筒井順慶は伊賀ではなく大和郡山城に勝手に入った。前田利家は撤退の際に一度も合流せず、おそらく丹後から海路能登にもどろうとしている。義昭は光秀の管領代を罷免しても、光秀の推挙で与えた彼らの守護職はそのままにしているだろう。
将軍の命に従う大義名分を与える形で恩を売り、己が影響力を高めようとする小賢しさ。だが今の光秀に対抗するすべがない。絵図の上で駒を動かしても、もはや一人も動かぬ。
二年半、心血を注いだ政が砂上の楼閣のごとく崩れていく。将軍も朝廷も自分が支えていたのに、それを失ったとたんに誰もが離れる。その有様を冷静に見定めながら、同時になぜここまで脆いのかとも考える。
「逢坂の峠に軍勢あり」
「おお左馬之助殿がもう国境まで出てこられたか」
先行していた物見の知らせに明智光忠が声を高めた。だが光秀はかぶりを振った。
「……旗印は蒲生氏郷、右大臣の仇を報ずと言っております」
蒲生氏郷は信長の娘婿だ。本能寺後父賢秀と共に安土城で抵抗の姿勢を見せた。光秀はそれを許し近江日野城を安堵していた。この様子では山岡、阿閉といった者たちも敵に回っている。坂本城は兵を集めるどころか、守りに追われているだろう。
当然、尾張には徳川家康が攻めてきている。斎藤利三は土岐軍一の戦上手だが、家康率いる五ヶ国の軍勢には到底及ぶまい。
「……毛利の追っ手が近づいております」
「あの寺へ向かう」
さっきまで振り上げていた左手を下した光忠が言った。光秀は大岩山にぽつんと立つ廃寺を指した。
…………
かつて本堂であった建物は床も壁も朽ちて穴が開いていた。外からは鉄砲の音、戦っている光忠の声が聞こえる。
本尊があったであろう正面に光秀は座した。腰から太刀を抜いて前に置く。
二年半前の燃え盛る本能寺の記憶がふっと浮かんだ。なぜ自分は信長を討ったのか、そんな疑問がいまさらながら光秀の脳裏を捉えた。
将軍を追放して信長は変わり始めた。武田を滅ぼした後はますます無軌道さに拍車をかけた。武田のあっけない滅亡により、信長はもはやどんな大名も取るに足らぬと考えたのだろう。それは当然、光秀ら方面大将の価値の低下につながる。
特に危ういのが誰か、光秀の怜悧な頭脳は正確に読み取っていた。柴田は北陸、滝川は関東、丹羽は四国、そして羽柴は中国という担当地域が残っている。
働き場所がない者に丹波と近江坂本という京を挟む大所領を食ませる理由は存在しない。だが、ならばどうすればいいのかという答えもない。
信長は将軍を追放した後の政の形を定めていない。将軍、管領、守護大名、国衆という秩序は既に破壊され、義昭の追放により否定されている。
そこに降ってわいたのが征夷大将軍、太政大臣、関白のいずれかへの就任をという朝廷からの要請だった。長く朝廷工作を担っていた光秀は、己と同じ不安を朝廷が抱いていることを確信した。形の上とはいえ任命する側が「どの職がよろしきか」と伺いを立てるのは、信長の意向を全く測れないからだ。
そして羽柴の援軍として中国への出陣を命じられた後、信長はいずれが良いと思うかと聞いてきた。
「太政大臣がしかるべきかと」そう光秀は進言した。
関白は天皇の代理人という至高の地位だが、朝廷と一体に過ぎて身動きが取れない。征夷大将軍の権威はこの数代の公方が朽ち果てさせた挙句、信長自ら否定した。
太政大臣は百官の長でありながら具体的な職掌はない。即ち最も自由な立場で政を行える。天皇と公家には
信長は一顧だにしなかった。思わず「ならば如何にして天下を治められまするか」と問うた光秀への返答は、額にぶつけられた酒杯だった。
光秀は酒を拭くこともなく退出した。
予想できない絶対者ほど恐ろしいものはない。そしてそう思っているのは己だけではなく朝廷も、他の重臣たちも同じであることを光秀は確信した。
そう、強いて言えばそれが理由だ。
光秀の判断は間違ってはいなかった。愛宕山で宿老たちに謀反の計画を明かしたが、皆が賛成した。本能寺に信長を襲撃するまで計画は一切漏れることなかった。信長を討った後は、重臣たちは積極的に動かなかった。信雄、信孝の両名は最初から問題ではない。
唯一違ったのは羽柴秀吉だ。秀吉がその全軍をもって播磨まで駆け戻っていたことを後に知った光秀は驚愕した。すべてを捨てなければできない行軍だ。おそらくあの小男だけは信長への忠誠を持ち続けていたのだろう。
もし播磨で討たれていなければあるいは……。
それから二年と半ば、畿内近国を平定し天下を差配した。己にとって最善手を打ち続けた。だがそれは糊塗に努めただけではないか。将軍をいただき守護を各地に任じながら、公卿として朝廷の地位を求める。
そう言えば太政大臣になろうとはつと考えなかった。そこに思い至ったとき、光秀の口からふっと笑いが漏れた。存在しない本尊をじっと見る。
「なるほど。右府様はあの折、三職以外の答えを求めておられましたか」
そのような答え、二年以上天下を差配しながら未だ浮かばぬ。その場その場で最善手を打っても、どこにも己の政がなかった。ならば皆が離れたこの因果は当然のこと。
光秀はゆっくりとした手つきで太刀を両手でつかんだ。
北条時政、新田義貞、足利義輝、そして織田信長を経た天下の名物、鬼丸国綱。青白い光に己が老いた顔を映した。
その時になってようやく、光秀は己をこの境遇に追い落とした男のことを考えた。
毛利輝元、半分に満たぬ身代でありながら吉川元春と小早川隆景を両手のごとく使いこなし自分を破って見せた。特に若狭からの京攻略。若狭が弱いことは光秀も重々承知していたが、それでもなぜあのような戦が出来たのか、いまだわからない。
あの男は、上洛後どのようにして天下を治める存念か。
……いや下らぬ思念。その器を持たないものが持つものを諮ることはできないのだ。
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