閑話 小浜強襲上陸

 天正十二年十月。若狭国小浜。


 蟹の鋏のような半島二つに囲まれた海は、小浜が天然の良港であることを保証している。だが平時は凪いでいる海面は、今夜は風雨にかき乱されている。厚い雲に覆われた丑の刻の荒海は、冬の日本海を渡海してきた将兵を怯ませる。


 本来なら安心を覚えるはずの二つの半島が、彼らを飲み込もうとする顎のようにすら見える。


 船団中央の関船には、五十過ぎの老将が両腕を組んで座っていた。しわの刻まれた顔を風雨に任せながら、射るような視線を波の彼方にある敵城に向けている。吉川元春、毛利両川にして山陰方面軍の大将を務める、毛利の武勇の象徴だ。


「父上、まことにこのまま進まれますか」


 元春に聞いたのは吉川元棟だ。長男元長と三男広家が因幡で踏ん張っている中、父に付き従っている次男の表情は青白い。生来の蒲柳の質が原因ではない。


 小浜の港には多くのかがり火、そしてその奥には城が浮かぶ。丹後沖を通るときに丹後水軍に見つかっている。待ち構えている武田の兵に対して、この荒らしでは上陸だけでも大仕事だ。


「城の正面を避け、安納尻より兵を揚げるは」


 不動の父に進路変更を進言した時だった。船団の前衛をなす十二艘の小早船が一斉に艪を上げた。事前の取り決め通り当たり前のように前進を開始する。


「な、あの者ども恐れを知らないのか……」


 元棟が慌てた時、ドン、という音が甲板を打った。見ると軍配を持った元春が床几から立ち上がっている。


「かつての厳島もかような夜であった。この嵐は毛利の吉例である。皆の者かかれ!!」


 元春の号令一下、すべての軍船が小浜港に突撃を開始した。


 …………


 先鋒の海兵隊により小浜港の敵兵は一蹴されていた。続いて上陸に成功した吉川軍、だがその軍勢は港で足を止めていた。港町の寺に仮ごしらえされた本営は、撃ちかけられる鉄砲の音の中にある。


「これでは容易に近づけませぬ」


 山縣長茂が言った。若狭の内情を調べた実績を買われて先備えの一員に選ばれていた。そんな長茂さえ怯ませるほど城からの攻撃は激しかった。


 後瀬山城、若狭武田家の居城は小浜の港から一町も離れていない場所に立つ山城だ。山城と言っても低山に置かれ、守りより小浜を押さえることを重視した城だ。


 だが後瀬山城は織田家の宿老丹羽長秀により大幅に強化されている。石垣を巡らせ、突き出るように置かれた城門は枡形虎口。左右に馬出も備えている。


 城方は鉄砲をさんざんに撃ちかけてくる。吉川軍は雨で鉄砲を使えない。このまま日が明ければ、丸見えの吉川軍の犠牲は増えていくことは明白だ。


「ご、ご報告の儀あり」


 本営に入ってきた兵が元春の前に跪いた。


「呉衆の大組頭であったか。いかなる意か」


 元棟は問う。海兵隊は吉川軍に港を譲るや、左右に分かれて絡め手に回ったはずだ。右の指揮を執ったのが戦奉行である児玉就英、この大組頭は確か左手を任されていたはず。小柄な体とお貸し具足の姿は、軽輩同然だ。


「城の脇の石垣に弱みを見つけました」


 その言葉に元棟は耳を疑う。海兵隊が城の左右に回ってからわずかな時間しかたっていない。城の弱点などというものは、何度も攻撃を繰り返して初めて見えてくるものだ。


「夜ゆえに見間違えたのではないか……」

「まて、場所はどこか」


 元春が息子を制して尋ねた。


「は、はい。左手の奥でございます」

「源右衛門」

「はっ……調べによれば武田元明がこの城を奪還した際、その方向で激戦があったのは確かでございます」

「丹羽長秀は信長の安土城の普請奉行を務めた名手であったな」


 半信半疑と言った感じで長茂が答えた。元春は瞬時に状況を悟った。かつての安芸武田家も名門の血筋を誇りながら時の流れにより潰えた。急遽復帰した武田元明が織田家の城を扱いきれる道理なし。


「その方、名は」

「村田余吉でございます」

「余吉。我を案内せよ」


 元春が立ち上がる。馬周りの武者たちが一斉にその周囲に集った。


 …………


「ここでございます」


 元春は余吉と共に城の右手に回った。五人の小隊が三つ、周囲を見張っている。余吉が指さす箇所には確かに不連続な石垣があった。明らかに無理な修復の跡だ。余吉の指揮で、海兵隊員が即座に木を差し込み押し上げる。容易に崩れ五郎太石が転がり落ちてきた。崩れた石垣はまるで城への階段だ。


「城兵に備える隙を与えるな。攻め上れ」


 元春は馬回りと共に自ら石垣に足を掛けた。周囲から集まってきた海兵隊がその左右を固める。城壁の崩れた音に気が付いた城兵が騒ぎ出した時には、毛利軍は城に入り込んでいた。


 攻撃からわずか一刻、夜が白む前に後瀬山の城門が開いた。


 一度守りを崩されると城は脆かった。城門が開かれ吉川軍が突入するや、城兵は我先にと裏口から逃げ出した。城はほぼ無傷で毛利の手に落ちた。


 武田家本城が夜が明けたら落ちていたという衝撃は若狭を駆け巡った。逸見、内藤など若狭国衆は万を超える大軍が来たと思い込み、次々に降伏することになる。


 京への道は開けた。

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