第二十八話 最終防衛ライン

 夕刻、天下台からおびただしい数の火が見える。この山を取り囲む土岐軍の炊飯の火だ。東に三万、北に一万五千の合計四万五千の大軍である。日を置けばさらに増えるだろう。


 一方、この山に籠る毛利軍は二万に届かない。京見山陣地から撤収した穂井田元清の四千が北に、小早川元総の小早川軍六千が東に備えている。両軍の奥に私の本軍が七千だ。足りないので乃美宗勝の千を陸に上げて、海沿いの陣地を守らせている。


 ちなみに小早川隆景は後方の赤穂だ。足りない水軍での補給線の維持、そしていざという時の退き口の守りだ。これがないとそもそも戦えないし、敗北したら毛利軍が全滅する。


 この天下台山は瀬戸内海に面し、室津という良港があるうえに、万単位の兵を収容できる広さがある。だからこそ播磨における最終防衛ラインとして選択し、私自ら野戦築城に励んでいたのだ。


 吉川軍が若狭の後瀬山城を落とした。光秀も英賀まで出てきている。あとはここで耐えている間に、若狭の吉川軍が土岐の後方を突く。これが毛利の勝利の戦略図だ。即ち予定通りである。


 で、当たり前のことだが戦争というものには必ず予定外が起こる。特に相手が名将でこちらが戦下手の場合はひどいことになる。


 まず、この天下台の野戦築城は完成していない。東も北も正面だけは逆茂木を置き、柵を二重に結ってはいるが、背後はところどころにほころびがある。私が今戦況を見ているこの高台には物見櫓を作る予定だったのだが材木が置いてあるだけの状況だ。


 兵数だって二万五千は欲しかったのに二万を切っている。


 予定よりもかなり悪い状況で最終ラインの防衛が始まるのだ。土岐光秀の戦略にやられたと言っていい。


 まず土岐軍は強引ともいえる英賀城攻めを行った。隆景の機転によって無事撤収できたが、予定よりもはやい英賀失陥の影響は大きかった。英賀の陥落により京見山陣地の戦略的意義と防御力は大きく減じ、予定よりも早く放棄せねばならなかった。


 撤退には成功したが、立て続けの敗戦に陣抜けする者が出始めた。数自体はそこまで多くないが、その中の一人が赤松広秀だったことが大きかった。


 広秀は元清の与力として姫路城にいたのだが、姫路放棄時に京見山ではなく英賀に移った。そして土岐軍の英賀城攻め前日、京見山に向かうと言って英賀城を出たのだ。


 実際に広秀が向かったのは東播磨の重要拠点である龍野城だ。ここは龍野赤松家の本拠だった城。つまり旧領回復を狙って寝返りという国衆あるあるだ。


 最悪のタイミングと場所と言わざるを得ない。


 龍野城には譜代重臣である粟屋元種が在番していたが広秀の旧臣の裏切りと、前田利家の北陸軍が北から迫ったことで天下台に撤収した。龍野復帰を果たした広秀は北陸勢を先導する形で南下してきている。


 龍野城は天下台の北を守る立地で、しかも東を流れる揖保川の上流だ。結果としてこの陣地は東からだけでなく、北からも攻撃を受けることになった。


 北面の陣地をなんとか間に合わせたはいいが、その分内側がスカスカ。しかも龍野城から備前美作への進出に警戒するために、国境の城に兵力を増強したため兵力は減少。


 だが全体戦略を維持するためにはここで踏ん張らなければならない。総大将である私が天下台にいることで、毛利の死守の姿勢を示すしかないのだ。




 早朝から土岐軍の攻撃が始まった。まず東の中川清秀の二千が動いた。竹束を持った足軽を先頭に揖保川を渡ってくる。迎え撃つのは小早川勢だ。陣地から鉄砲が放たれる中、中川隊は川を渡ってくる。逆茂木や溝により思うように勧めない中、高所からの鉄砲に狙われるのだが怯む様子がない。


 もちろん防備が整った陣地側が有利だ。ただ敵は大軍を生かして、陣地の隙を狙ってくる。中川隊が毛利軍の攻撃を引き付けている間に、左右から主力と言える三沢茂朝の軍が回り込んでくる。こちらは万を超える大軍だ。


 その時、北の敵勢が前進を始めた。先頭は寝返った赤松広秀だ。背後の前田軍に押されるように北面から迫ってくる。北を守っているのは京見山から撤退してきた穂井田軍と、龍野から撤収した粟屋元種。こちらには川がない。


 赤松勢は五百に満たない。裏切り者への攻撃は熾烈を極める。だがもちろん赤松勢は囮だ。その背後から前田軍が押し出してくる。


「益田隊を北の応援に」


 私は本体から益田勢を北に向かわせる。前田軍に押し込まれそうになった北の陣地の一角が、援軍により何とか立て直される。


 夕方、まばらになっていた鉄砲が止んだ。土岐軍が引いていく。かなりの数の敵兵の死体が転がっている。


 被害は敵の方がずっと多いが、土岐軍は承知の上でやっている。こちらの陣地の配置や弱点を探るための威力偵察なのだ。中川隊の戦意は異常に高い、赤松は忠誠心を試されている。撃退できたとはいえ、全く油断が出来ない。




 翌日、夜明けとともに東と北で土岐軍の前進が始まった。案の定というか、昨日よりも息があってきている。


「御屋形様、三沢勢の一部が揖保川の上流から渡河の動き。なにとぞご加勢を」

「御屋形様。前田勢の一隊が柵に取り付く勢い。ご助勢くださりませ」


 東の小早川隊と北の穂井田隊の双方から救援依頼が来た。


「御屋形様。いかがなされますか」

「……北に向かいます」


 本軍をまとめている福原元俊の問いに、私はそう答えた。敵兵力は東が多いが、やはり不利になるのは北だ。ここでガツンっと押し返しておかないと、陣地内に浸透されかねない。


「東はどうなされまするか」

「元総にはあれを使ってよいと伝えてください」


 私は使い番にそういうと北へ向かった。


 北は激しい攻防になっていた。使い捨てられるように正面から攻めてくる赤松勢と、その横から切り込むように突撃する前田勢。防いでいる穂井田隊と粟屋隊の間に間隙が出来ようとしてる。


 私の率いてきた本体が前田勢の前に立つ。古墳跡を土塁代わりに鉄砲を討ちかける。たまらず前田勢が下がった。その間に益田隊が前面に展開して、穂井田隊の再編成の時間を稼ぐ。


 その時、東側からドーン、ドーンという音が聞こえてきた。大砲の音だ。関門海峡で拿捕した黒船から降ろした大砲を運ばせていたのだ。ちなみに大友宗麟が同じように黒船の大砲を城に設置したという記録がある。


 この時代の大砲は当たらない、連射できない、下手したら暴発する。しかも青銅製だから重い。とにかく使い勝手が悪いのだが音と威力でこけおどしくらいにはなる。


 この日も何とか敵の攻勢をしのぎ切った。撃ち捨てられた死体は、多くが土岐兵だが、味方にも戦死や負傷が相次いでいる。


 翌日は雨だったため、小競り合い程度の戦闘しか起こらなかった。両軍疲れを癒したかっこうだ。その翌日、敵は再び東と北から攻勢をかけてくる。私は東の助勢に回る。北には本体から益田隊を分けて援軍とした。もはや片方は大丈夫そうだから、もう片方に集中して援軍という状況ではない。


 敵がこちらの陣地の配置を理解してきたことで、戦闘の面積が拡大していく。兵数の差がものを言ってくる戦いになっているのだ。


 小早川と穂井田は山陽方面として連携しての軍事行動になれているが、三沢茂朝と前田利家はともに百戦錬磨、どんどん呼吸を合わせてくる。


 長い攻防が続き、やっと日が落ち始めた。今日も一日何とか乗り切ったかとほっとした時だった。


 東方に夕日に照らされるきらめきが多数見えた。水色桔梗紋を立てて進んでくる軍、その数二万はいる。


 ついに英賀から光秀が出てきた。




 朝から降っていた小雨が止んだ。雲が開けて日が差す。激しい攻防が始まった。先日の雨で増水した揖保川を高山隊が渡ってくる。大砲の音が響くも、先日ほどの効果はもう見込めない。総大将の元で土岐軍の士気は上がり、光秀の本体に所属していた高山隊と筒井隊が北と東の先頭に立っている。


 両将とも戦国時代を生き抜いた優れた将であり、しかも気力も体力も蓄えていた新手だ。これまでの先手だった中川、赤松も負けじと攻め寄せてくる。


 敵の歓声が近づいてくる。すでにいくつかの場所で柵が引き倒され、敵の侵入を許し始めている。こちらに予備兵力はなく、取り戻すことは難しい状況だ。


「御屋形様、ここは某に任せて室津からお引きください」


 穂井田元清が言った。天下台を最終防衛ラインに選んだ理由は、南に室津という港を抱えていることもある。乃美宗勝が守っているため、海路での脱出経路は生きている。だがもしこのまま山の上まで押し上げられれば、それも危うくなる。


 私が撤退を決意しようとした時だった。


 突如ふもとの怒声が止んだ。敵の殺気が急速に薄まっていくことが山の奥からでも分かった。


 私は材木が積んだままの高台に上った。


 東の三沢軍、北の前田軍が引いていくのが見えた。後方には東へと去っていく水色桔梗の旗。


 あと一歩まで毛利を追い込んだ土岐軍が引く理由は一つしかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る