第二十二話 天正壇之浦合戦 Ⅰ

天正十二年九月。関門海峡。


 ドーン、という轟音が海峡の空気を揺らした。

 私の前を進んでいた関船が衝撃に揺れる。

 木片がこちらに降ってくる。


 私は思わず頭を覆った。大砲なんて当たらないって言ったのは誰だ?


「織田家との戦を思い出しまするな」


 隣で就英が言った。第二次木津川口の戦いを経験済みの海将がいつもに増して心強い。


 鎮守府奉行である堅田元慶を肥後に派遣して半月、九州情勢はゆっくりと大きく転換した。鍋島直茂が病と称して島津との戦闘を止めたのだ。島津―龍造寺間に和議が結ばれたわけではないが、戦闘が止まっただけでも影響は大きい。


 この時代の戦争はそうそう長く続けられない。つまり一度攻め側の勢いが止まったら、その後に戦争状態を維持することが難しいのだ。すなわち島津と龍造寺の戦はこのまま収束するという予測が、九州の様々な勢力に想起される。


 その影響は当然豊前まで届く。筑前勢つまり立花道雪の率いる一万の内、道雪含め七千。そして本国軍である豊後衆の中で三千が撤退した。前者は筑前を狙う龍造寺の動きに、後者は豊後を狙う島津の動きに対する予備対応だ。


 門司城を囲む大友の陸上兵力はこれで一万五千程度。城に対して五倍近い兵力だが、対岸の櫛崎に毛利軍がいることを考えれば、大友軍の力攻めという選択肢は消える。


 これだけで大分不確実性が減った。


 ただし、まだ九州戦線の立て直しは成功していない。門司城の海上封鎖は全く揺らいでいないのだ。門司城は大友水軍によって囲まれ、黒船が我が物顔で遊弋している。


 清水宗治が籠城を初めてすでに三ヶ月。さすがに物資が不足してきている。城内の士気や衛生状況も心配だ。海を通じて物資の補給や人員の入れ替えは必要だ。将兵にとって敵地への長期出張からいつ帰れるかわからないことほど士気を下げるものはない。


 つまり門司城海上封鎖の打破のために大友水軍、特に関門海峡の最峡部を塞いでいる黒船艦隊を何とかしなければならない。それが出来てこそ、この方面の戦略目標の達成と言える。


 大内旧臣による調略が一段落するのを待って、私は毛利水軍に出撃を命じた。


とも綱解けい。我らは今より大友水軍を破り門司城を救わん」

「ヨーソロー」


 児玉就英の号令により午前中に櫛崎を出た毛利船団は、すぐ西南に口を開ける関門海峡に入った。潮流が一気に強くなる中、豊前きゅうしゅう側から瘤のように突き出た門司城近くの海域、すなわち壇ノ浦の沖に近づく。


 合計百二十艘の毛利船団は大きく前後に分かれている。前方の百艘は川ノ内警固衆の軍船だ、将は児玉就方。私は頭の中でこれを『毛利艦隊』と呼称する。後方集団は廻船商人から徴発した荷船だ。即ち『補給船団』である。


 私と就英の乗る安宅船は『毛利艦隊』と『補給船団』の中間にあっていわば旗艦だ。ちなみに海峡の反対側からは彦島の村上景親が四十艘の軍船をもってきている。これは『村上艦隊』と呼称しようか。


 狭い海峡だ、門司城を海上封鎖していた大友水軍も即座にこちらを認識して動き出した。佐賀関と国東半島の大友方水軍衆が百三十艘。黒船三隻を中心に五隻の関船と十数艘の小早船。前者が『大友艦隊』、後者を『黒船艦隊』と呼称する。


 村上艦隊 → 大友艦隊+黒船艦隊 ← 毛利艦隊:旗艦:補給船団


 こんな感じの配置だ。


 大友艦隊と黒船艦隊は舳先を北東、つまり櫛崎から出た私に向ける。目当ては私、というよりも後ろの補給船団だ。


 これから行われる海戦は門司城への兵糧搬入を目的とした毛利水軍と、それを阻止することを目的とした大友水軍にという形だ。この構図は木津川口の海戦と同じだ。第二次の方なのがちょっと不吉だ。


 まあ同じに見えるだけなんだけど。


 私は背後の荷船をちらっと見た後、仁王立ちの就英の後ろに腰掛ける。この期に及んで私のやることは一つもない。というか私が口を出したりしたら船が沈む。関門海峡とはそういうところだ。


「取舵一杯。大友の海賊どもの横腹につけえーーーー」


 ここまで届くような就方の号令により毛利艦隊が左に進路を変えた。門司城側から回り込むことで、城の鉄砲との挟撃を嫌う敵の側面に回り込む動きだ。


 大友艦隊から十隻程度がそれを追うように進路を変えた。そしてそれにつられるように大友艦隊の多くが毛利艦隊に向かって進路を変えた。


「今のところ手はず通りですな」

「そうですね。調略が効いています」


 毛利艦隊の動きに釣られた最初の十艘は調略を受けた者たちだ。毛利水軍の動きにつられ、戦闘にならない距離を保って追っかけっこをしてくれれば戦後に敵とみなさず、銀を与える。そういう交渉をしている。


 水軍衆にとって船は貴重極まりない資産だ。関船一艘沈んだら一族郎党が路頭に迷いかねない。戦う振りだけしていれば銀がもらえるというのは美味しい話だ。大友軍から見ても毛利水軍を追っているようにしか見えないから言い訳もできる。


 もちろん背景には、重用される黒船のキリシタン衆と新参の来島通総という黒船艦隊への反感がある。


 大友艦隊と毛利艦隊が追いかけっこを始めたことで、私の前には黒船艦隊が近づいてくる。私の安宅船は前方二隻と左右の合計四隻の護衛船があるだけだ。敵は黒船三艘に来島の関船五艘と小早船十数艘。


 だが黒船艦隊には西方から村上艦隊が近づいてきている。大友艦隊が毛利艦隊につられたことで、進路が開いたのだ。


 村上艦隊は黒船の周りを守る来島の分艦隊の側面を突く進路を取る。来島は即座に反応し、見事な操船で村上艦隊に向けて旋回していく。互いの船が焙烙玉を投げ込みあう激しい海戦が始まる。能島と来島の村上水軍同士の戦いだ。


 三隻の黒船は私の方に向かってくる。黒船から見れば毛利旗艦である安宅船と、荷船という戦略目標がそろっている。戦力的に優位なんだからそうなるだろう。


「転進せよ、黒船に近づいてはならん」


 就英の命で、安宅船が回頭する。私たちは逃げ出したのだ。


 回頭する間に黒船はどんどん近づいてくる。水を切るような舳先を持つ西洋船は関門海峡の潮の流れも何のそのだ。私の安宅船がぐらぐら揺れているのに比べてあきれるほど安定している。さすが外洋航行可能な竜骨船は一味違う。


 三隻の黒船は中央の一隻がこちらにそのまま、そして左右の二隻が私の両側に回り込む進路を取った。そして左右の黒船の舷側から轟音が響いた。


 私の安宅船を守るようにして並走していた関船が大きく揺れ、木片が私のところまで飛んでくる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る