第二十一話 調略対象

 大友を中心としたキリシタンネットワークの概要がつかめてから数日、櫛崎の毛利諸将は調略のため動き出していた。中心は大内旧臣だ。大内家はかつて豊前、筑前を領有していたため両国の国衆と縁がつながっている者が多いのだ。


 調べれば調べるほど調略対象は増えていく。大友家中が宗教問題で揺れているのは間違いない。ただ決定打がなかなか出てこない。田原紹忍や立花道雪は如何にキリシタン政策に不満でも調略に応じるはずもない。大友本国である豊後衆はさすがにハードルが高い。


 最大のターゲットは門司城攻めで矢面に立たされている豊前衆だ。


 運が悪かったのは安芸で幽閉していた宇都宮豊綱が死んだことだ。すでに高齢で病死だったのだが、息子の豊治が長宗我部に脱出した後なので、毛利が殺したという噂になった。城井鎮房など豊前衆は宇都宮氏が多くを占めるので、毛利に対する心証が悪くなっている。


 次の候補は筑前衆だ。豊前同様に大内時代から大友との抗争を経ており、毛利と組んでいたものも多い。だが大友と龍造寺が共同歩調を取っている状況で、それより遠い毛利を頼りに寝返らせるとなるとよほどのことがないと難しい。何よりも立花道雪という名将がまとめている。


 また黒船艦隊は情報収集そのものが難しい。ただしそれ自体がこの艦隊が孤立していることの証明だ。それゆえに就英中心にその動向に最大限の注意を払っている状況だ。

 まあ調略とはこういったものだ。こういった下準備自体が、大友陣中に疑心暗鬼を撒くという意味がある。だが当然タイムリミットが存在する。


 東方の対土岐戦線では山陰山陽ともに土岐軍の想像以上の物量作戦への苦戦が伝わってくる。今のところ姫路の元清と赤穂の隆景の連携により播磨は守られている。長宗我部を破ったことで、動揺も抑えられているようだ。だが因幡はかなり苦しいようだ。


 前田利家の北陸勢の動きいかんで戦局が崩壊の危険がある。この北陸勢の動きに対抗するという一つをとっても、私は当方へ手を打たなければならない状況だ。


 だがそのためには大友に対して防衛体制を構築するという必要がある。そして大友方にも毛利が東方で土岐の大圧力を受けていることは伝わっているわけで、これが調略に大きな影響を与える。


 そして海峡のすぐ向こうで門司城は追い詰められていく。黒船艦隊に対する対策をしないと兵糧弾薬の搬入すらできない。私は調略を大友水軍に絞ることを考え始めていた。


 島津家からの使いが来たのはそんな時だった。肥後八代から日向経由で法華津、そして港山を経由して遠路やってきた島津義弘からの使いだ。


 南九州における島津と龍造寺の戦争の直接情報は極めて重要だ。私はすぐに会うことにした。


「鎮守府将軍様から頂いた種芋、水が少ない台地にも見事根付き、最初の実りをもたらしもした。主義弘もよき土産をいただいたと感謝しきりにて」


 南国の日に焼けた精悍そうな若い武将だ。川上忠兄、川上家は島津重臣の家柄。しかも関ヶ原の小返しの五本鑓の一人だ。義弘の信頼厚い家臣であろう。


 そう言えばサツマイモを渡したのは三月だった。そろそろ四か月か。本格的に広げるには時間がかかるだろうが、良い知らせだ。


 ……まあこういう時はだいたいいい話から始めるんだよな。そんな私の予想を裏付けるように忠兄は深刻な表情で八代での激戦を語った。


 …………


「なるほど敵の大将は鍋島直茂ですか。それは容易ならざる相手ですね」

「はっ、龍造寺筑後名代の鍋島直茂殿、敵ながら誠に手ごわき武士」


 島津義弘がいるのが南肥後の中心八代城だ。龍造寺軍は西の海から有馬、大村の水軍で攻め、そして陸は北の宇土に前衛を置いている。その宇土の大将が鍋島直茂だ。言わずと知れた龍造寺の大黒柱だ。


 つまり島津義弘と鍋島直茂という九州を代表する名将二人がぶつかっているわけだ。戦国史好きなら垂涎の組み合わせだが、今の私にとっては同盟国が強敵と対峙しているという悪夢いがいの何物でもない。


 ちなみに鍋島直茂は本来の歴史なら龍造寺を乗っ取る男だ。あれ何で可能だったんだろうな。当主が執政鍋島直茂を恨んで自害とか取り潰されても仕方がないやらかしなんだが。


 それこそ鍋島直茂が隆信を下克上でもしてくれたら……って無理に決まっている。


 本来の歴史の沖田畷で龍造寺隆信の敗死後に後を追って自害しようとした、は直茂の忠誠心をアピールするための後世の創作で、島津側が返還を申し出た隆信の首を「そんな情けない大将の首なんか返してもらう必要なし」と言ったのは史実だったとしてもだ。


 龍造寺家と鍋島家は一心同体くらいの深い結びつきだ。沖田畷でも鍋島一族が何人も隆信に殉じて戦死している。この時点では龍造寺の忠臣だったと思うべきだし、仮に野心があっても日の出の勢いの隆信に逆らうわけがない。


 私は非現実的な希望を捨て、次に気になっていることを聞く。


「有馬晴信と大村純忠の動きはどうでしょうか」


 私はさりげなさを装って聞いた。側にいた堅田元慶の表情がこわばったが気が付かれなかったようだ。


「両家とも船を出して海側から八代に圧力をかけておりもす。ただ陸に比べれば兵を温存しているようで……」


 先日の行われた鍋島直茂の総攻撃を撃退した際、申し訳のように海上に遊弋していただけの有馬水軍の様子が説明された。有馬大村が呼応して船を進めなかったため、陸の直茂は苦戦をしたらしい。おかげで島津が龍造寺の攻撃を退けた。


「つまり陸の鍋島と海の有馬、大村の連携がうまくいっていない」

「はっ。有馬と大村を龍造寺に屈服させたは直茂の働き。すなわち両家は鍋島を取次としているのでごわす。ただし龍造寺の現当主政家の室は有馬の出」


 そう言えば史実の沖田畷の戦いで妻の実家を攻めるのを嫌がった政家が消極的だったという話があるな。今回は有馬が龍造寺についているから何の問題もなさそうだが、結果として政家と直茂の間に確執が生まれたとしたら……。


 いやだからそもそも実権を持っているのは大殿隆信なんだ。龍造寺を一国衆から五洲二島の太守と言われるまで拡大させた隆信が健在な限りその強力な指導力でまとまる。特に戦争状態の国家にとって強力なリーダーというものは替えが効かない。


 要するに龍造寺もまた想像以上に強力であり、その龍造寺が島津と戦うことで間接的に大友方として寄与している。そしてそれには大友による有馬、大村の使嗾が効いていると。


 南肥後の戦況は貴重な情報だが、これじゃあ大友の手ごわさを再確認させられたようなものだ。


 …………いや待てよ。大友は手ごわい。いや手ごわすぎる。

 島津にとっても毛利にとっても。

 …………そしてもう一つの家にとっても。

 私ははっとした。そう敵がどれだけ強くても彼らは一致団結しているわけではない。


 仮に龍造寺が島津を破って肥後全土を制したとしても、その後に起こることは……。


 …………


「御屋形様。お呼びでございましょうか」


 島津の使者川上忠兄が辞した後、私は内藤隆春を呼んだ。


「鍋島直茂と連絡を取る伝手はありませんか」

「それは、確かに旧来の伝手はございまするが……」


 隆春は少し警戒した顔になる。まあ実質的な敵国の中枢とのつながりを聞かれているわけだ。


 現状毛利と龍造寺は表向き敵対していない。第二次世界大戦で同盟国ドイツがソ連と数千万人規模の殺し合いをしている時にも、日本とソ連は中立だった。そんな感じだ。


 なお内藤隆春の『隆』も龍造寺隆信の『隆』も大内義『隆』の偏諱だろう。ちなみに私の父隆元の隆も、小早川隆景の隆もだ。ほんと最盛期からあっという間に滅んだんだよな大内家。


「この書状が宇土の直茂に届くように取り計らってほしいのです」

「……いかなる書状でしょうや」

「なに。毛利にとって島津も龍造寺も縁深き家。両者が争うのは心が痛い。そういう内容です」


 私は書き終えたばかりの書状を隆春に渡した。やっと調略、いや説得対象が決まった。


 これが上手くいけば九州情勢はひっくり返る。少なくとも立花道雪、宗茂なんて化け物と私が戦わなくて済む。

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