閑話 龍造寺の仁王

 天正十二年八月。肥後国宇土城。


 宇土は肥後国(熊本県)の真ん中にある。北には龍造寺軍の総本陣が置かれた隈本くまもとがあり龍造寺隆信、家政がいる。南の八代には島津家の肥後代官である島津義弘の古麓ふるもと城がある。


 この宇土城は島津軍に対する前衛陣地となっている。今、城内には先日の激戦を終えた将兵がその傷をいやしていた。


「われらの骨折りに対し、くだされるのが叱責とは。信俊兄上の無念は如何せん!!」


 負傷兵たちの苦しみの声の中、本丸において激高している武将がいた。先ほど隈本から来た主君の使者の言葉に憤っているのだ。


 武将の名は龍造寺康信だ。鍋島清房の四男で龍造寺分家の一つの養子に入った。彼が言う信俊とは龍造寺の宿老小河家の名跡を継いだ鍋島清房の三男だ。そして康信がその憤りをぶつけているのは、鍋島清房の次男、そして龍造寺家中にて枢要をなす鍋島一族の当主である直茂だ。


「いかなる理由があったとしても敵前から引くは大将が責を負うべきことぞ」


 剣を支えに床几に腰掛けた直茂は謹厳な面持ちを崩さない。


「いや、こは有馬晴信の讒言に相違ない。晴信はもともと直茂兄上を恨んでいた」

「康信。将ともあろうものが証のないことを申すな。士気に関わる」


 直茂は弟をたしなめた。


 直茂は龍造寺隆信の従弟にして義弟。次代家政の後見人。そして筑後柳川城主として筑後一国のまとめ役だ。


 それだけではない。かつて侵攻してきた大友の大軍を退け、肥後国内の有馬、大村などの国衆の服属させ、まさに八面六臂の活躍で龍造寺家を支えてきた大黒柱である。今や五国二島の太守と呼ばれる龍造寺家の躍進の半ばまで彼の手腕と言っていいのだ。


 その直茂が主家に不満を持っているなどといううわさが流れれば大事になることを、直茂はよくわかっているのだ。次弟の死にも三弟の憤りにも一切感情を露にせず、その心中を深くしまい込んでいる。


 同時に、直茂は敵味方の有様を冷静に認識しようとしていた。八代古麓城の島津義弘はうわさ通りの名将であり戦場に出るだけで精強無比な島津兵は命をとして戦う。野戦においてはこれまで戦った仲でも最も手ごわい相手だ。


 先日の戦は八代に攻め寄せた直茂を、古麓城から打って出た義弘が迎撃するという形で行われた。球磨川に守られた要害である古麓城から敢て打って出た義弘の戦勘はおそるべし。


 だが先日の苦戦は敵だけが原因ではない。味方の動向も大きくかかわっている。


 軍議の取り決めで海上から同時に攻撃するはずだった有馬、大村の水軍の参戦が遅れたことが鍋島軍の犠牲を大きくした。彼の弟小河信俊は鍋島軍の撤退時の殿として戦死したのだ。


 確かに有馬が親戚である大村と共に水軍を出して島津攻めに参加している。だが直茂の調べではこの戦の直前まで島津と通じようとしていた形跡がある。境目国衆とはそういうものであるが、全く油断ならない。


 敵も味方も油断ならず。我は今虎口にあり。だからこそ怒色を一切示してはならぬ、それが慎重すぎるほど慎重な武将である直茂の判断だ。


(今は下手に動かず時を測るべし。そして時至らば必ず動くべし)


 直茂は心中で己の信念をつぶやくと、弟に向き直る。


「案ずるな康信。本陣の信周のぶかね殿にもおとりなし頂こうぞ」


 龍造寺隆信の弟の龍造寺信周の名前を出し、弟をなだめた時だった。裏門より近習の一人が駆けてきた。近習は直茂に近づき、耳打ちをした。


「鎮守府からの使い、そう名乗ったのか」

「はっ。信周様の添え状を持参の上、そう名乗りました」


 …………


「鎮守府将軍様よりとはいかなる用向きでござろうか。知っての通り当家はいま島津との戦の最中。大したもてなしが出来かねるが」


 奥の一室、弟康信が使者に言うのを聞きながら、直茂は使者の様子を観察していた。実に若く、元服してさほど経ってはいなさそうだ。名は堅田元慶、毛利家譜代粟屋の一族で、鎮守府奉行と名乗っている。


 毛利輝元が鎮守府将軍の官位で、直属軍を作っていることを直茂は知っている。その奉行というからには若くとも重き側近であろう。


 いやなかなか見目麗しい容貌から考えればあるいは。いや毛利輝元は女童好みとの風聞があったはずだが……。


 どちらにしろ側近をここまで派遣するというのは相応の理由があるはずだ。


「使者殿。ご用の向きを伺おう」

「主輝元はご両家の干戈に心を痛めております。毛利は島津とは同心の間柄、龍造寺家とも長らく懇意にしてまいりました。そのようなご両家が相争うこと心苦しいと」

「つまり和議の斡旋でござるか。しかしそれならば隈本の大殿に伝えるべきでは」

「主は鍋島殿こそ無二の者と。龍造寺の仁王門、いや鎮西の仁王であると」


 直茂は警戒を高める。「龍造寺の仁王門」とは直茂と主君隆信を寺の左右の仁王像のごとくという言葉だ。それだけでも危うい言葉である。ましてや鎮西の、と言われれば……。


「某、西国一の毛利様にかように言われるほどの者にあらず。そもそも和議は難しき事。この戦を止めるは公方様の御教書でもなかなか……」


 確かに毛利とは直接的な敵対関係にはない。かつては大友を共通の敵とする事実上の同盟関係でもあった。だが直茂がまさに対峙している島津は毛利の同盟国だ。


 和議の中人として信用できるものではない。そもそも毛利の狙いは龍造寺との戦を止めることで、島津に大友の背後を突かせるため。そう思いながら書状を読む直茂だが、短い文面に思わず目を剥いた。


「勝っても負けても龍造寺のためにならぬとは、これは如何」


 敢て呆れ顔を作って元慶に問う。この手の書状は要旨だけが書いてあり、詳細は使者に言い含められている。機密を守るためだ。それ故にこそ使者はその力量を試される。そしてその使者の力量で、直茂は輝元の意図を探るのだ。


「大友、有馬、大村全てキリシタンとして同心の間柄、それが理由でございます」

「有馬殿、大村殿がキリシタンを信心していることむろん承知。なるほど大友の先代当代もまた同門。然れども、それで大友が両家の糸を引くとは解せぬ。証がなければ」


 まっすぐな顔で即答した使者。直茂は重ねて問う。


「主いわく。証はいま南蛮の海に浮かんでいるとのこと。これは当家が長崎に出入りの商人から入手したもの」


 元慶は懐から書付を出した。そこには三家が派遣した南蛮への使節の正使二人が大友、有馬、大村の親族であることが記されている。


 二年前、三家が遠く欧州に使節を派遣したという話は直茂も聞いていた。しかしキリスト教の本山までの巡礼とは。しかも元慶は武家の一族が寺に入れるように、欧州でも貴族の者が教会に入ることでその支配を固めるなどと説明する。


 大村領長崎ではキリシタンによる勝手がまかり通っている、その話も直茂の得ている雑説と一致する……。


「仮に此度の戦にて鍋島様が肥後を龍造寺家の領国としたとしても。龍造寺家はこのキリシタン三家の囲いの中。さらに大友は小西、高山と言ったキリシタンを取次として土岐と懇意」


 若い使者はゆっくりと筋立てて語る。その語り口は慎重を旨とする直茂にとって信頼を感じられるものだ。なるほど、若いが尋常の者にあらず。


 つまり島原の有馬、長崎の大村、そして豊後の大友により龍造寺は包囲される。それに加えて毛利を破った土岐が大友に肩入れすれば……。


 つまり龍造寺にとって最も恐ろしいのは大友であると、そう言っているのだ。

 

 むろん毛利の思惑は明らかだ。龍造寺と島津が和議となれば、大友は筑前を空けられない。筑前衆は門司城攻めの主力だ。それが引き返せば毛利は大きく息を付ける。


「他には、なぜ某にこのようなお話を持ち込むか、答えがない」

「主は鍋島様なら言わずとも察すると」


 八代を取ったとて儂は柳川からさらに八代に移される。八代は富裕だが島津との境目で新付の国衆をまとめるのは至難。ましてやもしその八代の対岸、天草が有馬に与えられるようなことになれば……。


「ご使者のご用の向きは承知仕った。此度の戦において某も弟を失い無常の思いあり。鎮守府将軍様にそうお伝えあれ」


 直茂はいった。そして使者が辞した後、弟康信を呼んだ。


「康信。先ほどの信周殿への書状だが、そなたがしたためてくれ。理由は、儂は戦の疲れで少し臥せっておると」

「…………承知した」


 直茂の案文を受け取った弟はすぐに書状を書き始めた。それを見ながら直茂は沈思黙考する。


 敵と味方の双方を冷徹に見極める直茂の眼は主君にも及ぶ。彼の義兄である龍造寺隆信、大殿となっているが事実上の当主である隆信の思惑は……。


 筑後一国の旗頭、肥後侵攻の先鋒大将という直茂の立場は重くその軍権はけして小さくない。だが同時に本国肥前の中枢から遠ざけられている。島津との耳川の戦いで大友が大打撃を受けたことで油断した隆信に諫言したのが原因の一つだ。


 そしてその間隙を突くかのごとき有馬晴信の動き。名目上とはいえ当主家政の外戚の立場を利用しているのだ。暗愚な家政が有馬に唆されている程度ならいい。だがあるいは隆信ぎけいは直茂の力を削ごうとしているなら。


(今は下手な戦をせず時を測るべし。そして時至らば必ず動くべし)


 その相手が島津であれ、大友であれ、あるいは毛利であれ、そしてあるいは……。





***********

2024/06/25:

ここまで読んでいただきありがとうございます。

ストック回復のため次回は一回お休みさせてください。

次の投稿は2024年6月29日土曜日の予定になります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る