第二十三話 天正壇之浦合戦 Ⅱ

 関門海峡では毛利艦隊を追う大友艦隊、村上艦隊と来島艦隊の戦闘が行われている。残った黒船艦隊は必然的に私の方に来る。私の乗る安宅船と護衛の関船四隻に対して三隻の黒船。数はこちらが多いが、敵の黒船は船足、船体強度、そして武器の全てでこちらに勝る。


 真正面から戦って勝てる相手ではないため、こちらは逃げることになる。


 三隻の黒船の内、二隻が速度を生かして私の左右に付ける。黒船の大砲は左右両舷に二門づつ。つまり計四門の大砲がこちらに向いたことになる。一方、こちらは私の安宅船を左右それぞれ二隻の関船が守る形。そして四門の大砲が次々と火を噴いた。


 この距離で当たるわけがないと思っていたら、一発が護衛の関船に命中、木片を飛ばした。


 ……喫水下にでも当たらない限り簡単に沈没しないとわかっていても衝撃に揺れる関船を見て肝が冷える。私の周囲は鉄板を張り付けた木盾、竹束、そして土嚢の複合防壁があるし、安宅船の総矢倉の高さを考えれば万が一もないと思っているが、怖いものは怖い。


 大砲で護衛の関船が乱れた間隙を突くようにして、中央の一隻が突進してくる。黒船の正面に大砲はない。つまりこれは衝角攻撃ラムアタックの動きだ。古臭い戦術に見えるがこの時代は現役、というよりも実質的には大砲よりずっと怖い。箱形の安宅船は衝撃に弱く、喫水下に穴を空けられたら海水の侵入を受ける。


「荷を捨てよ。船を軽くするのだ」


 就英の命で船倉の俵が海中に投げ捨てられる。船が軽くなったことで喫水線が下がり速度が増す。それでもまだてき船の方が早い。


 ぐんぐん速度を上げて近づいてくる黒船。輸送船団の荷船が散らばるようにして逃げる中、黒船は私の安宅船に一直線に狙いを定めている。甲板の上には火の付いた鉄砲と刀を持った兵。水軍鎧の胸元にロザリオの光りまで確認できるようになる。


 あとわずかで衝突、そう思った時だった。


 こちらに迫る黒船が海上で突然舳先を上げた。海中にあった衝角が姿を現す。尖った丸太に鉄を被せた鋭角を突き上げる姿は力強くそしてまがまがしい。だが黒船の勇壮な姿は一瞬だった。次の瞬間船は横倒しになり、右半分を海中に沈めた。


 ほぼ同時に岸側を走っていたもう一隻の黒船が同じように三十度傾いて止まった。残った一艘は慌てて進路を変えようとするが、何かにめり込むようにして止まってしまう。


 船にとって嵐の次に恐ろしい座礁、そして転覆だ。


 場所はくしくも壇ノ浦沖、この周辺の海は暗岩がごろごろしており、浅所も点在しているのだ。


「御屋形様の策のとおりになりましたな。この先も手立て通りに」

「はい。海兵隊総将の指揮に任せます」


 就英の指示で鐘がならされる。周囲に散らばっていた補給船団の荷船から、次々と小型小早船が下ろされる。それら小早船に乗り込んだのはそろいの小袖と具足を付けた兵たちだ。そう荷船の半分は食料弾薬ではなく、海兵隊員とその小早船が積まれていたのだ。


 海兵隊員を乗せた小早船は動きを止めた黒船に向かう。まるで水に落ちた動物に群がるピラニアのような姿だ。それに対して黒船は何もできない。


 転覆した黒船の大砲は右舷二門が水中に沈み、左舷二門は天を向いている。もう一艘も傾いた船内で操作など出来ようがない。甲板にいる大友兵たちが海兵隊の鉄砲に次々と打たれ、鉤付きの縄が舷側にかかる。それを伝って海兵隊が次々と侵入していく。


 壇ノ浦に剣戟と鉄砲の音が交わされる。悲鳴を上げながら舷側から水に飛び込む大友兵たち。四半刻もしないうちに戦闘は終わった。そして小早船が黒船から離れた。


 大砲よりもはるかに大きな轟音が海峡に轟いた。二艘の黒船は爆発炎上した。唯一水平を保っていた一艘も完全に制圧されたようだ。


 毛利水軍、そして戦いを見守っていた門司城から、勝鬨と歓声が上がる。




 門司城に兵糧弾薬を入れた後、毛利軍は櫛崎にもどった。


「諸将の働き大義でした。毛利水軍にかなうものなしと大友義統も思い知ったでしょう」


 私が労をねぎらうと児玉就方、村上景親が互いを見やった後、私に向かって頭を下げた。


「御屋形様の神算に感服いたすしかござりませぬ」

「古の義経公の戦を見た思い」


 今義経はさすがに褒めすぎだろう。ちなみに壇ノ浦の戦いは信頼できる資料から詳細が分からないんだよな。海戦を指揮したのは義経だが、戦全体の総大将は範頼だって話だし。


「かほど鮮やかな船戦は木津川口以来。あそこまで敵船のことをお調べとは」


 就英までそんなことを言った。私は「櫛崎諸将の龍造寺、大友の調略があればこそです」と付け加えた。防長の諸将は安堵や喜びの表情になる。ちなみに内藤元盛は唖然としている。鍋島への使者派遣で活躍した養父隆春とえらく反応が違うのが少し気になる。


 まあ今回に関しては私の軍事的知識が役に立ったのは間違いない。


 黒船の性能は外洋航海のために発達したものだ。外洋の大波に耐えるための竜骨を初めとした構造は、その強度と速度を生かせば和船を突き殺せる。だがその深い喫水と三角形の船底形状は浅瀬に弱い。平たい和船なら通過できる深さでも座礁し、悪ければ乗り上げるだけではすまず転覆する。


 しかも戦場は複雑な地形と海流が特徴の関門海峡だ。そのうえ黒船はこれまでにない船体の構造だ。代々の伝承で技術を伝えるこの時代なら、いかに船員訓練していてもそう簡単には習熟できない。


 むろん大友水軍もそんなことは百も承知だ。黒船についていた来島衆は黒船を守っているというよりも水先案内人としての役割が大きかったはずだ。来島近辺は日本屈指の海の難所であり、来島通総はそこを拠点としてた。


 私の作戦は、毛利水軍と村上水軍により大友水軍と来島艦隊を引きはがし、単体となった黒船を壇ノ浦の近くにある暗岩や浅瀬地帯まで誘導することだった。そして狙い通り黒船は浅瀬に乗り上げ座礁転覆した。


 兵器とは用いる場所と運用によってその力が大きく変わる。第二次世界大戦の零戦の防御力軽視は批判されるが、大戦初期においては軽量化によって得た長大な航続距離でアウトレンジ攻撃を実現させ、むしろ犠牲を低くした。


 敵の航空基地から日本の航空基地へは攻撃が届かないのに、日本の航空基地からは届くのだから飛行場に駐機された敵の航空機を一方的に叩けたのだ。だがその優位も戦局が進んだことで不利に変わった。


 普遍に見える兵器の性能も戦場という霧の中にあるのだ。


 そういう意味では将来生じうるキリシタン勢力との戦いの為、黒船については研究が必要だ。今回、海兵隊の迅速な戦闘により黒船の実物を手に入れたのは大きい。浅瀬にはまり込んだ一隻を、応急修理で水漏れを止めた後、縄で引っ張って引っこ抜いたのだ。


 戦が一段落したら呉まで廻航して色々調べるつもりだ。


 もちろん現時点ではそんな余裕は全くない。黒船を失った大友水軍は関門海峡から中津まで下がっていったことで、毛利は関門海峡の制海権を回復した。これで伊予に続き豊前の防衛線も再構築できた。


 西方戦線の戦略目標は達成だ。


 だが戦争の主敵はあくまで土岐。長宗我部と大友を合わせたよりはるかに大きい国家相手だ。つまり本番はこれからということになる。

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