第二十六話 野戦築城

 天正十二年十月。播磨国京見山。


 山上の物見やぐらから周囲を見渡す。南には瀬戸内海まで播磨平野が広がり、その中央に山陽道が通っている。東には夢前川が流れていて、二年前羽柴秀吉に勝利した戦場は指呼の間だ。


 東北東、直線距離で一里半6kmくらいの距離には姫路城が見える。


 石垣と水堀を備えた立派な近世城郭、毛利領内にこれより大きな城は広島城だけしかない。西播磨の支配拠点であり、土岐との戦争の最前線でもある。


 毛利にとって重要極まりない城の近くまで、土岐軍により付城が築かれていた。その数は五つ。土盛りの上に鉄砲が並び、その銃声の下を竹束と土嚢を持った兵たちが進む。堀を埋め立てるという攻城戦術だ。ここからは見えないが、前面の水堀は既に一つの道が作られている。


 遠めに見ても城が今にも押しつぶされようとしているように見える。城内の将兵の受ける圧迫は私の比ではないだろう。


 もちろん穂井田元清以下の五千の城兵は未だ士気を保っているし、兵糧や弾薬もまだ持つ。毛利水軍を通じての補給線は生きている。ただ鉄砲本体が限界らしい。激しい打ち合いで整備が間に合わず、暴発などによる砲身の損傷が多発している。


 鈴木重朝が備前長船で製造している鉄砲が細々と運び込まれているが堺、根来、国友を押さえる土岐とは生産量が違いすぎる。


 このままでは第二、第三の道が堀に作られる。後詰なしで年を越せないというのが城主穂井田元清の見立てだ。要するにとっとと助けに来いという話。


 だが私の率いるこの後詰軍は動かない。まず兵数が七千に過ぎない。伊予には宍戸元続、長門には熊谷元直を残しているので、宍戸と熊谷という精鋭も欠いている。


 仮にも総大将直々の出馬なので本当は後続があるはずだった。だが多くの船を日本海に回したのでこれ以上増やしても兵站が持たない。下手に戦をすれば物資不足で勝手に負ける。というか、細くなった兵站で必死に建材を運んでいるのが現状だ。


 つまり本軍の役目は普請、軍事用語で言えば野戦築城である。


 物見台を降りた私は、京見山の山麓に柵を植えている毛利兵の視察に向かう。


「これは御屋形様」


 穴を掘り柵を立てる兵を監督していた益田元祥ますだもとながが慌てて挨拶に来る。元祥は石見に古くから勢力を張る益田氏当主で、宍戸や熊谷に次ぐ有力国衆だ。伊予高木の長宗我部信親との戦いでも参陣していた。あの時は父の益田藤兼が指揮を執っていたが今回は彼が益田軍を統率している。


 まだ若いが戦も政治も出来る稀有な人材だ。本来の歴史では大幅減封後の萩城築城や長州藩の財務にも活躍している。このような野戦築城の管理者に向いている才能だ。


 ちなみに『野戦築城』は軍事用語として現役である。恒久的な拠点である要塞しろと異なり、野戦軍が他の野戦軍と戦うために地形を防御に適した状態、つまり陣地にする工事全般を言う。周囲に柵を植えたり、見張り台を立てたりするのも野戦築城だ。


 この京見山は正面に山陽道を望み、瀬戸内海まで二キロ半だ。土岐軍の侵攻方向である東には天然の堀となる夢前川。前面に逆茂木を植えて柵を立て、大昔の古墳跡を利用して土塁とし、そして要所に堀切を掘る。陣地というよりも陣城と言うべき規模になっている。


 ちなみに日本の戦史における大規模な野戦築城の走りと言われているのが、織田信長の長篠の陣城だ。


 もちろん高度な専門技術なので、難しい作業は全て部下任せである。なんなら京見山を選んだのも隆景だ。私は総大将自ら指揮するという形をとることで、将兵にこの普請がいかに大事かを示す飾り。


 まあ兵站と士気の維持は、どんな戦でも大将の一番重要な役目だが。


「元嘉、例のものは」

「すでに届いております」


 元嘉が即座に答える。私は兵糧小屋の中に、新しい俵を確認した。後は道具だ。蒸し器と杵臼は近くの百姓から借り上げるとしよう。


 …………


 朝、東北東で煙を上げる城を確認した後、私は物見台から麓に向かった。京見山の陣地口では将兵が次々と収容されている。昨夜姫路城から脱出した毛利軍、四千余だ。長い籠城後だというのに陣列は整っている。


 土岐方もまさかこんなに早く城を放棄するとは思っていなかっただろう、撤退自体はうまくいった。夜間の逃避行で疲労した兵たちは、二重に結われた柵の奥で餅と水を与えられている。


 私は仮小屋に集まった将たちにつきたての餅を配る。将たちが餅を口にして人心地ついている中、一人深刻な表情のままの穂井田元清に近づく。


「先に伝えた通り、この砦の守りを任せます」

「…………確かに堅き砦なれど、英賀と結んでも土岐に夢前川を越えさせぬは至難」


 英賀城は夢前川河口近くの城で三木、御着と並んで播磨三城と呼ばれる。毛利と織田の戦いでも何度も戦場になった瀬戸内海の重要拠点だ。この京見山と英賀を結んで山陽道を遮断する。そういう形の防衛ラインだ。


 だが対土岐の要塞として整備された姫路城とは比べられない。姫路城主としてみればここで穴を掘ってる暇があったら後詰してくれと言う話だ。


 私は撤退命令に納得していない元清に、さらに深刻なことを言わなければならない。


「実は英賀城はあと半月で土岐に下ります。その時はここを引き払ってさらに後方へ引いてもらいます」

「なんと。姫路城に続きこの陣も敵にやるとおっしゃるか。長宗我部、大友を立て続けに退けられた御屋形様とも思えぬお言葉」


 元清はついに憤りの声を上げた。ちなみに万事落ち着いたこの叔父の稀有な態度だ。


 軍事的には正にその通りだ。夢前川の東岸にある英賀城と、西岸にあるこの京見山陣城は対として初めて意味を持つ。英賀城が土岐に下れば夢前川の渡河を遮るものは何もなく、この陣の戦略的価値は大きく落ちる。


「実は夢前川を土岐にわたらせねばならぬのです。駿河守の策で山陰の吉川軍が……」


 私は元春の作戦を説明した。元清の顔が驚愕に染まる。私は改めて餅を差し出した。


「というわけで半月この陣をもちこたえてください。この餅に免じて」


 驚愕していた元清は私の言葉に微妙な表情になった。撤退前提の作戦は士気にかかわるから縁起物の餅に掛けたつもりだが、駄目だったか。


 翌日、私は元清に京見山の守備を引き継いで西へ向かった。


 山陰ではそろそろ吉川軍、そして海兵隊が出航するころだ。あとは光秀が思惑通り前進してくれることを祈るだけだ。





 同日、御着城。


「姫路を宰相様のご出馬の引き出物に出来たこと、瀬兵衛の面目でござる」


 御着城に入城した光秀の前に出た髭面の四十男は大声で言上した。中川清秀、地侍程度の身代から何度も主を変えながら十万石に迫る領地を獲得した猛将だ。姫路城攻めでも先鋒を務め、城への一番乗りを果たしている。


「年を改めずして姫路を落とした武功大義。毛利を播磨から追った上で、備前守護職に推挙しよう」


 光秀はそう言ってねぎらった。清秀は「末代までの栄誉、ありがたき幸せ」と平伏した。



 京で比叡山と一向宗を仲裁、義昭には武田信秋に帰還を命じる書状を書かせた後、光秀は尼崎にもどった。そこに届いたのは姫路城奪取の報だった。光秀は三木を素通りして御着まで一気に本陣を進めた。


「毛利輝元自らの後詰にもかかわらずの姫路陥落、毛利の士気は大いに落ちておりましょう」


 この方面の大将である宿老三沢茂朝が言った。毛利輝元は姫路から二里にも満たぬ京見山まで出ていながら、なすすべなく姫路の陥落を見ていたらしい。物見の調べでは長門から取って返したため兵がそろっていないという。


 四国と九州で連戦を重ねたことを考えればさもありなんだ。だがそれにしても夢前川の後ろで陣を敷いているだけとは消極的すぎる。毛利内部に何か異変があったか……。


「瀬戸内海が静かであるのはいかなることか」

「御明察。実は教如様を通じて英賀の一向門徒が禁制を求めております。毛利の得手も動揺している模様」


 茂朝が我が意を得たりとばかりに言った。


 英賀城は毛利にとって水軍を運用する上で重要拠点だ。姫路城が落ちたことで海で最も手ごわい毛利水軍にほころびが出たなら、願ってもないことだ。


 だが、あまりに上手くいきすぎている。


「毛利輝元はいずこに」

「天下台山まで引いた模様」

「なんと張り合いがない。英賀ではなく毛利本陣から和睦を乞うてきそうですな」


 清秀が大声で笑った。光秀はじっと絵図を見る。天下台は西播磨の海に面した山地だ。大軍を置けるだけの広さもあり、守りには適した地だ。だが弱腰すぎる。


 あるいは何らかの策か。だが餌とするには姫路と英賀は大きすぎる。となればやはり毛利内部に問題が生じている方が勘定に合う。


 しかし西での戦ぶりを聞くに毛利輝元は凡将にあらず。また主君が後方にある間も土岐軍の攻勢をしのいできた穂井田元清、そして小早川隆景がこの体たらくは奇妙。


 光秀の脳裏に二つの可能性が交差する。


「英賀に禁令を与えてよろしゅうございますな」

「門徒には開城するなら命は取らぬとだけ返答するように」


 三沢茂朝が沈黙した光秀に促した。光秀は答えた。


「では英賀をお攻めになると。この内応は敵の策であると」

「その問いの答え、英賀を攻めて毛利水軍に返答させる」


 怪訝そうな茂朝に、光秀はそう答える。

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